↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/13

第8話 ガランガルの香りとDJ乙姫③


 瑞樹くんはすぐに頷いた。


「そうですね。僕は、男性が好きです」

「そっか。やっぱり、そうなんだ」


 安心するのと同時に、なぜか、ちょっと寂しいような。


 私は百合で女性が好き。

 瑞樹くんは女になりたいから男性が好き。


 私たちは「マイノリティ」という点では同じ場所に立っているけれど、向いている方向は正反対。パズルのピースは、永遠に噛み合わない。


 別に今、瑞樹くんのことが好きってわけでは全くないけれど、このまま彼がさらに女性のようになったとしたら……。振られたパートナーにどこか似ている彼のことを好きにならないとは限らない。

 でも、その逆は、ないということだ。


 それは、最高に安全な結論だった。絶対に交わらないからこそ、傷つくことも、関係が壊れることもない。私たちは、永遠に平行線のまま、隣り合って歩いていけるマイノリティの戦友になれるのだ。

 氷が溶けきったウォッカ・ライムを飲み干し、私は腕時計に目をやった。


「そろそろお開きにしよっか。これ以上飲むと、明日の業務に支障が出るわ」

「ですね。今日は本当に……ありがとうございました、助けてくれただけじゃなくて、色々と愚痴も聞いてもらっちゃって」

「上司だもの。当然。これからも何かあったらなんでも相談して。ドヤ」

「自分で言ってるじゃないですか!」


 クスクスと笑い合いながら、私は心のどこかで、ふっと静かな寂しさを覚えていた。これ以上踏み込めないし、踏み込まれることもない。その絶対的な安全圏の距離感が、今の私には少しだけ安心であり、少し寂寥を覚えるのだ。



 タイ料理店を出て駅に向かって歩きながら、私は今日という長くて濃密すぎた一日を心の中で整理していた。

 多目的トイレでの着替え。スポブラの調達。パサパサのカロリーメイト。タイ料理屋での切ない語らい。

 本当に、キャパオーバーの一日。私の中に芽生えかけた小さな感傷も、自分の立ち位置を理解したことで、この夜風に紛れて綺麗に消え去っていった(はずだ)。

 駅前広場に辿り着いた。酔客の笑い声、客待ちタクシーの列、家路を急ぐ無数の足音。繁華街のネオンが、濡れた路面に極彩色の影を落としている。


 改札前。

 私がスマホをかざして彼に向き直り、


「じゃあ、また明——」


 言いかけた、その瞬間だった。

「あの、遥さん。……少し、いいですか」


 その喧騒の中でもしっかりと聞こえるような、真剣な声が私を呼んだのだ。

 振り返ると、そこには街灯の逆光を背負った、整いまくった顔面がある。


 彼は酔っている様子もなく、むしろ仕事中よりも真剣な面持ちで、背筋をピンと伸ばして私を見つめていた。

 その真っ直ぐすぎる視線に、私は思わず身構えてしまった。


「え、なに? 忘れ物?」

「いえ。……今度の日曜日、お時間いただけませんか?」

「は?」



(——というわけで、冒頭のパニックに戻るのだ)



「……今度の日曜日、お時間ありませんか?」

「会社じゃなくて……プライベートで。会ってほしいんです」

「えっと、なんで????」


 思考がショートした私は、バカみたいに素っ頓狂な声を出してしまった。

 なんでそうなる。さっきバーで「私たちは永遠に交わらない平行線だから安全ね」って、私の中でめちゃくちゃ綺麗に結論づけたばっかりじゃない。なんで休日にわざわざプライベートで会う流れになる???


 私が戸惑って問い返すと、彼は少し恥ずかしそうに、でも凛とした声で言った。


「見せたいんです。……ちゃんとした服で、本当の僕……いや、私の姿で、遥さんに会って、ちゃんとお礼が言いたいんです」

「……本当の、私?」


 オウム返しに呟いてから、数秒遅れて脳内にその言葉の意味が滑り込んできた。


「あっ」

「はい」

「それって、つまり……」

「……」


 私が恐る恐る指を差すと、瑞樹くんは少し頬を染めながら、コクンとはにかむように頷いた。


 ——つまり、あの「男性用スーツ」という窮屈な擬態を完全に解いた、フルスペックの女の子の姿で現れるということか!!


 いやいやいや! 待て待て待て!


 男性の姿でさえ、これだけ整いまくった圧倒的美少年なのだ。そんな素材の暴力みたいな子が、本気でメイクして、本気で可愛い服を着てやって来たらどうなる!?


 さっき「私は女性が好き。あなたは男性が好き。だから私たちは安全!」って自分に言い聞かせたばかりなのに!

 もし私がそのフルスペックの姿を見て、不覚にも『女』としてガチでときめいちゃったらどう責任取ってくれるのか。


 脳内で非常ベルがガンガン鳴り響く。

 けれど、「これからも何かあったらなんでも相談して」、などと言った手前、むげに断れるはずもなく、、、


「……わ、わかったわよ。会うのは、別にいいけど」

「本当ですか!」

「その代わり、ただのなんちゃって、みたいな中途半端な格好で来たら、私、容赦なくダメ出しして帰るから」


 私がわざと意地悪くプレッシャーをかけると、瑞樹くんは怯むどころか、口元に余裕の笑みを浮かべた。


「ふふっ。望むところです。遥さんこそ、覚悟しておいてくださいね。僕の『|

本気《フルスペック》』を見て、あまりのガチさに驚かないでくださいよ?」


 ニヤリ、と。


 彼——いや、彼女が見せるその不敵な笑みに、私は素直に戦慄する。


(……やばい。この子、自分がどれだけハイスペックな素材か、完全に自覚してるタイプ)


 ただの美少年だと思っていたのに、まさかこんな自信たっぷりの顔を見せてくるとは。さらに瑞樹くんの新たな一面を知った気がした。


「言ったわね。日曜のスケジュール、あとでチャットで送るから」

「はい! 楽しみにしてます!」


 これ以上言葉を交わしたらボロが出そうな気がして、私は詳細な時間や場所も決めないまま、逃げるように彼に背を向けて改札をくぐった。


 振り返らなくても、背中に彼の楽しげな視線を感じる。


 まずいまずい、と思いつつも、私は心臓を柄にもなく、甘くけたたましく鳴らせながら駅の階段を昇って行った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。