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岡豊宰相 ~幕末の改革者、戦国に還る~  作者: 曽我部穂岐
第八章 天下問答

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第一話 割れた茶碗

 大坂城。


 夏の日差しが、白壁を強く照らしていた。


 城下から上がる人声も、この奥座敷までは遠い。開け放たれた障子の向こうでは、庭の木々がほとんど動かず、蝉の声だけが途切れず続いている。


 茶筅が、茶碗の底を細かく走った。


 秀吉は手を止め、泡の立ち具合を眺めた。


 釜の湯が低く鳴り、点てたばかりの茶の香が座敷に薄く漂っている。


 頭にあるのは、四国の国割だった。


 伊予は小早川隆景へ与える。これはすでに約した。

 残る阿波と讃岐をどう割るか。元親には土佐をどこまで残すか。嫡男の信親をどう扱うか。


 四国を平らげた後、九州へ兵を向けることまで考えれば、海を使える者をどこへ置くかも軽くは決められない。


 秀吉は茶碗を取り上げた。


 廊下を走る足音がした。

 すぐに近習の声が重なる。


「殿下、四国より急使にございます」

「後にせい」


「急報にございます!」


 秀吉は茶碗を回した。


「急報なら美濃守へ送れ。左衛門佐(さえもんのすけ)もおる。後じゃ」


 茶碗を口元へ運ぶ。


 障子の向こうが一瞬、静まった。


 それでも、声は引かなかった。


「畏れながら、申し上げます!」


 息が切れている。


「白地にて、美濃守様の御本陣が崩れました!」


 秀吉の手が止まった。


「何じゃと……」


「御馬印を見失い、美濃守様の御行方、分かりませぬ!」


 茶碗が落ちた。

 畳へ当たり、二つに割れた。

 茶が跳ね、手と膝を濡らした。


 秀吉は熱さにも気づかぬまま立った。


「入れろ!」


 膝前の柄杓が畳に散った染みの中に転がる。


 障子が開く。

 泥と汗にまみれた使者が、転がるように座敷へ入り込んだ。


 秀吉は座らせる暇も与えなかった。


「小一郎は!」

「分かりませぬ。御本陣が崩れた後、御馬印も見えなくなり、討死なされたと申す者もあれば、山際へ落ち延びられたと申す者もおりまする」


「小一郎を見た者は!」

「確かな者がおりませぬ。御馬を失われたとも、長宗我部勢に囲まれたとも」


「首は!」

「上がっておりませぬ。御骸も見つかっておりませぬ」


「では、なぜ討死と申す!」


 怒声が座敷を震わせた。

 使者が額を畳へつける。


「御馬印が倒れた後、陣中にその声が広がりまして。されど、山へ入られたと申す者も、敵中へ馬を駆けられたと申す者もおり、誰に聞いても話が違いまする」


「探したのか!」

「夜まで人を出しております。今も探索は続いておりまする」


「ならば探せ! 山も谷も、草の根を分けてでも探せ!」


 使者がさらに頭を下げた。


 秀吉はその前を二歩、三歩と歩いた。


「小一郎……」


 声が掠れた。


 さきほどまで考えていたのは、四国を誰に与えるかだった。


 その四国で、弟が消えた。


 秀吉が額を押さえた。


「討たれたなら首があろう。落ち延びたなら供がおろう。なぜ誰も分からぬ」


 答える者はいない。

 しばらく荒い息だけが続いた。


 やがて、秀吉が顔を上げた。


「毛利は――左衛門佐は、何をしておった」


 使者が言葉を詰まらせた。

 その僅かな間を、秀吉は見逃さなかった。


「何じゃ」

「西口からの報せも、まだ定まりませぬ」


「申せ」


「小早川左衛門佐様も、御行方が分からぬとのことにございます」


 秀吉の顔が固まった。


「……何?」


「毛利の御勢は残っておりまする。されど、左衛門佐様の御本隊が川之江方へ陣を下げられる途中、久武、金子、河野の兵が相次いで現れたと」


 秀吉は黙っている。

 使者は続けた。


「御馬が倒れたとの者がおります。徒歩で山際へ向かわれたとの者も。河野勢と槍を交えられた後、姿が見えなくなったとも」


「首は」

「届いておりませぬ」


「骸もか」


 使者は頭を下げたまま、頷いた。


 秀吉は動かなかった。


 弟一人なら、戦場の混乱で説明できた。


 馬が倒れることもある。

 供とはぐれることもある。

 誤って討死の噂が流れることもある。


 だが、東と西で同じ日に二人。

 しかも、二人とも軍そのものが潰れたわけではない。


「……待て」


 秀吉が呟いた。


 今度は誰に向けた言葉でもなかった。

 荒れていた息が、少しずつ戻っていく。


「美濃守の軍は」

「御本陣は崩れましたが、御勢の多くは残っておりまする。秀次様が兵をまとめ、白地東方より退き、列を整えつつあるとのこと」


「左衛門佐もか」

「毛利方も大半は残っております。吉川元長殿が諸勢をまとめ、川之江方面で陣を立て直しております。ただ御本人のみ、所在が」


