第一話 吉田東洋、死す
土佐藩参政・吉田東洋の刃は、論であった。
刀を抜かずとも、人は斬れる。
東洋はそう思い上がっていたわけではない。ただ、言葉の甘いところ、勘定の抜けたところを見つけると、黙っておれぬ性分であった。
文久二年四月八日、夜。高知城、二ノ丸屋敷。
東洋はその日、『日本外史』と『信長公記』を引き、本能寺の変を講じた。相手は土佐藩主、山内豊範である。
東洋は、信長の死を、天命や怨霊に預けなかった。宿所の油断、兵の配置、家臣の用い方。ひとつずつ剥いでいくと、本能寺の炎の奥に、政の隙が見えた。
「信長公は、明智の刃に斃れたのみにあらず」
東洋は、静かに言った。
「その前に、己が政の隙に斃れております」
若い豊範は、真剣な顔で聞いていた。
居並ぶ重臣の中には、目を伏せる者もあった。東洋の言葉は、古い世を講じながら、いつも今の土佐を斬る。誰も名指しされていないのに、誰かが自分のことを言われたような顔をする。
東洋は構わなかった。
土佐は変わらねばならぬ。
その一点だけは、少しも揺らがなかった。
講義の後、酒肴が出た。
参勤交代を前にした最終の講義であったから、ということらしい。東洋は辞さなかった。酒に溺れるほどではない。だが、ほろりと酔いは回った。
城を出る頃には、夜は深くなっていた。
雨が降っていた。
強い雨ではない。けれど、春の夜気にまじる細かな雨は、衣の肩にまとわりつき、草履の裏に土を吸わせた。道の両側は暗く、城下の灯はところどころで滲んでいた。
東洋は、傘の下で、先ほどの講義を思い返していた。
信長は内から斃れた。明智の刃は、外敵の刃ではない。家中から出た刃である。
愚かなことだ、と東洋は思う。
国を壊す刃は、外から来るとは限らぬ。むしろ内から出る刃の方が、深く入る。だからこそ、政は人の怒りや不満を、まだ刃にならぬうちに扱わねばならない。
そう思いながら、東洋は、自分がそれを扱いきれていないことも知っていた。
才はある。だが慎みがなければ、その才が一身を損なうのみならず、土佐の機をも損なう。
かつて言われた言葉が、雨音にまじって胸の奥へ戻る。
名剣にして、鞘なし。
惜しまれているのか、恐れられているのか。おそらく、どちらでもある。
東洋は唇の端をわずかに上げた。
鞘に収まった刃で、何が斬れる。
そう思った時である。
前方の闇が、ふと濃くなった。
人影があった。一人ではない。
東洋は足を止めた。背後にも気配がある。
「誰じゃ」
返答はなかった。
東洋は、まず考えた。
人数。間合い。道幅。雨。逃げ道。誰の差し金か。土佐勤王党か。あるいは、別の恨みか。
考えることは、まだできた。
しかし、考え終える前に刃が来た。
白い線が、雨の夜を裂いた。
東洋は身を引いた。剣術の心得はある。まったくの素人ではない。だが、ほろ酔いの夜道である。雨である。複数の影である。不意の殺意である。
評定なら、一つずつ詰められた。講義なら、言葉の逃げ場を塞げた。
だが、刃は返答を待たなかった。
肩口に熱が走った。
熱い、と思った次の瞬間には、寒かった。
「待、て」
声が出た。
何を待てと言ったのか、自分でも分からない。斬る理由を聞こうとしたのか。相手の怒りの根を見ようとしたのか。
返答はない。
また刃が来た。
東洋は倒れかけながら、相手の眼を見た。若い眼であった。怒りと恐れと、何かに酔った眼。
ああ、と東洋は思った。
言葉が届く前に、刃になったのか。
地面が近づいた。
雨に濡れた土の匂いがした。血の匂いもした。自分の血である。
土佐を変えるには、まだ早かったか。それとも、遅すぎたか。
闇の底で、誰かの声がした気がした。
名剣にして、鞘なし――
東洋は笑おうとした。
鞘がなかったのではない。
鞘に収まる気が、なかったのだ。
そこで、夜が落ちた。
◆
次に、聞こえたのは、勝ち鬨であった。
いや、最初は音ですらなかった。
地面が鳴っていた。遠くで人が叫ぶ。近くで誰かが呻く。馬がいななく。甲冑が擦れる。水を含んだ土が、誰かの足に踏まれてぐずりと潰れる。
雨の匂いではない。泥と血と汗の匂いである。
東洋は重い目を開けた。
空が赤かった。
夕焼けではない。遠くで何かが燃えている。草むらか、陣小屋か。煙が低く流れ、目にしみた。
ここは、どこだ。
身体を起こそうと、泥に手をついた。思うように動かぬ。傷は浅くない。
びしり、と音がした。
見れば、転がっていた槍の柄がひび割れている。握った覚えはない。ただ、手を置いただけである。
「お手を」
腹巻を着け、腰に脇差を差した男が、慌てて支えようとした。
