第二話 正義と玄蕃
中富川から八日後、政重は土佐東部、夜須の吉田家屋敷で、ようやくはっきりと目を覚ました。
長宗我部の軍勢は、なお阿波に残って戦を続けていた。傷の深い政重だけが、わずかな郎党に守られ、戸板と馬を乗り継いで土佐へ戻されたのだった。
帰路の記憶は、ほとんどない。
水を含まされ、揺れに傷が疼き、また意識を失う。その繰り返しであった。
障子の向こうは薄暗い。雨上がりらしく、濡れた土と薬草を煎じた匂いが座敷に残っていた。
隣の座敷に、父の兜と折れた槍が置かれている。俊政の遺骸は、阿波の地に葬られたと聞かされた。
政重は床から起き上がろうとした。
十五の身とは思えぬ長い脚が、夜具の端からはみ出している。腕に力を込めれば、身体は容易に持ち上がった。
だが、脇腹の傷が焼けるように疼いた。槍の柄を割る腕がありながら、隣の座敷までの数歩も歩けない。
歯を食いしばり、半身を起こした。
父の兜は見慣れたものだった。
黒漆の吹返しには深い刃傷が残り、錣には阿波の泥がこびりついている。傍らの槍は半ばから折れ、穂先に近い部分だけが持ち帰られていた。
その背を追ったことは覚えている。
敵陣へ踏み込んだ俊政の身体が、目の前で大きく傾いた。
泥の中へ倒れる父を見て、政重は脇腹の傷も忘れ、斬り込んだ敵を追おうとした。
だが、味方に腕を取られ、押さえ込まれた。
振りほどこうと暴れたところで、傷から血があふれた。
政重の記憶は、そこで途切れている。
吉田俊政、中富川にて討死。
前世では、史書に記された一行にすぎなかった。
だが、父を救えなかった悔しさは、傷の痛みより鮮明にこの身体へ残っていた。
「父上……」
低い声が漏れた。
知識であった死が、初めて喪失に変わった。
「兄上」
隣の座敷から、少年が振り返った。
寝間着の上に小袖を引っ掛け、袴の紐も片方が緩んでいる。兄より細い切れ長の目は泣き腫らしていたが、太い眉だけは父によく似ていた。
吉田鶴千代。
政重の弟。のちに元服して正義と名乗り、後の吉田東洋へ血をつなぐ祖となる少年である。
自分の先祖が、自分を兄と呼んでいる。
「父上は……」
鶴千代は最後まで言えなかった。
「父上は、勇戦の末に討死なされた」
政重は答えた。
武家の子が、父の死を受け止めるための言葉である。
ならば、雨の夜道で満足に抗うこともかなわず斬られた、東洋としての最期は何であったのか。
その問いだけは、口にしなかった。
鶴千代は兜の前へ膝をつき、傷の残る吹返しへ手を添えた。細い肩が、声もなく震えている。
この少年が死ねば、自分へ続く血も絶える。
そう考えたはずだった。
だが、胸を締めつけたのは、もっと単純な感情である。
弟を、これ以上泣かせたくなかった。
◆
翌朝、障子を透かした白い光の中で目を覚ますと、襖の脇に男が座っていた。
日に焼けた長い顔に、深い眉間の皺。髪には白いものが混じり、左脚を少し外へ投げ出している。
安岡玄蕃。
夜須の東隣、馬ノ上に根を持つ在地武士で、父・俊政の代から吉田家の所領と郎党の差配を担ってきた男である。
「いつからおった」
「若殿が天井を睨んでおられた頃から」
「目覚めておるではないか」
「ならば、早う声を掛ければよろしかったですな」
玄蕃の膝元には、何枚もの書付が重ねられていた。政重が眠っている間も、この男が屋敷を動かしていたのだろう。
「鶴千代は」
「父君の形見のそばにおります」
「寝かせよ」
「申しました」
「聞かなんだか」
「若殿の弟君にございますからな」
政重は小さく息を吐いた。
「元親様へ書状を出しまする」
「家督のことか」
「はい。俊政様の跡を、若殿がお継ぎになると」
「ならば、そう書け」
政重が答えると、玄蕃はすぐには頭を下げなかった。その視線が、夜具に横たわる政重の脇腹へ落ちる。
「されど、その御傷にございます」
「それがどうした」
「御快癒まで、家中の差配は我ら年寄が預かりまする」
政重は、言葉の隙を見た。
快癒の基準も、差配を返す時も、預かる側が決める。かつての藩政でも幾度となく見た、権を手放さぬための物言いであった。
「誰が、わしの快癒を決める」
玄蕃は口を閉じた。
「そなたらであろう。返す時を己で決める預かりは、取り上げると申す」
玄蕃の眉が、わずかに動いた。
見慣れぬものでも見るように、政重の顔を見直した。
「我らをお疑いか」
「人ではない。仕組みを疑っておる」
短い沈黙が落ちた。
