↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
岡豊宰相 ~幕末の改革者、戦国に還る~  作者: 曽我部穂岐
第五章 退く火

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/29

第一話 国分けの兄弟

 羽柴秀吉の書状は、四国を四つに切り分けていた。


 土佐一国は、長宗我部元親に安堵する。

 阿波、讃岐、伊予は返上せよ。


 四州の諸家と交わした起請を解き、その進退を羽柴家の下知に従わせること。証として近親の者を大坂へ差し出すこと。


 従えば、これまでの無礼は問わない。

 従わなければ、海を渡って沙汰する。


 最後通告と呼ぶには、静かな文面であった。


 その返書が大坂城へ届いたのは、七か月後の天正十三年六月のことである。


 秀吉は一度、終わりまで読んだ。

 次に半ばまで戻り、同じ箇所を読み直した。


 四州の諸家は、それぞれ本領と家名をもって長宗我部に与している。

 その進退は、元親一人の計らいによるものではない。

 ゆえに、三国返上の儀は承り難い。



 返書は、秀吉の書状よりはるかに短かった。


「かかっ」


 秀吉は、膝を打って笑った。

 だが、座に控えた諸将は、誰一人として笑わなかった。


 秀吉は、怒っている時ほどよく笑った。


「美濃守」

 兄よりも一回り大きい羽柴秀長は膝を進め、差し出された返書を受け取った。


「元親は、三国を惜しんでおるのではないぞ」


 秀長は返書へ目を落とした。


「土地の返上そのものが、主眼ではないと仰せにございますか」

「そうよ」


 秀吉は膝を進めた。

 小柄な身体がわずかに動いただけで、広い座敷の空気がそちらへ寄った。


「あやつは、誰に土地を持たせるかを、わしには決めさせぬと申しておる」

「返書には、そこまで明記されておりませぬ」


「書かれておらぬことを読むのが、天下を取る仕事じゃ」


 秀吉の指が、紙の上に並ぶ国名を一つずつ叩いた。


 阿波。讃岐。伊予。


「元親が四国を取ったことは褒めてやる。土佐一国から、ようここまで広げた。されど、取った土地を誰に持たせるかまで決めるのは、あやつの役ではない」


 秀長は一度、頭を下げた。


「四州の諸家へ、元親を介さず御下知を示されますか」


 秀吉の口元へ笑みが戻った。


「その通りじゃ。元親とともに滅びるか、わしから本領を安堵されるか、一家ずつに選ばせよ」

「承知いたしました」


「阿波へ渡れ。讃岐と伊予も同時に動かす。元親が四つを一つと言い張るなら、こちらは三方から手を入れる」

「御意」


 秀長が平伏すると、諸将も一斉に頭を下げた。




 諸将が退出した後も、秀長だけは座に残った。


 秀吉は元親の返書を脇へ放り、胡坐を崩した。


「小一郎。降った家には、よう褒美を約してやれ」


「兄者」


 秀長の声から、先ほどまでの硬さが抜けた。


「同じ土地を三人にやるとは言うなよ」

「働き次第じゃ」


「三人とも働き、三人とも生き残ったらどうする」

「おぬしがおるがね」


「わしがおれば、無い土地まで三つに増えると思うとるのか」


 秀吉は声を上げて笑った。


「増やせぬなら、別のものをくれてやれ。官位でも銭でも、女房でもよい。人は何かを欲しがる」


「欲しがらぬ者もおる」

「おらん」


 秀吉は即座に言った。


「己でも気づいとらんだけじゃ。そこを見つけるのが、わしの仕事よ」


 秀長は兄の顔を見た。


「ならば、元親が何を欲しがっとるかも、見つけねばならんな」


 秀吉の笑みが、ほんの少し薄くなった。


「四国じゃろう」

「ほうか」


「何が言いたい」

「いや。兄者にも、まだ値のつけられんものがあるかと思うただけだがや」


 その日のうちに、渡海の下知が出た。