腕に力を入れた途端、身体が思ったより軽く跳ねた。脇腹の傷が裂けるように疼き、東洋は顔をしかめた。
妙じゃ。力を入れたつもりより、先に身体が動く。手は大きく、節が太い。いつもの筆を持つ手ではない。
「勝五郎様、動かれてはなりませぬ。傷が開きます」
勝五郎……? わしは吉田正秋、号して東洋である。
そう言おうとして、出た声の若さに言葉が止まった。
喉が違う。胸の響きが違う。身体が重く、熱い。痛みすら、太い。
「ここは」
声がかすれた。
男は泥に膝をついた。
「中富川にございます」
中富川。
東洋の思考が止まった。
それは地名であり、合戦名であり、後世の書物に記された過去であった。
天正十年。長宗我部元親、阿波へ進み、十河存保ら三好勢と戦う。
中富川の戦い。
勝敗は知っている。
長宗我部の大勝。
遠くで上がる勝ち鬨は、その証であろう。
だが、なぜ自分がここにいる。夢か、現か。
東洋は問いを重ねようとした。だが、その前に別の声が耳に入った。
「俊政様は、御討死に」
誰かが、少し離れたところで言った。
その名を聞いた瞬間、東洋の内側で何かが裂けた。
吉田俊政。
知っている名である。史書の中の名である。
そう、知っている。知っていたはずだった。吉田家の系譜の一行として。土佐の古い戦語りとして。
そう思ったのは、ほんの一瞬だった。
次の瞬間、東洋ではない誰かが、胸の奥で叫んだ。
唐突に涙が溢れ、頬を流れた。
「――父上」
東洋は、無意識にそう言っていた。
自分の意志ではない。だが、自分の声であった。
長宗我部は勝った。
歴史の通りに。
だが、この身の父は死んだ。
東洋は己の手を見た。若い手である。大きく、力がある。先ほどひび割れた槍柄の木片が、泥に濡れている。
この身体を、東洋は知っている。
いや、身体ではない。名を知っている。
吉田政重。
長宗我部に仕えた猛将。
後に幾度も戦場を渡り、大坂の陣にも旧主に従う男。武勇をもって語られる、吉田市左衛門政重。
その若き日の名が、勝五郎。
ならば――わしは、吉田政重と。
東洋は息を吸った。泥と血の匂いが肺に入る。咳き込む。脇腹の傷が疼く。だが、それは生の証であった。
幕末の雨の夜、志半ばで死んだはずの改革者は、戦国の泥の中で、父を失った少年武者として息をしていた。
勝ち鬨が、また上がった。
敵は退いたのだろう。阿波への道は開けたのだろう。歴史は一行、前へ進んだのだろう。
東洋は起き上がろうとした。
だが、脇腹が裂けるように痛み、膝が泥に落ちた。郎党が慌てて支えようとする。
政重の身体は強い。だが今は、傷に縛られている。
戦は勝った。
だが、吉田政重は、まだ立てなかった。
本作は、「武勇98の猛将」吉田政重の身体に、その末裔である「内政98の改革者」吉田東洋が宿る、という物語です。
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次回からは、吉田家再興編です。
各話の後書きに史実解説を入れていきますので、物語の補足としていただければ幸いです。
【史実解説】
■鋭論の改革者・吉田東洋
吉田東洋は、幕末土佐藩の参政として藩政改革を進めた人物です。本名は吉田正秋、東洋は号です。
文久二年(1862)四月八日夜、東洋は高知城内で藩主・山内豊範に『日本外史』を講じたのち、酒宴を経て帰宅する途中、対立していた土佐勤王党関係者によって暗殺されました。
山内容堂の師として開明的な藩政改革を進めた一方で、その鋭すぎる気質から敵も多く作った人物です。斎藤拙堂は東洋を「名剣にして鞘なきが如し」と評したとされます。
■虎狩の猛将・吉田政重
吉田政重は、戦国期の長宗我部氏家臣です。通称は市左衛門、または又左衛門。
父は吉田俊政。15歳で中富川の戦いに初陣し、のちに各地を転戦。身の丈は六尺二寸(身長188㎝)、慶長の役での虎狩の逸話や、生涯で百十五の首級を挙げ、身体には(首から上だけで)二十一か所の傷を負ったとも伝えられる、軍記物を信じるならば長宗我部家最強格の猛将です。
大坂の陣では旧主・長宗我部盛親のもとへ馳せ参じ、戦国が終わってもなお、長宗我部への義を捨てきれなかった人物でした。
■中富川の戦い
天正十年(1582)、阿波国で行われた長宗我部元親と三好方の戦いです。
本能寺の変によって織田信長の四国攻めが中断されたのち、長宗我部元親は阿波方面へ進出します。中富川を挟んで三好方の十河存保らと激突し、長宗我部方が大勝しました。この戦いは、長宗我部氏が阿波制圧へ大きく進むきっかけとなります。
長宗我部方にとっては勝利であっても、吉田政重にとっては父・俊政を失った初陣の戦でもありました。




