第二話 山崩し
風が、田の上を渡った。
大坂峠へ続く谷口を挟み、両軍はまだ動かなかった。
羽柴方では楯が並び、その後ろで鉄砲足軽が火縄を確かめている。槍衆はさらに後ろ。その向こうには、道を埋めるほどの荷駄と旗が続いていた。
信親は馬上から敵陣を眺めた。
「思ったより慎重だな」
「数があるからこそでしょう」
政重は前ではなく、その奥を見ていた。
先手と後勢の間は、まだ狭い。
羽柴方の太鼓が一つ鳴った。楯の間から鉄砲が上がる。
信親が采配を伏せた。
「来るぞ」
次の瞬間、谷口に銃声が重なった。
土が跳ねた。長宗我部方からも撃ち返す。白煙が両軍の間へ流れ、消えぬうちに次の銃声が響いた。
羽柴方の前列で二人が倒れた。
こちらでも、槍を持った男が膝をついた。脇の兵が肩を貸して後ろへ運ぶ。
「まだか」
信親が問う。
「まだにございます」
羽柴方が一段進んだ。
二度、三度と撃ち合った後、信親が采配を返した。
「退け!」
長宗我部勢が下がった。
楯を捨てる者がいる。負傷した兵を抱えて走る者がいる。旗の一本が泥へ倒れた。
羽柴方から鬨の声が上がった。
先手が食いつく。
政重も走った。
田が細くなる。左右から山が迫る。道幅が狭まるにつれて、羽柴方の列は長く伸びた。
先頭は速い。荷駄は遅い。
その後ろの後勢は、さらに遅れる。
政重は振り返った。
欲しかった隙間が、そこにあった。
「信親様」
信親が政重を見る。
「ここにございます」
信親はすぐに采配を上げた。退いていた兵が左右へ割れた。
その奥の土塁に、黒い砲身が並んでいた。
一つ。
二つ。
さらに、その隣にも。
谷を上ってきた羽柴兵の足が止まった。
「待てッ、大筒じゃ!」
叫びが走った。
「止まれ、一つ二つではない!」
八つの砲口が、坂下へ向いていた。
信親が片手を上げた。
火が入る。
腹の底を打つ轟音が山へぶつかった。
一門が大きく後ろへ跳ねた。
砲弾は狙った荷駄へ届かなかった。手前の道端をえぐり、土と石を跳ね上げる。
だが、荷駄馬が棹立ちになった。
後ろの馬がぶつかり、兵が怒鳴り、列が止まる。
政重は動かなかった。
当てるための一発ではない。
飛んでくると、見せるための一発だった。
信親の手が下がる。
一つの砲声が谷に残るうちに、残る砲座からも次々に白煙が噴き上がった。
木砲の陰に伏せた鉄砲組が、一斉に火を放った。
何挺もの銃声が山肌へぶつかり、砲声と轟音が重なった。
「伏せろ!」
羽柴兵が道へ身を投げた。
数呼吸遅れて、後方の山腹で鈍い音がした。
土煙が上がる。
斜面に溜まっていた石が動き、土とともに街道へ雪崩れた。後続の兵が立ち止まり、前へ進む者と下がる者がぶつかる。
「後ろだ!」
「山まで飛んだぞ!」
山に反響した音が、砲の数も場所も分からなくした。
「今にございます」
政重が言った。
しかし信親はまだ動かない。
伏せた敵が起き上がる。
後ろへ戻ろうとする兵が荷駄へ詰まる。
さらに後ろから味方が押してくる。
列が縮んだ。
そこで信親の采配が落ちた。
「撃て!」
左右の山腹から鉄砲が鳴った。羽柴勢の横腹へ弾が入る。
「槍、前へ!」
退いていた長宗我部勢が反転した。
信親も馬を進めた。
「押せ!」
槍衆がぶつかった。
羽柴方の先手は下がろうとした。だが後ろには荷駄があり、その先では落石が道を狭めている。
押し返され、前へ出ようとしてまた押される。
槍が絡み、鉄砲が落ちた。
長宗我部勢がそこへ食い込んだ。
政重は刀を抜きながら、敵の列を見た。
大筒で倒した兵は、ほとんどいない。
それでも、敵の足は止まった。
ほんのわずかな間。その間に、信親が兵を入れた。
散り散りになった羽柴方の旗が坂を下がり始める。
「退いたぞ!」
誰かが叫んだ。
長宗我部方から、山を震わせる鬨の声が上がった。
兵が敗軍を追おうとする。
「止まれ!」
信親の声が飛んだ。
「列を崩すな!」
坂下には、まだ羽柴方の旗が並んでいる。
逃げてきた先手を受け入れながら、後勢は槍を揃えたまま動かなかった。
信親が目を細めた。
「……流石に後ろは来ぬな」
「はい」
「救いに入れば、もう一度叩けたものを」
「彼方の山腹まで届く砲があると見れば、迂闊に進めぬでしょう」
信親はしばらく坂下を眺めた。
「面倒な相手だ」
勝った。
だが、崩したのは先手だけだった。
◆
「長宗我部方に大筒、八門にございます!」
使番の声に、秀長の顔が上がった。
「……何門と言った」
「大筒八門が、大坂峠の道を塞いでおりまする!」
秀長は立ち上がった。
「まことに大筒か? 八つ、砲身を見たのだな」
「はっ。黒い砲身が八つ並び、次々に火を噴いたと」
秀長は黙った。
一門、二門ならあり得ぬ話ではない。
堺の商人を通じて求めたか。あるいは南蛮渡りか。
だが八門を、一つの峠へ集めている。
それが事実なら話は違った。
秀長の指が、絵図の大坂峠を静かに叩いた。
「ここへ八門置けるなら、これが長宗我部の持つすべてとは限らぬ。土佐泊にも、一宮にも置いてあると考えよ」
座にいた重臣らが顔を見合わせる。
「先手を救いまするか」
「出すな」
秀長は即答した。
「狭い道へ兵を足してどうする。八門がまことなら、まとめて撃たれるだけだ」
