第三話 帳にない一領
父の名から始まった戦死者の帳は、翌日の昼になっても二枚目を埋められずにいた。
雨上がりの光が障子を白く透かしている。座敷には、煎じた薬草と湿った畳の匂いが残っていた。
政重は脇息に大きな身体を預け、鶴千代と玄蕃が集めた書付をめくっていた。
軍役を記した紙。年貢の覚え。蔵米の出入り。どれも大きさも筆跡も違い、書いた年月さえ分からぬものがある。
鶴千代が一枚を読み上げた。
「庄兵衛。槍一筋。中富川へ出陣」
「その下の庄太夫は」
「田二反を作る、とあります」
玄蕃が横から答えた。
「同じ者にございます」
「なぜ名が違う」
「陣では庄兵衛、村では庄太夫と呼ばれておりますので」
「では、この帳では二人になる」
「別の書付にございますからな」
出陣した者は六十九。兵糧を渡した数は五十八。玄蕃の記憶では六十余り。
これでは、誰が重なり、誰が抜けているのか分からない。
前世の藩政でも、帳簿の不備には散々苦しめられた。
最も始末に負えないのは、帳がないことではない。食い違う帳が幾つもありながら、皆が分かっているつもりでいることだった。
日付がない。書いた者の名もない。田を持つ者と耕す者が分かれず、年貢を納める名と軍役を負う名さえ違う。
これでは誤りを正すどころか、どこで誤ったのかも追えない。
「これは帳とは呼べぬ」
玄蕃の眉が寄った。
「では、何でございます」
「忘れぬための書付を束ねただけじゃ」
「それで、これまで家は動いてまいりました」
「父上が生きておればな」
政重は短く切った。
俊政という生きた記憶が失われた途端、吉田家は人の数さえ分からなくなっている。
「討死は何人じゃ」
「確かな者は七人」
「戻らぬ者は」
「十六人。大半は、なお元親様の陣に残っているものと」
「確かめたのか」
「いえ」
「ならば未詳じゃ」
玄蕃が渋い顔をした。
「戦の最中に、生死を決めるわけにはまいりませぬ」
「決めるのではない。分からぬと書くのじゃ」
政重は内心で頭を抱えながら、鶴千代へ目を向けた。
「討死、在陣、帰還、負傷、未詳。これらに分けよ」
「未詳も数に入れるのでございますか」
「空白は忘れられる。未詳と書けば、調べるべき者として残る」
鶴千代は頷き、新しい欄を作った。
やがて、その筆が一つの名で止まった。
「馬ノ上衆、弥九郎。中富川にて討死」
「姓は」
「ございませぬ」
「吉田の家来か」
玄蕃は、わずかに間を置いた。
「もとは安芸方にございます」
馬ノ上は、十九年前まで安芸国虎の領地だった。
城番の狼藉をきっかけに、祖父の重康が城を奪い、曾祖父の重俊がこれを押さえた。以来、吉田家の支配地となっている。
城の旗が替わってから、十九年の時を経ている。
だが土地を得たからといって、そこに暮らす者の心まで一度に吉田のものになったわけではなかった。
「今は」
「中富川へは出ました」
「答えになっておらぬ」
「この土地では、それが答えにございます」
政重は、弥九郎の名が記された紙を引き寄せた。
別の書付では、田は父親らしい男の名になっている。軍役を負うのは弥九郎、年貢は馬ノ上の村としてまとめて記されていた。
「一領具足ではないのか」
「具足一領の役は負っておりました」
「ならば、一領具足として数えればよい」
玄蕃は首を傾げた。
「その名で一つに括れる者ではございませぬ」
「なに」
「己で田を耕す者もおります。百姓に作らせる者も、村を束ねる者も、槍一本の役だけ負う者もおりまする」
東洋が前世で知っていた一領具足は、平時には田を耕し、陣触れがあれば畦から具足を取って駆けつける半農半兵の集団だった。
土佐郷士の祖とも語られていた。
だが、郷士とは山内家の世に設けられた身分である。
少なくとも、目の前の帳に一領具足という一つの身分は存在しなかった。
暮らしも、土地の持ち方も、村での立場も異なる者たちが、それぞれ具足一領分の軍役を負っている。
後世に伝わった姿は、複雑な現実を一つの名で括ったものだったのだ。
東洋は多くの書物を読み、歴史を知っているつもりでいた。
だが知っていたのは、歴史になった後の姿にすぎなかった。
◆
討死が確かめられた家から、残された者を順に呼ばせていた。
「若殿」
廊下から女の声がした。
玄蕃が呼び入れると、色の褪せた小袖を着た女が、幼い男児の手を引いて入ってきた。
弥九郎の妻だった。頬はこけ、子の指は母の袖を固く掴んでいる。
女は政重の前へ座ると、深く頭を下げた。
「夫の名を、吉田様の御家来として書かんといてくだされ」