 羽柴軍が淡路に陣を敷いた朝、十河家の使者が秀長の前へ通された。


 差し出されたのは、降伏状と人質の名を書いた書付であった。


 十河そごう存保まさやすは家督を子へ譲る。


 新たな当主は羽柴家へ降り、城と港を開く。目付を受け入れ、定められた蔵米を兵糧として差し出す。

 十河家に属する讃岐の諸勢にも、抗戦をやめるよう申し渡すという。


 代わりに求めたのは、禁制であった。


 十河領における乱取り、放火、刈田を禁ずること。

 蔵米、麦、種籾を、諸勢が勝手に徴発しないこと。


 さらに、十河家が帰順を取り持った阿波北方の七郷について、当年の年貢米を郷蔵へ留め置き、羽柴方による徴収を禁ずること。


 秀長は、使者の口上を遮らなかった。

 最後まで聞いてから、親指の爪で人差し指の節を一度押した。


「存保本人は、どこにおる」

「家督を譲り、隠居いたしました」


「戦を前にしてか」

「戦を前にしたからにございます」


 秀長は二度目に指の節を押した。


「軍役を解いた兵は、何人おる」

「十河家中の者は、新たな当主のもとで役を改めるまで、それぞれの村へ戻しておりまする」


「武具は」

「各家に」


「蔵へ納めさせなんだか」

「急な家督相続ゆえ、そこまでは」


 座中の何人かが顔を見合わせた。


 秀長は三度目に指を押した。


「阿波の年貢まで止めさせて、こちらの兵糧は何で埋める」

「十河の蔵より、約した分を違えず差し出しまする。降った村を荒らさぬと示せば、後に続く村もございましょう」


 理は通っていた。


 讃岐の港が戦わず開き、阿波の村々まで帰順するなら、米俵を奪い歩くより安く済む。十河家の蔵から定量を受け取れば、諸隊が勝手に年貢へ手を出す必要もない。


 だが、軍役を解かれた壮年の兵が、武具を持ったまま村へ戻っている。

 存保本人の居場所も知れない。


「穴はあるな」

 秀長は降伏状を置いた。使者の肩がわずかに固くなった。


「されど、穴があるから戸を使わんという話にもならん。降伏は受ける。禁制も出す」


 使者が深く頭を下げた。


「ただし、十河の蔵は先に改める。目付を入れ、兵糧は羽柴の枡で量る。七郷には十河の役人だけでなく、こちらからも一人ずつ置く」

「承知いたしました」


「ただ、存保には出仕を求める」


 使者は一拍遅れて答えた。

「……その旨、申し伝えまする」


 秀長は、その遅れを聞き逃さなかった。


 だが、降伏状を返しはしなかった。

 城と港が開き、兵糧が入り、讃岐の諸家が揺れる。十河家の降伏がもたらすものは、存保一人の不在より大きい。降伏は認められ、禁制には判が据えられた。



 数日後、讃岐へ向かう船団が海を埋めた。

 屋島の浜へ近づくと、船上の兵は楯を立て、鉄砲衆は火縄を確かめた。


 先に出た小舟が波打ち際へ着き、兵が水を蹴って上がる。


 矢も鉄砲も飛んでこなかった。


 浜にいたのは、十河家の使者と、禁制札を抱えた土地の役人だけであった。

 港の柵は外され、蔵には約定した米が積まれている。


 羽柴勢は一発も撃たず、讃岐へ上陸した。


 田には水が張られ、青い苗が風にそよいでいた。

 鶏を追おうとした足軽が目付に怒鳴られ、舌打ちしながら列へ戻った。村人たちは黙って頭を下げ、通り過ぎる軍勢を見送った。


「四国は、もう崩れておる」


 誰かが笑った。


 長宗我部方の小城から、まとまった兵は出てこなかった。道沿いの国衆からは、羽柴方へよしみを求める使者も現れ始めた。


 十河が降った。


 その報せは、軍勢より早く讃岐の道を進んだ。


 ただし、秀長へ送られた報告に、四国が崩れたとは書かれなかった。

 記されていたのは、開いた港の数、差し出された俵の数、姿を見せない十河兵の数だけであった。




 海の匂いが薄れたのは、引田を過ぎてからである。

 羽柴方の軍勢は、大坂峠を越えて阿波へ入るため、坂元口へ向かっていた。


