第二話 山中の糧
夜が明けても、政重の兵はまだ山の中にいた。
街道を外れてから、一度もまとまった陣を張っていない。
東の空が白み始める頃、先を行く一隊が尾根へ折れた。続く兵は谷筋へ入り、政重の列も少し遅れて別の細道へ分かれる。
二千八百の兵は三手に裂け、ほどなく互いの姿が見えなくなった。
それでも道は途切れない。
ぬかるみには柴が敷かれ、崩れた斜面には丸木が渡してある。岩場には縄が残されていた。
「前に通った時は、ここまで歩きやすくはなかったはずですが」
玄蕃が馬を引きながら呟いた。
「新しく道を切れば目立つ。昔からある道を直しただけだ」
炭焼きの道。
薪を採るための道。
山村同士を結ぶ細道。
前年から、そうした山中の支道へ少しずつ手を入れていた。
そして、用意したのは道だけではない。
沿道の村や寺、古い城の倉には、米を分けて置かせている。
政重には覚えのあるやり方だった。
東洋であった頃、飢饉への備えを考えた時もそうだった。
凶作になってから城下の蔵を開いたところで、山間の村へ届くには時間がかかる。海が荒れれば船は止まり、道が崩れれば人足も進めない。
飢えてから運ぶのでは遅い。
ならば、平時から必要になる土地へ穀を分けておけばよい。
四国の仕置でも、その考えを持ち込んでいた。
今は、その米を兵が食う。
日が昇る前、列は小さな山村へ入った。
兵を見た村人が騒ぐ様子はない。
すでに話は通っていた。
村外れの蔵が開けられる。
中には米俵が並び、焼米と味噌、塩も置かれていた。
兵糧役が中を見回し、
「この先を考えれば、少し多めに持たせてもよろしいかと」
と進言した。
政重は蔵の奥へ目をやった。
米はまだある。
だが、すべて兵のために置いたものではなかった。
「決めた分だけにしろ」
「この先で不足すれば」
「そこまで長く食わせる戦ではない。明日、決める」
政重は蔵の外へ目を向けた。
戸口の向こうに、村の女が子を抱いて立っている。
「ここは戦が終わった後にも村が使う」
兵糧役は一礼した。
必要な俵だけが外へ出された。
兵は焼米を懐へ入れ、水を補い、傷んだ草鞋を替えていく。
残った米には手を付けず、戸は再び閉められた。
大きな荷は増えない。
兵だけが山へ戻っていった。
日が高くなる前に、政重は谷の深いところで軍を止めた。
木々が重なり、尾根からはほとんど見えない。
夜通し歩いた兵が岩や木の根へ腰を下ろす。
具足を緩めた途端、そのまま眠る者もいた。
火はほとんど使わない。兵は焼米を噛み、味噌を舐め、水を飲んだ。
谷底で小さく焚かれた火から上がる煙も、枝葉に散って消えていく。
昼前、別の道から使いが入った。
「途中の蔵ですが、雨が入り、奥の米が傷んでおります。手前は使えますが、予定より少なくなります」
政重は少し考えた。
「傷んだ米は捨てろ。残りだけ出して、足りぬ分は次へ回す」
兵糧役が帳面を開いた時だった。
谷の上から足音が降りてきた。
物見の一人である。
「北の尾根に騎馬が二つ。羽柴方かは分かりませぬが、この辺りを見ております」
眠っていた兵の間に、わずかな緊張が走った。
玄蕃が腰を上げる。
「近づくようなら、こちらで始末いたしましょう」
政重は首を振った。
「撃つな。追うな。こちらを知らぬ者に、こちらから居場所を教えることはない」
兵へ伏せるよう命が回った。
馬も谷の奥へ寄せる。
乾いた枝を踏む音すら嫌われ、兵は身を縮めた。
尾根の上を、遠く蹄の音が通った。
一度止まる。
また進む。
やがて聞こえなくなった。
玄蕃はしばらく空を見上げていた。
「行きましたな」
「今日は予定より遅らせる。日が落ちるまでここを動かん」
兵糧役が帳面へ目を落とす。
蔵の米が減り、さらに半日余計に食う。
政重はその顔を見た。
「二食を一度に食わせる必要はない。夕刻までは焼米で持たせろ」
谷底では、兵がまた静かに腰を下ろしていった。
◆
同じ頃。
羽柴秀長の陣には、東から荷が入り続けていた。
米俵を積んだ馬。
味噌と塩を担ぐ人足。
火薬を載せた駄馬。