「弥九郎殿は中富川へ、父上の人数として出たのであろう」
「元親様の御戦へ出たのでございます。あの人は、最後まで安芸の侍じゃと申しておりました」
「ならば、吉田の米も要らぬか」
女の顔が上がった。幼子の腹が、かすかに鳴った。
「若殿」
玄蕃が低く言う。
「名と腹は、別にございます」
分かっていた。
藩政でも、由緒と扶持、身分と暮らしは、帳の上で幾度も食い違った。だが東洋は、矛盾を見ると先に言葉で斬ってしまう。
口から出た言葉は戻らない。政重は帳へ目を落とした。
「吉田家臣とは書かぬ。馬ノ上衆、弥九郎。中富川出陣、討死。それでよい」
女はまだ頭を下げなかった。
「飯米を十日分出す。田には触れぬ。倅が元服するまで、この家から軍役も取らぬ」
「米を受ければ、吉田の者にされませぬか」
女は答えを待つ間にも、誰かに聞かれていないか確かめるように、廊下へ目をやった。
吉田の米を受け取ったと知れれば、馬ノ上では吉田方へ靡いたと見られる。城の旗が替わって十九年たっても、昔からの目は消えていないのだ。
「誰の家来かは決めておらぬ」
政重は女を見た。
「だが、こちらの人数として戦へ出した者の家を、飢えさせることはできぬ」
女は長く迷った末、子の頭へ手を置いて頭を下げた。
「……かたじけのうございます」
親子が去ると、玄蕃が言った。
「ずいぶん思い切られましたな」
「十日分じゃ。恩賞ではない」
「田と軍役まで」
「父を失った家から、すぐ次の兵を取る気か」
玄蕃は答えず、帳へ目を落とした。
◆
「馬ノ上には、弥九郎のような者が何人おる」
「分かりませぬ」
「またそれか」
「城は吉田が取りました。されど、人も田も、すべて取ったわけではございませぬ」
古い安芸方の者。吉田へ従う者。元親の軍役だけを負う者。
その境を曖昧にしたまま、十九年が過ぎていた。
「曖昧にして治めたのではない。後へ送っただけじゃ」
「その後が、今でございます」
政重は黙った。
前世でも、帳へ載せることを嫌う者は多かった。
帳にない米は、誰かが自由に使える。帳にない土地は、誰かが都合よく支配できる。曖昧さを正せば、必ず損をする者が出る。
前世でも、帳を正せば誰かの取り分が減った。
帳を改めるとは、敵を増やすことでもあった。
それでも、見えぬものは動かせない。
「鶴千代」
「はい」
「馬ノ上分、未詳と書け」
玄蕃の目が鋭くなった。
「書けば、動き出すものもございまする」
「書かねば、見えぬままじゃ」
「田畠を改められますか」
「今は数えるだけじゃ。取り立てるとは申しておらぬ」
鶴千代は迷いながら、帳の端へ筆を置いた。
馬ノ上分、未詳。
墨の乾かぬ文字を、玄蕃だけが長く見つめていた。
【史実解説】
■一領具足とは
一領具足は、一般に「普段は田畑を耕し、戦になれば畦に置いた具足を身につけて駆けつける、長宗我部氏の半農半兵」として知られています。具足を一領しか持たない質素な武士であり、後の土佐郷士の祖になったとも語られてきました。
しかし近年の研究では、「一領具足」は長宗我部氏が設けた正式な身分や軍制の名称ではなく、具足一領分、すなわち武装した一人分の軍役を負担する下級武士を指した可能性が高いとされています。長宗我部氏の法令や公式文書にも、一領具足を制度名として用いた例は確認されていません。
実際には、自ら田を耕す者、百姓に耕作させる者、村をまとめる者など、その暮らしや土地との関わりは一様ではありませんでした。また「郷士」は山内氏入国後の近世土佐で成立した身分であり、戦国期の一領具足とそのまま同一視することはできません。
■馬ノ上城の狼藉事件
『土佐物語』によれば、永禄六年(1563)、安芸国虎方の馬ノ上城を守る若侍たちが、安芸領を越え、吉田重俊が治める上夜須で狼藉を繰り返しました。吉田方は狼藉者を捕らえて安芸国虎へ送りましたが、国虎は処罰せず、その場で縄を解いて許してしまいます。
これに怒った重俊の嫡子・吉田重康は、守りの薄くなった馬ノ上城を急襲しました。城を奪った後は重俊が入り、堀や塁を整えて吉田方の拠点とします。
その後、重康が本山攻めへ出陣した隙を狙い、安芸方が馬ノ上城を奪い返そうとしました。しかし留守を守っていた重康の妻は、機転を利かせて大勢が籠城しているように見せかけ、安芸方は攻撃を断念し、城は守られました。
『土佐物語』は後世に編まれた軍記であり、信憑性に欠ける部分もありますが、馬ノ上が安芸氏と長宗我部氏の境にあり、吉田家の東方進出と両勢力の対立を象徴する土地だったことを伝える逸話といえます。