 秀吉の目つきが変わった。


「絵図を持て」


 近習が走る。


 ほどなく四国の絵図が広げられた。

 割れた茶碗も、濡れた畳もそのままだった。


 秀吉は絵図の前へ膝をつく。


「大坂峠から申せ」


 使者が顔を上げた。


「美濃守様は大坂峠にて進軍を阻まれ、数日を費やされました。その後、長宗我部勢は引田へ退き」


 秀吉の指が動く。


 大坂峠から、引田へ。


「引田でも戦ったな」

「仙石秀久様が先鋒となり、長宗我部信親勢と交戦。敵は兵をまとめて退きました」


「その後は」

「吉野川沿いを西へ。昼間、池田と退いております」


 指が川を遡る。

「阿波では、羽柴方へ移った城も多くございます」


「兵は残ったか」

「大きく崩れたとの報せはございませぬ」


 秀吉の指が止まった。


「西を申せ」

「左衛門佐様は伊予へ入り、東予の高尾城を落とされました。されど久武勢は城を出て南へ退き、金子勢も兵を残しておりまする。河野勢は姿を見せぬまま」


「西讃は」

「香宗我部親泰、香川親和が兵を保ったまま、伊予境の川之江へ退いておりました」


 秀吉は返事をしなかった。


 大坂峠。

 引田。

 吉野川。

 池田。


 反対から、高尾。

 川之江。

 

 勝ったという報せは、大坂へいくつも届いていた。


 峠を越えた。

 城を取った。

 敵を退かせた。


 そのたび、四国の国割を一つ先へ考えた。

 だが、絵図の上に残ったものは別だった。


 取った城の後ろから、兵が消えている。


 死んだのではない。

 降ったのでもない。

 徹底して退いている。


「……これは」


 秀吉の指が、大坂峠から引田を経て、吉野川を西へ進む。


 もう一方の手が、高尾から東へ動いた。


 二本の指が白地で止まった。


 座敷から音が消えた。


「退かされたばかりではないな」


 誰も答えない。

 秀吉はもう一度、東から西へ指を滑らせた。


「大坂峠で日を使わせた。引田でも兵を残した。城は渡しても、人は渡さなんだ」


 今度は西を見る。


「高尾も同じじゃ。久武は城と一緒に死なず、兵を抜いた。親泰も西讃から伊予まで下がった」


 指先が白地へ戻る。


「元親め……」


 怒鳴り声ではなかった。

 秀吉は白地を押さえたまま、しばらく動かなかった。


「ここへ集めてきおったのか」


 近習が息を呑む。


 秀吉は首を振った。


「違うな」


 目が細くなる。


「白地で戦するためだけではない」


 東西から白地へ集まった二本の線を見る。

 その中心で、秀長と隆景が消えた。


「四国の戦を、白地の一戦にしてしまいおったか」


 使者が顔を上げた。


 秀吉はもう見ていなかった。

 頭の中では、別のものが繋がり始めている。


 二軍とも壊滅していない。

 美濃守の首はない。

 左衛門佐の首もない。


 それなのに、二人だけが見つからない。


 秀吉の指は、白地の上で止まったままだった。



◆


 それから三日後。大坂城。

 秀吉は再び、四国の絵図を前にしていた。


 この三日の間に、秀吉は四国へ矢継ぎ早に命を飛ばしていた。

 秀次には羽柴勢を池田東方まで下げて陣を固めさせ、吉川元長には毛利勢を川之江まで退かせた。


 そこから先へは退くな。

 されど、白地へも踏み込むな。


 両軍とも、まだ数では長宗我部を圧している。

 ここで崩してしまう理由はない。

 

 秀長も、隆景も、消息はまだ掴めていない。所在が定まるまで、勝手な奪還戦は許さなかった。


 白地の上には、何の印も置かれていなかった。


 廊下から早足が近づき、障子の前で止まる。


「殿下」


 秀吉が顔を上げた。


「長宗我部宮内少輔より、使者が参っております」


 秀吉の目が、ゆっくりと絵図へ戻った。


 白地を見たまま、口を開く。


「……通せ」



お読みいただき、ありがとうございました。

創作の励みになりますので、評価・感想をよろしくお願いいたします。


【史実解説】

■秀吉が考えていた「四国の国割」

史実では天正十三年(1585)七月中には元親の降伏が間近となり、八月に四国征伐が完了、八月六日には四国の分封が実施されています。


大まかには、

土佐 長宗我部元親

阿波 蜂須賀家政

讃岐 仙石秀久

伊予 小早川隆景

という配置になりました。


長宗我部元親は四国の大部分を一時その勢力下に置きながら、秀吉への降伏後は土佐一国の領有を許されました。


讃岐は仙石秀久に与えられましたが、そのうち二万石は十河存保の支配となったと伝えられています。


阿波については、秀吉は当初、古くからの家臣である蜂須賀正勝に与える考えだったとされます。しかし正勝が辞退し、嫡男の蜂須賀家政が阿波を拝領しました。

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