草鞋や縄を抱えた者。
前へ荷を届けた馬には、帰りに負傷者が乗せられていく。
街道の片側を荷が西へ進み、反対側を空の馬や傷兵が東へ戻る。
秀長はその流れの脇で、物見から報告を受けていた。
信親勢は白地へ入った。
元親の兵も東側へ出始めている。
池田で見た時より、兵そのものは増えている。
しかし信親の荷駄は、さほど増えていない。
白地へ米を運ぶ人足や小荷駄はあるものの、この羽柴陣の後ろへ続くような長い列は見つからなかったという。
報告を聞く秀長の前を、一頭の駄馬が通った。
両脇に俵を積んでいる。
その後ろにも馬が続く。さらにその後ろにも。
秀長はそちらを見た。
「池田の蔵は空だったな」
側近が頷く。
「米も火薬も、持ち出されておりました」
「その割には、信親の後ろが重くならぬ」
秀長の声は独り言に近かった。
側近が白地方向を見る。
「周辺の村から集めておるのでしょうか」
「それだけで、あれだけの兵を何日も食わせられるなら苦労はない」
秀長はしばらく考え、それ以上は追わなかった。
「南へ出した物見には、兵より人足を見させろ。米が通れば、どこかで人が動く」
物見が下がる。
陣の端では、また新しい米俵が積み上がり始めていた。
◆
日が傾いてから、政重勢はようやく動いた。
昼に見た騎馬は戻ってこなかった。
三つの隊はそれぞれの道を進み、八石の古城跡を過ぎて井川側へ下る。
途中の寺や山村でも、必要な糧だけを受け取った。
最初の蔵のように、中を覗き込む者はもういない。
米を受け取る。
水を足す。
草鞋を替える。
済めば先へ行く。
山の中を進むうち、兵はそのやり方に慣れていた。
夜半になって、先頭から合図が戻った。
政重は玄蕃と数人だけを連れ、林の端まで出た。
木々の向こうに吉野川が見える。
川沿いの道には火が連なっていた。
羽柴の荷駄である。
俵を積んだ馬が西へ進む。
人足。
槍を担いだ後続兵。
また馬。
その先には、羽柴本軍の陣火が山際に並んでいた。
玄蕃が木の陰へ身を寄せる。
「もう、目と鼻の先ですな」
政重は答えなかった。
通り過ぎる荷駄を見ている。
一つの列が西へ消えた。
次が来るまで、街道が空いた。
しばらくして、また馬の火が見える。
政重の視線が、その空いた道に止まった。
玄蕃も何も聞かなかった。
やがて政重は林の奥へ戻る。
「兵を休ませろ。旗はまだ出すな」
二千八百の兵が、暗い木々の下へ沈んでいく。
ほどなく次の荷駄が現れ、何も知らず西へ流れていった。
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【史実解説】
■山に備える米、吉田東洋の飢饉対策
吉田東洋は天保十三年(1842)に郡奉行となり、民政に携わりました。その頃、飢饉に備えて穀物を蓄える「済農倉」の設置を進言したことが知られています。
さらに興味深いのが、弘化二年(1845)に提出した『時事五箇条』です。
この中で東洋は、飢饉などに備える政策を意味する「荒政」について一項を割き、平時から備えを整える必要を説いています。特に囲籾について、城下だけに貯蔵しておく方法では不十分だと指摘しました。
理由は輸送です。いざ飢饉になってから城下の米を各地へ送ろうとしても、海運は天候に左右され、届くまでに日数がかかります。また山間部には、そもそも海路を利用できません。
そこで東洋は、領内の交通や地理を考えた「便利の土地」を選び、あらかじめ備蓄を置いておくことを提案しています。つまり、米そのものを蓄えるだけでなく、「どこに置けば必要な時すぐ使えるか」まで考えていたわけです。
本作では、この経験を政重が四国統治にも取り入れました。
山村や寺など各地に置かれた備荒用の穀物。そして、それらを結ぶ山中の支道。
本来は凶作や災害の際に民を救うための仕組みですが、白地の戦いではその一部が軍の補給にも利用されています。
大軍とともに大量の兵糧を運ぶ羽柴軍に対して、長宗我部の兵は進む先にすでに糧が用意されていたのです。




