第五話 吉田政重、立つ
天正十年十一月。
阿波より戻った長宗我部元親から、岡豊へ参るよう召しが届いた。
「父君の跡目でしょうな」
岡豊へ向かう馬の背で、玄蕃が言った。
「それを決めるだけなら、易いのだがな」
政重は山上の城を見た。
問われることは分かっている。父の跡目。討死した家々の扱い。馬ノ上へ縄を入れ、畑山兵部を斬らなかったこと。
分からぬのは、元親がその答えから何を見ようとしているかだった。
長宗我部元親。
前世の東洋にとって、その名はすでに結末まで書かれた歴史であった。土佐をまとめ、四国へ兵を進め、やがて国を失う。吉田政重もまた、最後まで旧主に従う。
だが今、その男は阿波から戻ったばかりで、四国の覇すら手にしていない。
手綱を持つ手は揺れず、馬上の腰も崩れなかった。主君の前へ出ることを、この身体は知っているらしい。
槍を避ける時には、身体が先に動いた。
だが元親が何を見抜くかまでは、教えてくれなかった。
◆
岡豊城の一室に、元親は近習数人を控えさせていた。
面長の顔は日に焼け、頬に余分な肉がない。薄い口髭にも、声にも、戦場帰りの荒々しさはなかった。
ただ目だけが、答えだけでなく、答えるまでの間まで量っていた。
政重は元親の前へ進み、両手をついた。
「阿波表の御勝利、御帰陣、まことにめでたく存じ奉ります」
「うむ」
元親は、平伏する政重をしばらく見ていた。
「されど、そなたには、めでたきばかりの戦ではあるまい」
政重の額は、畳についたままだった。
「顔を上げよ、勝五郎」
政重が顔を上げる。
「俊政は、わしの戦で死んだ」
元親は静かに言った。
「よう働いた。惜しい男を失うた」
「ありがたき御言葉にございます」
「俊政の功により、吉田の家は潰さぬ。されど、誰に任せるかは別の話じゃ」
元親の前には、吉田家から差し出した報告が置かれていた。
「俊政を含め、討死八人。今出せる槍も八本減った。それでも軍役の帳から落ちた家は一つもない」
「はい」
「秋の納めも、見込みは変わらぬとある。数を飾ったか」
「飾っておりませぬ。軍役を止めた家はございます。潰した家はございませぬ」
「違いは何じゃ」
「討死した者の妻子を田から追い出さず、親類にも手を借りて刈らせました。跡を継ぐ者が育つまで軍役を止めます。今、倅を田から追えば、来年の米も、十年後の槍も失います」
「慈悲か」
「算用にございます」
元親は報告を一枚めくった。
「馬ノ上では、そなたへ槍を向けた者を残したそうじゃな」
「安芸の遺臣にございます」
「なぜ斬らなんだ」
「一人を斬って、十人の怒りを刃にしてはなりませぬ」
「逆らう者を生かす方が危うかろう」
「武具を取り上げ、差配を禁じ、身柄を預かっております。再び刃を取れば、次は首を取ります」
「赦したのではないか」
「斬るより、働ける形で残しました」
政重は元親を見た。反駁も怒りも見せぬ。少なくとも、耳に痛いというだけで言葉を斬る男ではないらしい。
「国を壊す刃は、外から来るとは限りませぬ。むしろ内から出る刃の方が、深く入ります」
元親はすぐには答えなかった。
報告を押さえていた指が止まり、細い目が政重を見据える。京で織田信長が家臣の明智光秀に討たれてから、まだ半年も経っていない。
「それは、本能寺も同じと申すか」
その問いに、二百七十年後の夜が戻った。
高知城二ノ丸で、若い藩主山内豊範を前に、『日本外史』と『信長公記』を開き、本能寺の変を講じた。
宿所の油断。兵の配置。家臣の用い方。
一つずつ剥いでいった先に、東洋は光秀より先に信長を倒していたものを見た。
「信長公は、明智の刃に斃れたのみにあらず」
あの夜、豊範へ語った言葉が、そのまま口から出た。
「その前に、己が政の隙に斃れております」
元親の顔から、わずかに残っていた笑みが消えた。
「では、わしにも隙があるか」
「ございます」
近習たちの視線が一斉に政重へ集まった。衣擦れが重なり、部屋の空気がわずかに揺れた。
元親だけは動かなかった。
「どこじゃ」
