第四話 白地の蓋・西
六門の大筒が、同時に火を噴いた。
轟音が白地を揺らす。
六つの砲身が一斉に跳ね、城前を白煙が覆う。遅れて山肌にぶつかった音が幾重にも返り、吉野川の谷を東へ、西へと走っていった。
元親は馬上から、その煙を見ていた。
羽柴勢の前では大楯が倒れ、乱れた兵を戻そうと太鼓が鳴っている。
南の山裾には、先ほどまでなかった三つ引両が見えていた。
そこへ使番が駆け込んだ。
「申し上げます。谷忠澄様――討死にございます!」
元親の目が止まった。すぐには言葉が出なかった。
「……退けと申したのだがな」
二度の鉦は鳴らした。
忠澄が聞き違えたとは思わなかった。
ならば、残ったのだ。自らの意思で。
信親も何も言わない。
砲煙の向こうに、三つ巴はもう見えなかった。
「忠澄。よう働いた」
元親は東から目を離した。
吹き散らされる煙の下で、政重の三つ引両がさらに道へ近づいている。
右手を上げた。
「白地の蓋を、閉じよ」
◆
馬路の西にも、その轟音は届いた。
小早川隆景が東を見た。
六つの音はほとんど重なり、一つの長い響きとなって山々の奥へ沈んでいった。
二度目はない。代わって前方から鉄砲が鳴った。
白煙の中から片喰が出る。
香宗我部親泰、香川親和の兵だった。
馬路を支え、これまで少しずつ白地方向へ退いていた兵が、今度はこちらへ向かって槍を揃えている。
「来ます!」
毛利の先手も撃ち返した。道の両側へ煙が溜まる。
その間を親泰勢の槍衆が進んだ。
毛利の前列が一度押される。後列が支え、すぐに押し返した。
「追うな。列を崩すな」
隆景は前を見たまま命じた。
兵が補われる。槍先が押し合い、片喰が数歩下がった。
だが離れない。
これまでなら、押したところで退いた。
今日は違う。鉄砲を撃っては槍を入れ、槍が止まればまた鉄砲を寄せる。
勝ちに来ているというより、毛利の足へ食いついて離れぬ戦い方だった。
隆景の視線が細くなる。
そこへ後ろから馬蹄が迫った。
「新宮の境目峠より敵勢!」
隆景が南の山道を見上げる。
「久武親直の旗!」
川之江から白地へ続く道は、山と川に挟まれて細く続いている。
毛利軍はそこを東へ進んできた。先手はすでに前方へ出ている。
隆景の本隊がその後ろ。さらに西へ、兵と荷駄の列が長く続いていた。
久武勢が山から下りたのは、その先手と隆景本隊の間だった。
銃声が弾ける。
道へ駆け込んだ兵が倒れ、続いて片喰の槍が横から突き出された。
毛利の列が真ん中で止まった。
「先手との間を切られました!」
「道を開けよ」
隆景本隊の前部が向きを変えた。
久武勢へ槍がぶつかる。すぐに押し合いになった。
毛利方には兵がいる。だが細い道では、後ろに何千と並んでいても前へ出せる人数は変わらない。
毛利兵が一歩押す。
久武勢が山肌まで下がる。もう一歩。
木々の間から、切り離された先手の旗が見えた。
近い。だがその先手も動けなかった。
東から親泰勢が噛みつき、こちらへ戻る余裕を与えていない。
鉄砲が前後で鳴った。
久武勢が山際から再び道へ出る。
開きかけた隙間が塞がった。
隆景は馬上でその様子を見ていた。
ここで久武を押し潰そうとすれば、本隊まで細道へ詰まる。ようやく先手へ届いても、その向こうには親泰がいる。
白地へ進むことだけに拘る理由はなかった。
隆景の視線が西へ移る。
「川之江へ、一度、陣を下げよ」
小早川の旗が向きを変えた。
切り離された先手は多勢である。すぐに潰れる兵ではない。
本隊を後ろの兵と合わせ、形を整えてから動き直せばよい。
馬廻が反転する。槍衆も順に向きを変えた。
馬の鼻先が西を向き、長く伸びた軍列がゆっくりと逆へ流れ始める。
久武勢は追わなかった。
切った場所に留まり、そのまま先手との道を塞いでいた。
◆
金生へ近づくにつれ、谷あいがわずかに開いた。
山裾に畑が見え、先には川之江へ続く低地がある。
反転したため、先ほどまで軍列の後ろにいた兵が、今は隆景より先を西へ進んでいた。
隆景本隊がその後を追う。
さらに後ろには、白地側から戻ってくる毛利勢が続いている。
山際で銃声がした。乾いた音が続き、前方の列が乱れる。
「敵!」
木立が動いた。人が斜面を駆け下りてくる。
金子元宅の七つ亀甲紋が上がった。
西へ進んだ毛利兵には向かわない。金子勢が飛び込んだのは、その後ろだった。先行する兵と、隆景本隊の間。
「前が切られます!」
金子勢が道へ槍を入れた。
すでに西へ出た毛利兵が振り返る。隆景本隊からも兵が進む。
