31. 阿佐美の昔話3
頭が痛い。
鈍く、じんじんと痛みが広がっている。さっき殴られた場所だ。触れなくてもわかる。
……どれくらい時間が経ったんだろう。
俺は、あの男に鉄パイプで殴られて――それから、意識を失った。
重たいまぶたをゆっくり持ち上げる。
視界がぼやけている。暗い天井が、揺れて見えた。
そして――
リコがいた。
目の前に立っている。
「……」
よかった。
胸の奥に溜まっていた空気が、少しだけ抜ける。
流石リコだ。きっと、あいつらのことを返り討ちにしたんだろう。そう思うと、安心して、自然と視線を下へ落とした。
そこに――
男たちが倒れていた。
さっきまで洞窟にいた連中。
動かない。
頭のあたりから、血が流れている。床に黒い染みが広がっていた。
リコは武器なんて持たない。きっと素手で殴ったんだろう。
……その光景を見た瞬間、胸の奥が、ぞくりとした。
恐怖だった。
リコと一緒にいて、今まで一度も感じたことのない感覚。
怖い。
そう思ってしまった。
その時だった。
俺が目を覚ましたことに気づいたらしい。
リコの表情が変わる。
さっきまでの冷たい顔が、一瞬で消えて――
いつもの笑顔になった。
「よかった……!!」
ぱっと駆け寄ってくる。
「目を覚ましたんだね!!」
「……」
声が出ない。
ただ、倒れている男たちを見る。
リコは首をかしげた。
「? どうしたの?」
それから、男たちの方をちらっと見て、明るく言った。
「あっ、この人たち?」
「きっと、しゅうに悪さしたんだと思ってさ」
胸を張る。
「とっちめてやったから!!」
……だから。
何で、そんな元気なんだよ。
なぁリコ、その人たち、死んでるんだよ。
俺は、もう一度、床に転がる男たちを見る。
ピクリとも動かない。
血の匂いが、空気に混ざっている。
リコはヒューズだ。
そんな簡単なこと、忘れてたわけじゃない。
ただ――
リコは人間を殺さない。
そう、俺が勝手に信じ込んでいただけだった。
「……?」
リコは困った顔をした。
「ほんとにどうしたの?」
俺の顔を覗き込む。
「しゅう、嬉しくないの?」
首を傾ける。
「この人たち、しゅうをいじめたんでしょ?」
少し間を置いて、小さな声で言った。
「……なんで、そんな悲しそうな顔するの?」
「リコ、なんか悪いことしちゃったのかな?」
その顔は、心底わからないという表情だった。
ああ。
本当に、わかってないんだ。
リコは。
どこまでも純粋で。まっすぐで。眩しくて。
そして、危うい。
このままここにいれば、きっと俺たちは見つかる。ヒューズを匿った人間。人間を殺したヒューズ。
どっちも捕まって、罰を受ける。
いや――きっと、その前に。
リコがまた誰かを殺す。死体が増える。
そんな気がした。
だから俺ができることは、ひとつしかない。
「……リコ」
ゆっくり言う。
「逃げよう」
リコは目を瞬かせた。
「? なんで?」
周りを見回す。
「せっかく見つけた、いい隠れ家だったのに?」
不満そうに唇を尖らせる。
「まだ一週間も住んでないんだよ?」
その瞬間。
胸の奥で、何かが切れた。
「っ……!!」
思わず声が強くなる。
リコがびくっと肩を震わせた。
「……なんで」
リコの声が、小さくなる。
「なんで、そんなに怒ってるの……?」
目が揺れている。
「ごめん……」
視線を落とす。
「私、わかんないの」
ぽつりと呟く。
「しゅうが怒ってる理由……」
ぎゅっと手を握る。
「わかってあげたいのに……」
そして、小さく頭を下げた。
「……ごめんね」
リコは、本当に申し訳なさそうに項垂れていた。
「リコ」
俺はゆっくりと言った。
「人間はな……殺しちゃいけないんだ」
リコはきょとんとした顔をした。
「……?」
それから、床に転がる男たちを見た。
「この人たち……死んでるの……?」
俺の手が、震えた。
……そうか。
そうだよな。
そんなこと、リコがわかるわけない。
だってこいつ、自分の仲間であるヒューズを躊躇いなく壊すやつだ。機械を壊すのと同じ力で殴ったら、人間なんて簡単に壊れる。
でも――
リコはそんなこと、知らない。
人間がどれだけ弱いかなんて。
「……私」