ほどなく、別の使番が来た。
「退いた者どもから聞き取りました。砲声は幾度もあったとのこと。ただ、飛ぶ砲弾を見た者が少のうございます」
「何発だ」
「確かなのは一発。二発見たという者もおりまするが」
「山が崩れたのは」
「砲撃によるものと」
秀長は地図の大坂峠へ指を置いた。
しばらくして、その指を離した。
「物見を左右へ回せ。一人ずつ話を聞け。見たものと、聞いたものを分けよ」
「はっ」
使番が頭を下げる。
「この道はどうなされます」
「今は使わぬ」
秀長はもう一度、峠を見た。
「大筒の数を確かめてからでよい」
◆
日が傾くころ、砲座の撤収が始まった。
八門あったはずの大筒が、次々と形を失っていく。
兵が黒い砲身を持ち上げた。
二人で足りた。
縄をほどけば板が外れ、その下から煤で黒くした木肌が現れた。
次も同じだった。その次も。
安岡玄蕃が目を細めた。
「七門とも、木砲でございましたか」
「そうだ」
八門のうち、青銅で鋳た本物は一門だけだった。
残る七門は、木と板で形を似せた偽の大筒である。
偽砲の砲座から上がった煙と音も、本物の一発へ重ねただけだった。
最後に残った青銅砲には、十人がかりで縄を掛けている。
「では、山を崩したのは、あの一門で?」
政重は崩れた斜面へ目を向けた。
「三日前から崩れやすくして、石を寄せ、支えを入れてあった。火薬は、崩れを始めるきっかけに使っただけだ」
兵部はしばらく斜面を見た。
「……あれまで、大筒で撃ったと思わせたのでございますな」
「本物を先に見せたからな」
政重は青銅砲を指した。
「あれが一度鳴らなければ、七門はただの木だ。山が崩れても、仕掛けを疑われる」
「一門で八門にした、と」
「少し違う」
政重は首を振った。
「残り七門を大筒にしたのは、敵の方じゃ」
兵部が口元をわずかに緩めた。
「次も、お使いになりますか」
「使わぬ」
「もう疑われますか」
「一度でよい。二度も使うと粗が出よう」
そこへ信親が歩いてきた。
坂下では、羽柴勢がすでに陣を組み直している。
「これだけやって、買えたのは何日か」
政重は首を横に振った。
「一日ほどにございます」
信親が苦笑した。
「高い一日だな」
「はい」
政重は、整い始めた敵の旗を見た。
「しかし、次からは大筒がない場所でも、あるかもしれぬと思うでしょう」
信親が坂下の整い始めた敵の旗を見た。
「それだけで足が鈍る――それを積み重ねる、か」
山の向こうで、羽柴方の太鼓が鳴った。さきほどまで乱れていた列が、もう形を取り戻しつつある。
やはり、簡単には崩れぬ。
だが、その音はもう、朝と同じには聞こえなかった。
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【史実解説】
■四国征伐と大坂峠
今回の舞台となった大坂峠(大坂越)は、阿波国と讃岐国の境にある峠です。
現在の徳島県板野町と香川県東かがわ市方面を結ぶ位置にあり、古くから阿波と讃岐を結ぶ主要な道の一つでした。源平合戦でも、阿波へ上陸した源義経が屋島へ向かう際に大坂越を通ったと伝えられています。
史実では、長宗我部方は圧倒的な兵力差の中で各地の城を守りましたが、羽柴軍の進撃を止めきれず、最終的に二か月も持たずに降伏しています。
本作では四国統一後に政重が兵站や道路、海運、軍役制度を整えているため、史実よりも組織的な防衛が可能になっていまが、兵力差そのものが消えたわけではありません。
そこで選んだのは「敵を大きく打ち破る」のではなく、「狭い場所で一部だけを叩き、一日ずつ進軍を遅らせる」という戦略です。
そのための戦場として大坂峠へ羽柴軍を誘導したのです。
■戦国時代の「大筒」と大砲
鉄砲が日本へ伝わったのは天文十二年(1543)とされていますが、戦国時代には通常の火縄銃だけでなく、より大きな弾を撃つ大型火器も使われるようになりました。
こうした火器には「大筒」「大鉄砲」「石火矢」などの呼び名があります。ただし、時代や史料によってその意味には揺れがあり、大型の火縄銃に近いものから、台に据えて撃つ、現代人が想像する「大砲」に近いものまでありました。
天正十三年(1585)の時点では、こうした大砲級の火器もすでに日本に存在していました。
有名なのが、大友宗麟の「国崩し」です。大友氏では「石火矢」が使用され、南蛮由来の大型砲を運用していたことが知られています。
とはいえ、後世の大坂の陣のように、多数の大砲を並べて砲撃する時代ではありません。大型砲は重く、多くの火薬と人手を必要とします。山の多い日本では、戦場まで運ぶこと自体が大仕事でした。
そして吉田東洋は、幕末の土佐で海防政策に携わり、大砲の製造や砲術・戦術の導入にも関わった人物です。
政重はその経験から得た、
「大砲とは、何ができて、何ができない兵器なのか」
という知識を利用し、今回の戦いでは「八門もの大筒を、一つの峠へ集中できる」ように見せました。
もし本当に八門を一か所へ集められるのなら、ほかの街道や城にも大筒があるかもしれない。
そう敵に疑わせること自体が、政重の狙いだったのです。