「御戦の速さに、勝った後の仕置が追いついておりませぬ」
「何が足りぬ」
「討死した者の家を残し、降った者の恨みを鎮め、取った田から再び米と兵を出させる算用にございます。このままでは、四国を取る頃には土佐が痩せます」
「そなたは、わしが四国を取ると思うか」
「恐れながら、阿波まで進んだ御方が、土佐一国に留まるとは存じませぬ」
「四国を取れば、それで足りる」
足りると思っている者の目ではなかった。元親は答えを示したのではなく、政重がどこまで先を見ているか試している。
政重は、言葉を急がなかった。
「まことに、足りるのでございますか」
元親の目が細くなった。
「一つ、伺いたき儀がございます」
「申せ」
「宮内少輔様は、天下をお取りになるおつもりがございますか」
息を呑む気配が重なった。畳の上で膝が動き、声になる前のざわめきが室内を満たした。
「勝五郎、控えよ」
年嵩の家臣が低く制した。
「よい」
元親の一言で、気配が沈んだ。
しばらく、誰も動かなかった。
「勝五郎」
「はい」
「そなた、わしを量っておるな」
「御無礼を」
「否とは申さぬか」
「申せませぬ。吉田家の行く末を託す御方にございます」
元親の口元が、わずかに緩んだ。
「わしが天下を取ると申せば、何をする」
「取った国から、人と米が逃げぬ仕置を整えます」
「取らぬなら」
「土佐が内より崩れぬ政をいたします」
「結局、口を出すか」
「黙って国を痩せさせるよりは」
言葉が落ちた途端、室内から音が消えた。近習たちの視線が刺さり、誰かの膝が畳をわずかに鳴らした。
そこで政重は、ようやく己がどこまで踏み込んだかに気づいた。
名剣にして、鞘なし。
東洋の悪い癖は、十五の身になっても抜けていなかった。
元親はしばらく黙っていたが、やがて低く笑った。
「俊政の倅は、槍ばかりの若武者と聞いておったが、天下の皮算用まで始めるか」
近習たちの間に張っていたものが、わずかに緩んだ。
「天下を口にするには、まだ阿波の泥も乾いておらぬ」
元親は笑みを収めた。
「まずは四国じゃ。されど、取るたび国が痩せては、四国にも届かぬ」
「はい」
「そなたの算用、見せてみよ」
元親は報告を閉じた。
「吉田俊政の跡目、勝五郎に相違なし。旧領も欠けなく、そなたへ預ける」
「ははっ」
政重は両手をついた。
「検地の帳の写しを持ち、月に一度、岡豊へ出よ」
その目は、もはや家督を量るものではなかった。
政重は顔を上げた。
「勝った後に何を残すか。その算用を、わしの前で続けてみよ」
「承知いたしました」
暗殺の夜、東洋は信長の政の隙を説いた。その帰り道、己もまた、内から出た刃に斃れた。
今、同じ言葉を元親へ向けた。元親は刃を返さず、その言葉を役目に変えた。
父は戻らない。討死した者たちも戻らない。それでも、家と田と、その名は残った。
東洋として果たせなかった政を、これからは政重として始めればよい。
中富川では、まだ立てなかった。
元親の声が落ちた。
「立て、政重」
吉田政重は、立った。
やがて岡豊宰相と呼ばれる男の、その歩みが始まった。
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【史実解説】
■四国の覇者・長宗我部元親
長宗我部元親は、岡豊城を本拠とした土佐の戦国大名です。永禄四年(1561)頃に父・国親の跡を継ぎ、土佐国内の諸勢力を従えたのち、阿波・讃岐・伊予へと兵を進めました。「宮内少輔」は、元親が家督を継いだ頃から用いたことが史料によって確認される官途名です。
天正十年(1582)、元親は阿波へ侵攻し、中富川合戦で十河存保らの軍勢を破りました。さらに三好方の拠点であった勝瑞城を落とし、阿波での勢力を大きく広げています。
この時点の元親は、後世に知られる四国の覇者へ至る途上にありました。その後も四国各地へ勢力を広げますが、三年後の天正十三年(1585)、豊臣秀吉の四国攻めを受けて降伏し、土佐一国を安堵されることになります。