リコは小さく呟いた。
「やっちゃいけないこと……しちゃったの?」
俺の顔を見上げる。
「だから、しゅう……怒ってるの?」
声が震えていた。
「ごめん……」
ぎゅっと拳を握る。
「私、しゅうが喜んでくれるかなって思って……力加減……できなかった」
ぽつりと言う。
「ちょっと、ボコしてやろうと思っただけだったの……ごめんね」
そして小さく続ける。
「所詮はヒューズだもんね。はは……自分は他と違うって……そう思ってた」
肩がわずかに震える。
「自惚れだったみたい」
その顔を見た瞬間。
俺は、リコの手を掴んでいた。
「逃げるぞ」
リコが顔を上げる。
「ここにいたら、危ない」
リコは少し黙ってから言った。
「……危ないのは、わかった」
それから、ゆっくり首を振る。
「でも、しゅう」
俺を見つめる。
「私のこと……怖いよね」
胸が詰まる。
「こんなヒューズと一緒にいるの、やめた方がいいよ、しゅうのためにならない」
視線が落ちる。
「私……人殺しだよ。悪いことをしたんだよ。もう、取り返しつかない」
その言葉を聞いた瞬間。俺は叫んでいた。
「だから逃げるんだよ!!」
リコが驚いて目を見開く。
「俺はな……酷いやつだから、そんな男どもが死んだってどうだっていい!!お前が人殺してまで俺を守ったことに怒ってんだよ!!俺のせいで……お前が傷ついたことに怒ってんだよ!!」
沈黙が落ちた。
リコはしばらく黙って――
ぽつりと言った。
「……ほんとに酷いやつだ。」
俺は肩をすくめた。
「そうだよ。案外、人間の方が酷いんだ」
リコは首を横に振った。
「だったら、しゅうは共犯者になっちゃうよ。私を匿ってたって。私……しゅうに捕まってほしくない」
そして、静かに言った。
「一人で逃げて」
「……は?」
思わず声が出た。
リコは続ける。
「本当はね、もうそろそろ、機関の方に行こうと思ってたの」
俺の心臓が止まりそうになる。
「私には、やるべきことがあるから」
小さく笑う。
「でも、そこにはしゅうは連れてけない。ちょうどよかったんだと思う」
少し寂しそうに。
「ここで……さようなら」
勝手だ。
我儘だ。
俺のこと拾って。
今度は捨てるのか?
……違う。
リコは、俺を守ろうとしている。
地上はヒューズが徘徊しているとはいえ、これだけ人が死ねば、保護地区や機関の奴らが気づく。終わってる世界のくせに、犯罪者だけはちゃんと捕まえるルールがあるらしい。
リコは、罪を全部背負うつもりなんだ。
「……これ」
リコが小さな装置を差し出した。
「このメモリに地図のデータがある、ここに行って」
ホログラムの地図が浮かぶ。
「とある人の隠れ家でね、当の本人は、もう亡くなってるんだけど。きっと、しゅうの役に立つから」
「……やめろよ」
声が震える。
「行くなよ」
止めたいのに。傷のせいで体が動かない。なんでだ。どうしてだ。
リコは、俺をまっすぐ見て言った。
「しゅう」
彼女は微笑む。
「私……しゅうに会えてよかった」
それから、少しだけ考えて言った。
「あと一つだけ。私の我儘、聞いてくれないかな?」
俺は顔をしかめた。
「あと一つって、ずっと我儘だろうが」
リコはくすっと笑った。
「私がいつも歌ってる歌、あの歌を歌ってる人がいたらその人のこと、助けてあげてほしい。あの曲はね、私の大好きな人にしか歌わない、特別な歌だから」
……あの歌だ。
母さんの墓の前で歌ってくれた歌。
俺も好きで、よくリコに歌ってくれって頼んでいた。
「なんかね、映画の曲なんだって。映画の最後にしか流れなくて、本編見ないと聞けないの!!」
笑う。
「私は映画なんて見たことないけど」
胸を叩く。
「私を作った人がこの曲好きだったから、メモリに入れたみたい!!」
……なんで。
……なんで笑ってんだよ。
お前、機関に行ったら最悪、壊されて廃棄処分だぞ。わかってんのか?
リコは俺に近づいてきてそっと、額にキスをした。
「じゃあね」
小さく手を振る。
そして、振り返らずに歩いていった。
瓦礫の向こうへ。
その背中が、小さくなっていく。
俺は動けなかった。
ただ立ち尽くしていた。
それ以降――
リコの姿を、俺は二度と見なかった。