 初めは広かった道が、南へ進むにつれて細くなる。


 左右に田畑は残っているが、その幅も次第に狭まり、前方には幾重もの山が迫っていた。その谷間へ、一本の道が吸い込まれている。


 先触れが馬を返した。


「長宗我部勢を認めました!」


 行軍が止まった。


 荷駄が道の端へ寄せられ、鉄砲衆と槍衆が前へ出る。物見が丘へ上がり、谷口をうかがった。


 坂元の田地が尽きる先に、白地に酢漿かたばみ草の旗が立っていた。


 旗指物の数は多くない。両翼も山裾へ届かず、陣の厚みは羽柴方に及ばなかった。


 その後ろには大坂峠へ続く細道しかない。

 羽柴方から見れば、退く場所を誤った敵であった。


 わずかに高い場所へ置かれた本陣に、長宗我部信親がいた。

 その前方、槍衆の一角には吉田政重がいる。


「来たな」


 信親が言った。


「はい」


 政重は、敵の旗を見ていなかった。

 羽柴方の先手と、なお道の向こうから続いてくる後勢との間を見ていた。


 やがて羽柴方の鉄砲足軽が進み出た。

 楯が地面へ置かれ、その後ろで火縄の火が揺れる。槍衆も列を整え、山へ向かって穂先を揃えた。


 長宗我部方では、太鼓が一つ鳴った。

 槍の穂が、わずかに伏せられる。


 数では羽柴方が勝っていた。

 背後にある開けた讃岐も、すでに羽柴方の手にあった。


 長宗我部勢の後ろに残されているのは、山へ入る一本の道だけである。


 羽柴方の諸将には、それが長宗我部の退路に見えた。


 政重もまた、同じ道を見ていた。



お読みいただき、ありがとうございました。

創作の励みになりますので、評価・感想をよろしくお願いいたします。


【史実解説】

■国分ける兄弟 秀吉と秀長

天正十三年の羽柴秀吉は、小牧・長久手の戦いを徳川家康・織田信雄との政治交渉によって収め、武力による覇者から、朝廷の官職を用いて全国を裁定する支配者へ移りつつある時期にありました。


四国の国分について、秀吉は当初、毛利氏に土佐・伊予を与える案を示していました。その後、長宗我部氏に土佐・伊予を認める方向へ傾きましたが、伊予領有を求める毛利・小早川側が難色を示したことで、最終的には元親の領国を土佐一国に限る案へと変化しました。半年ほどの間に、長宗我部・毛利・秀吉の交渉によって、四国の国分案は大きく揺れ動いていたのです。


秀吉の弟・秀長は、「秀吉を諫める温厚な参謀」という人物像で知られています。しかし史実の秀長は、大軍を率いて城を攻め、戦後処理まで進めた統治者でもありました。


四国征伐では方面軍の総大将を務めています。紀州征伐後には和泉・紀伊の支配を任され、それが四国出兵の足場となりました。六月十六日には秀次とともに渡海し、阿波各地へ禁制を出しながら軍を進めています。


兄の構想を、軍勢・兵糧・占領統治という実務へ落とし込む。秀長は、羽柴政権の実務を担った人物でした。


■四国征伐

天正十三年六月、羽柴秀吉は長宗我部氏に対する大規模な四国出兵を開始しました。

秀長を四国方面の総大将とする羽柴方は、阿波・讃岐・伊予の三方面から四国へ侵攻します。仙石秀久も讃岐方面の攻略に参加し、戦後には讃岐を与えられています。


本作では、それ以前に長宗我部方が来島衆を取り込み、河野家を臣従させ、毛利家とも外交交渉を重ねています。そのため、史実のように毛利・小早川勢が伊予へ容易に渡海することはできず、羽柴方の侵攻路は大きく制限されています。


しかし、開戦とほぼ同時に十河家が降伏し、讃岐の港と街道を開いたことで、羽柴軍はほとんど抵抗を受けることなく四国上陸を果たしました。


史実の四国は、三方面からの侵攻によって短期間で切り分けられました。

本作では、そのうち二つの道を塞いだ長宗我部方と、唯一残された讃岐口から大軍を流し込む羽柴方との戦いになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。