第二話 縄を解く
天正十三年七月二十五日。
先日まで白地を包んでいた戦の音は、ひとまず止んでいた。
城内に残るのは、負傷者を運ぶ戸板の軋みと、庭先で具足を洗う水音だった。桶へ落ちた血が薄まり、土の上を赤黒く流れていく。塀の向こうでは馬が鳴き、ときおり城外を見張る兵の声が飛んだ。
羽柴も毛利も、まだ大軍を残している。
本丸の座敷には、長宗我部元親を中心に信親、香宗我部親泰、久武親直が座り、その左右には福留儀重をはじめ、一門や重臣たちが居並んでいた。政重もその末席にいる。
親泰の隣だけが、一人分空いていた。
廊下から足音が近づく。
障子が開いた。
最初に入ってきたのは羽柴秀長だった。
具足はなく、小袖の肩へ白布が巻かれている。両腕には縄。頬にはまだ泥が残り、ほとんど眠っていないのか、目の下が黒い。
その後ろから小早川隆景が入った。
こちらも具足を外され、額に乾いた血が一筋残っていた。両手を縛る縄だけは秀長と同じだった。
二人が並んで座らされる。
秀長は正面の元親を睨んだ。
隆景は違った。
ゆっくりと座敷を見渡す。
親泰。久武。金子。河野。
最後に元親へ目を戻した。
「……見事な策にござった」
秀長が横を向いた。
「褒められるか」
「負けたのでございます。見事なものは、見事と申すほかありますまい」
隆景の声は静かだった。
元親が浅く頭を下げる。
「左衛門佐殿にそう申していただければ、命を賭した者も喜びましょう」
一瞬だけ、座敷が静まった。
秀長は縄の掛かった手を膝へ置く。
「わしは、とてもそのような気にはなれぬ」
「美濃守殿らしい」
「そなたが物分かりよすぎるのじゃ」
「腹を立てても、縄は解けませぬ」
秀長が鼻を鳴らした。その目が、座敷の端で止まる。
「……存保殿」
十河存保が顔を上げた。
「美濃守殿」
「また、そなたか」
「御縁があるようで」
「嬉しくない縁じゃな」
秀長は存保をしばらく見た。
「十河は降った」
「左様にございます」
「城も開いた。家督も倅へ譲った。わしはその降伏を認めた」
「それも承知しておりまする」
秀長の眉が寄る。
「ならば、なぜ戻った」
存保は少しだけ笑った。
「借りを返すためと、その先を見たくなったからにございます」
「その先?」
「一度は終わったと思うた命にございます。それがまだ続いておる」
自分の胸を軽く叩く。
「ならば、どこまで続くものか。少しくらい見てもよかろうと思いましてな」
「その先に、縄を掛けられたわしがおったか」
「そこまでは読めませなんだ」
秀長はしばらく存保を睨んだ。
「死に損なった男というのは、面倒なものじゃな」
「近頃、某もそう思いまする」
秀長は小さく息を吐いた。それ以上は聞かなかった。
隣では、隆景の目が河野通直へ向いていた。
河野と毛利は婚姻によって深く結ばれている。隆景にとって通直は、ただの敵将ではなく、以前から気に掛けてきた若い当主でもあった。
「……変わられましたな」
通直が目を上げる。
「何がでございましょう」
「以前は、何か決めるたびに周りを見ておられた」
通直は少し黙った。
「今は?」
「わしの退路を塞がれるほどになられた」
隆景の声に、僅かな笑みが混じる。
通直はその目を正面から受けた。
隆景はしばらく通直を見つめた。
「御自分で決められるようになられたか」
「遅うございましたが」
「いや」
隆景は僅かに笑った。
「間に合ったのでござろう」
通直もほんの少し口元を緩める。
「捕らえた相手から頂くには、複雑なお言葉ですな」
「ならば、縄が解けてから喜ばれよ」
その言葉が終わったところで、低い声が座敷を切った。
「畏れながら、御屋形様」
久武親直だった。
「何じゃ」
「この御両所、首を頂きましょう」
空気が変わる。
秀長の顔から先ほどまでの苦い笑みが消えた。
隆景は動かなかった。ただ、久武を見る目から笑みだけが消える。
「秀次はなお兵を持っております。吉川元長も同じ。御両所を生かして置けば、必ず取り返しに参りましょう」
「来るだろうな」
「そのたびに、こちらも兵を割かねばなりませぬ」
久武は二人を見た。
「今なら取れます」
秀長の手首で縄が軋んだ。
「首を二つ、大坂へ送りましょう」
誰も口を挟まない。諸将の中には静かにうなづく者もあった。
「親直」
「御屋形様」
「もうよい」
「されど」
「首を取るなら、生け捕っておらぬ」
久武は動かなかった。
元親としばらく目を合わせ、やがて頭を下げる。
「承知いたしました」