今までの政重なら、怒鳴るか、無理に立とうとしたはずである。玄蕃の戸惑いは、口にせずともその目に現れていた。
「されど若殿」
玄蕃は夜具へ目を落としたまま、言った。
「その御身体で、家中を動かせまするか」
政重は答えなかった。
起き上がるだけで傷が開く。玄蕃を言葉でやり込めたところで、人も米も動かない。
「起こせ」
「は」
「まず座る」
玄蕃が背へ腕を回した。
政重もその肩を掴んだが、力加減を誤り、玄蕃の身体を大きく傾けてしまった。
「若殿。私まで寝かせるおつもりか」
「……力加減が分からぬ」
「御自分の身体でしょう」
傷の痛みに耐え、政重はようやく半身を起こした。
それだけで、座った玄蕃と目線が並ぶ。傷さえなければ、立つだけで座敷を狭く見せる身体だった。
「父上と阿波へ出た者は」
「七十余り。大半は、なお元親様のもとに残っております」
「討死と負傷は」
「まだ、確かな数は」
「ならば、先に数える」
玄蕃が眉を寄せた。
「何をでございます」
「人じゃ」
政重は言った。
「誰が残り、誰が死に、誰の家から働き手が消えたか。分からぬのであろう」
「戦の最中にございます。すべて分かるまでには時がかかりまする」
「分からぬ者は、分からぬと書け。数えぬ理由にはならぬ」
玄蕃が黙った。
襖の外から衣擦れの音がした。
「兄上」
鶴千代が立っていた。目の腫れは、まだ引いていない。
「鶴千代。帳を持て」
「帳、でございますか」
「父上と出た者を書く。戻った者、傷を負った者、討死した者。家に誰が残っているかもじゃ」
玄蕃が口を挟んだ。
「家督の届けとは別事にございます」
「家督は名だけか」
政重は一言で斬った。
「家中を散らさぬ者が、家を継ぐ」
鶴千代は兄を見つめ、やがて頭を下げた。
「持ってまいります」
ほどなく、紙と硯箱を抱えて戻ってきた。
政重は差し出された筆を取った。
太い指には、あまりに細い。折らぬよう力を抜く必要はあったが、穂先を墨へ浸すと、手は自然に定まった。
やはり槍より、こちらの方が馴染む。
政重は紙へ筆を置いた。
吉田俊政。
一画ずつ、父の名を記していく。
玄蕃が、その筆遣いを黙って見ていた。政重は書き終えると、筆を鶴千代へ渡した。
「次じゃ。父上とともに出た者を、分かる限り挙げよ」
鶴千代が筆を受け取る。
玄蕃は帳面を見下ろしてから、政重へ目を戻した。
「帳一冊で、家が立ちまするか」
「帳でしか動かせぬものもある」
玄蕃は返さなかった。
ただ、その目から戸惑いが消え、代わりに政重を測るような色が宿った。
鶴千代の筆が、二つ目の名を書き始める。
吉田家の再興は、その帳面から始まった。
【史実解説】
■夜須吉田家の系譜
土佐吉田氏は、もとは長岡郡江村郷吉田を本拠とした一族とされます。
長宗我部国親・元親に仕えた重臣・吉田孝頼が有名です。孝頼は智略に優れた人物として知られ、「一領具足」を考案したとも伝えられます。その弟にあたる吉田重俊は、武勇をもって長宗我部氏に仕え、上夜須城を任されました。
本作で便宜上「夜須の吉田家」と呼んでいるのは、この重俊から続く系統です。
系譜上では、重俊の子が吉田重康、その子が中富川で討死した吉田俊政、さらに俊政の子が政重と正義となります。政重の出生地については、現在の高知県安芸郡芸西村馬ノ上とする地元伝承も残されています。
■東洋への血脈・吉田正義
吉田正義は、吉田俊政の子であり、政重の弟にあたる人物です。兄の政重が長宗我部氏への忠節を貫いた一方、正義は山内一豊の土佐入国後に山内家へ仕え、その嫡流が土佐藩上士の吉田家として続いたとされています。
この正義の子孫にあたるのが、後に土佐藩参政となる吉田東洋です。
正義の生年や少年時代、兄政重との具体的なやり取りについては、詳しい記録がほとんど残っていませんが、山内一豊が土佐入国にあたり「三顧の礼をもって迎えた」と伝わっており、優秀な文官型の武将であったと推測します。
なお、幼名については不明であり、本作では鶴千代としています。
■夜須吉田家の老臣・安岡玄蕃
安岡玄蕃は、本作の架空人物です。
現在の香南市香我美町山北に残る安岡家は、約四百年前には夜須付近にいた一領具足の家で、のちに山北へ移り、豪農・郷士となったと伝えられています。この安岡家の一族からは、幕末に吉田東洋の暗殺に加わった郷士・安岡嘉助も出ています。
本作では、地域的な安岡姓を借り、吉田家の所領、郎党、兵糧を取り仕切る、少々いかつい老臣として玄蕃を創作しました。