金子勢は前後から挟まれた。
だが、ここでも道の狭さが毛利の数を殺した。
槍を並べられる幅は限られている。
金子勢が押され、山際へ退く。毛利兵がその隙へ踏み込んだ。
途端に斜面から鉄砲が降った。
先頭が崩れる。金子勢がまた道へ出た。
隆景は馬上から東を見た。
久武の向こうには、切り離された先手がいる。
西へ目を戻す。
金子の向こうにも、自分より先へ下がった毛利の旗が並んでいる。
どちらも敗れてはいない。兵も残っている。
ただ、その間に小早川の旗だけがあった。
隆景の顔から、わずかな余裕が消えた。
「……狙いは、わしか」
返事を待たなかった。
「金子を破れ」
鉄砲組が前へ寄った。
一斉に火を放つ。
白煙へ槍衆が突っ込んだ。
金子勢が押され、山際へ寄る。
毛利兵がさらに圧した。
ようやく、道の端が割れた。
「開きました!」
隆景本隊がそこへ雪崩れ込む。金子勢の槍が横から食い込むが、毛利兵は止まらない。
小早川の旗が西へ抜け、隆景も急ぎ馬を進める。
金子を抜けば、先へ出た兵と合流できる。川之江へ陣を下げ、軍を組み直せる。
その先で、毛利兵の足が止まった。
道の向こうに新しい旗が上がる。
四角い折敷。その中に三文字。
隆景の目が細くなった。
「――河野か。今までどこにおった」
金生川へ続く道に槍が並んでいた。
「押し通せ!」
毛利勢がぶつかった。河野の槍列が揺れる。一度押し込む。さらに兵を入れた。
道が開きかけた、その時だった。
後方で鬨の声が上がる。金子勢が戻ってきた。
「殿、後ろから!」
「西を開けよ!」
隆景が馬を進める。
銃声がした。
馬が大きく身を震わせ、前脚から崩れた。隆景の身体が地面へ投げ出される。
「殿!」
馬廻が殺到した。隆景もすぐ身を起こし、刀へ手を掛ける。
だが河野勢もすでに間近まで来ていた。
「小早川を討つな! 生け捕れ!」
槍の柄が隆景の腕を打った。刀が落ちる。
側近が割って入り、一人が倒れた。
その隙に二人、三人と隆景へ取りついた。振り払う間もなく、腕を取られる。
人垣の向こうに見覚えのある顔があった。
「……通直殿か」
河野通直は馬上から一礼した。
「左衛門佐殿、お久しく。白地へお連れ致す」
隆景を押さえた兵が、すぐに街道を外れた。
「殿を取り返せ!」
毛利方から怒号が上がる。馬廻が山際へ殺到した。
河野勢が向きを変える。
槍が並び、追いすがる毛利兵を受け止めた。立て直した金子勢も後ろから食いつく。
その間に、隆景を囲んだ一団は木立へ入った。
街道の喧噪が枝葉の向こうへ遠ざかる。
毛利方の怒号はなお続いていたが、姿はもう見えない。
一行は足を止めず、翠波の峯へ続く山道を登っていった。
しばらくして、その山上から細い狼煙が一本立った。
谷間を漂う煙を見届けるように、各所の片喰が動き始める。
久武は先手との間から山へ退いた。金子も追撃を切り、斜面へ兵を戻していく。
河野の槍も、毛利勢を深追いしなかった。
街道に残された毛利の兵は多い。
旗も、槍も、まだ数え切れぬほどあった。
だが、そのどこにも、小早川隆景の姿はもうなかった。
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【史実解説】
■大軍を狭い土地へ入れる 厳島合戦
戦国時代の合戦では、兵数が多ければ常に有利だったわけではありません。
数万の軍勢であっても、山道や谷、渡河点、島など、一度に展開できる人数が限られる場所へ入れば、その兵力を十分に使えなくなります。
その代表的な例の一つが、弘治元年(1555)の厳島合戦です。
毛利元就と陶晴賢が戦ったこの合戦では、兵力で優勢だった陶方が厳島へ渡りました。陶軍約二万に対して毛利軍は約三千五百。元就は宮尾城を築いて陶軍を島へ誘い込み、暴風雨の夜に毛利軍を渡海させ、翌朝に陶方の本陣を急襲したとされています。
厳島は海と山に挟まれた土地です。二万の兵がいても、広い平野のように自由に陣形を広げられるわけではありません。敗走が始まれば、逃げ道も限られます。
陶晴賢は戦場を離れた後、大江浦方面まで逃れ、最後は自刃しました。大軍を率いていた総大将が、狭い土地へ軍を入れたことで兵力差を十分に生かせなくなった戦いでした。
小早川隆景は、まさにこの毛利元就の三男です。
かつて厳島で、兵力に勝る陶軍を狭い土地へ誘い込んだ毛利家。
その三十年後、今度は毛利軍を率いる隆景自身が、四国の山道と川を使った戦いへ引き込まれたのです。