元親が秀長と隆景へ向き直った。
「美濃守殿。左衛門佐殿」
二人が見る。
「戦場では、随分と無礼をいたした」
「今さらであるな」
秀長が吐き捨てた。
「左様」
元親は近習へ顎を向けた。
「縄を解け」
秀長が顔を上げた。
隆景の眉も僅かに動く。
近習が秀長の前へ膝をつき、固く締まっていた縄を解いた。赤く擦れた手首が現れる。
次いで隆景。
二本の縄が畳へ落ちた。
秀長は手首をさすった。
「何の真似じゃ」
「これより御両所は、客人として遇する」
「客人を縄で連れてくる家があるか」
「逃げられては困りますのでな」
隆景が畳の縄へ目を落とした。
「では、これよりは逃げてもよろしいので」
「城門を出られれば」
「これはまた、難しい客分でござる」
元親の口元が少し緩んだ。
「傷を診せよ。湯を使わせ、衣も替えさせよ。膳にも粗略があってはならぬ」
近習が頭を下げる。
「白地はまだ戦場じゃ。御両所には岡豊へ移っていただく」
秀長が目を細めた。
「土佐まで連れて行くか」
「ここよりは静かにござろう」
「牢へか」
「客間へ」
「見張り付きの」
「当然にございます」
秀長は呆れたように息を吐いた。
隆景は元親をしばらく見ていた。
「御厚情、忘れぬようにいたしましょう」
「それはありがたい」
二人が立つ。
手に縄がなかった。
障子が閉じ、足音が遠ざかっていく。
しばらくして、元親が久武を見た。
「親直」
「はい」
「いつも済まぬな。誰かがやられねばならぬ役だ」
「好かれようと思うたことはございませぬ」
政重は、親直の横顔にかつての自分を見た。
土佐藩参政、吉田東洋。
古い仕来りを切り、人を退け、必要とあれば恨まれる役も引き受けた。好かれる必要などない。藩にとって正しいことを通せばよい。そう思っていた。
そして最後には、その恨みが刃になって返ってきた。
親直は、それを承知で同じ役を引き受けている。
ただ一つ違うのは、目の前の主君が、その役を誰が担ったのか知っていることだった。
政重は何も言わなかった。
久武も、それ以上は言わない。
元親も口を閉じた。
畳には二本の縄だけが残っていた。
◆
翌朝、まず隆景が白地を発った。
秀長が城門を出たのは、それから半刻余り後だった。
二人を同じ一行には置かない。それぞれに護衛を付け、馬と駕籠を用意した。傷が痛めば足を止め、宿では上座を与えた。食事も粗末にはしなかった。
数日後、二人は岡豊城へ入った。
別々に部屋が与えられ、医師が付き、湯と衣が用意された。膳には元親らと変わらぬものが並んだ。
城外へ出ることだけは許されない。
人質であることに変わりはなかった。
それでも、白地で掛けられた縄は、それきり二人の手に戻らなかった。
後に秀長は、岡豊で過ごした時のことを秀吉に問われ、
「白地の縄より、岡豊の膳の方が、よう堪えたわ」
と苦笑したという。
隆景は、ただ一言、
「敵の馳走というものは、後に残りまする」
と語った。
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【史実解説】小早川隆景と河野通直
河野氏と毛利氏の関係は以前から深く、軍事・外交の両面で協力関係を持っていました。河野方の来島・村上水軍が毛利方の戦いに加わったこともあり、瀬戸内海を挟んだ両家の往来は長く続いています。通直の側室は毛利元就の孫娘であり、河野家と毛利家が婚姻でも結ばれていました。
また、天正十三年(1585)三月ごろの河野通直書状には、来島方の船への対応について「隆景御異見」を受けたことを示す記録があります。つまり秀吉の四国征伐が本格化する以前から、通直が伊予をめぐる問題について隆景の意見を受ける関係にあったことが分かります。
しかし同年六月、秀吉は伊予一国を隆景に与えることを約束しました。隆景は毛利勢を率いて伊予へ渡り、九月には湯築城を囲みます。史実の通直は隆景の勧告を受け入れて降伏し、河野氏は伊予国主としての地位を失いました。
興味深いのは、その後です。
隆景は敗れた通直を切り捨てず、河野氏再興のために庇護を続けました。天正十五年(1587)に隆景が筑前へ転封されると、通直は毛利氏の援助を受けて安芸竹原へ移ります。しかし間もなく二十四歳で死去しました。竹原の長生寺は、隆景が通直の菩提を弔うため建立したとも伝えられています。
史実の隆景と通直は、「征服者と敗者」でありながら、それだけでは割り切れない間柄でした。




