第四話 海を継ぐ
天正十二年初夏。
土佐・浦戸湾東岸、池城の麓にある船屋敷へ、伊予から一艘の関船が入っていた。
潮に焼けた帆には来島の印がある。浜では池氏の小早二艘が艫を並べ、水主が濡れた綱を干し、舟番匠が陸へ引き上げた船底を槌で探っていた。
来島の水主が船から降りると、池氏の者たちは作業の手を止めた。
戦場で刃を交えたわけではない。それでも、土佐湾と瀬戸内、それぞれ異なる海を縄張りとしてきた者たちである。同じ浜に船を着けても、交わす視線にはまだ硬さが残っていた。
船屋敷の広間には、長宗我部信親、政重、池頼定・頼和父子、来島通幸が集まっていた。
頼定は池氏の先代で、国親の代から浦戸湾を押さえてきた人物である。今は家と船の差配を、国親の娘を妻に迎えた一門衆の頼和へ譲りつつあった。
その対座にいる通幸は、伊予の河野通直の実兄であり、来島城奪還後は長宗我部家と来島衆をつなぐ役を担っている。
阿波と讃岐の浦々からは、使える船と水主、風待ちのできる湊を書き上げた書付が届いていた。頼和の膝前にはそれらが積まれ、紙の端には潮と濡れた縄の匂いが染みついている。
信親が頷くと、政重は広間の中央へ四国の絵図を広げた。紙の端へ頼和が文鎮を置き、通幸が反対側を指先で押さえる。
「浦戸から甲浦、撫養、塩飽を経て、来島へ至る道にございます」
政重は、絵図の上を指でたどった。
紙の海を渡る指先を、三人の海の者が黙って追う。
「道なら、もとよりある」
頼定が言った。膝に置いた両手は節くれ立ち、爪の際には船板の脂が残っていた。
「池の船は甲浦へ行く。阿波の船は撫養へ入る。塩飽も来島も、昔から海で商っておる。何を新しく作る」
「海路そのものではございませぬ」
政重は一冊の帳を絵図の脇へ置いた。
東洋の知る時代には、船と陸の商人との間に立ち、荷の受け渡しや次の船を差配する廻船問屋があった。船と船頭、荷の出入りを帳へ残す、湊の窓口である。
人も蔵も信用も足りぬ今、その仕組みをそのまま四国へ置くことはできない。
だが、誰が船を迎え、誰が次へ回すかだけなら、先に定められる。
「各湊に一人、船と荷の差配を受け持つ者を置きまする。公用の荷が着けば、まずその者へ話を通す。湊ごとに一から相手を探す手間を省きます」
通幸は帳へ目を落としたまま、口元だけをわずかに曲げた。
「一人の差配で、浦戸から来島まで船を通すと申すか」
「それはならぬ」
頼定が、政重より先に答えた。
太い指が絵図へ伸び、浦戸から甲浦までをなぞる。紙を擦る爪の音が、広間に小さく響いた。
「池の者に、阿波や讃岐の潮まで背負わせるつもりではあるまい」
「無論にございます」
「ならば、一艘を通す道と考えるな」
頼定は甲浦、撫養、塩飽、来島と、湊ごとに指を止めた。
「池の船は池の知る海まで。阿波の者は阿波の海を、讃岐の者は讃岐の海を運ぶ。船を渡すのではない。荷を継がせよ」
「荷を継ぐ道……」
政重は絵図を見直した。
一本の線ではない。異なる海を、荷だけが渡っていく。船方の縄張りを崩さず、それでも荷は四国を巡る。
「己の海は己で運ぶ。それなら、海を譲ったと受け取る者もおるまい」
頼定の言葉に、頼和が静かに頷いた。通幸も異を唱えず、来島の位置へ置かれた小石を指で弾いた。
「では、差配役ではなく荷継役といたしましょう。荷を受け、次の船へ渡す者にございます」
「それでも遅い」
通幸が身を乗り出した。袖が絵図の端へ触れ、頼和が文鎮を少し内側へずらす。
「荷船が着いてから次の船を探し、人足を呼び集めておれば、一つの湊ごとに日が潰れる。海の上で急いでも、浜で寝かせれば同じことよ」
「先に書付を送らせますか」
「そのためだけに早船を走らせては、船が余計に要る」
通幸は開け放たれた障子の向こうへ顎を向けた。帆柱の先、その奥に池城へ続く高みが見える。
「公用船には同じ帆印を付ける。港口で見つけた者が狼煙を上げればよい」
「狼煙で何を知らせる」
信親が問うた。
それまで黙っていたため、四人の視線が一斉に上座へ集まった。信親は絵図ではなく、通幸の顔を見ている。
「船が来る。その一事だけでよろしい。狼煙を見れば、荷継役が次の船と人足を浜へ集める。荷の数は、着いた船の書付で改めれば済みまする」
「雨や霧では見えぬぞ」
頼定が窓外の空を一瞥した。湾の向こうには薄い雲が山際へまとわりついている。
「その日は、これまでどおり船から知らせます」
通幸は肩をすくめた。
「使える日に半日を削れれば、それでよい」
「船足を速めるのではなく、湊で待つ時を減らすわけか」
政重が呟くと、通幸はようやく帳から目を上げた。
「潮を一つ逃せば、半日を失うこともある。瀬戸内では、待たせぬことも船乗りの腕にございます」
浜から槌音が三つ続いた。間を置き、今度は船板を削る乾いた音が重なる。
政重は、絵図に引かれた線の長さより、その上で船が止まる時間を思った。
そこで頼和が口を開いた。
「速く継げるようになれば、別の揉め事が起こりまする」
声は静かだったが、頼定も通幸も息子の方を見た。実際に船と荷を差配する者の問いだと分かっていた。
「何故だ」
「来島へ着いた時、俵が一つ足りなかったとする。どの船の責めとなります」
「湊ごとに帳へ残せばよかろう」
通幸の言葉に、頼和は首を振った。
「池の帳には五十、阿波の帳には四十九とあれば、いずれを信じまする」
広間に沈黙が落ちた。
風にあおられた帆が、外で一度大きく鳴った。
頼和は傍らの荷札を一枚手に取った。指先で厚みを確かめ、中央へ爪を当てる。
「渡す者と受ける者が、同じ札へ俵数を書き、双方の印を押す。その場で二つに割り、一片ずつ持てばよろしい」
「なるほど、割り札か……」
「次の湊では、荷と札を改める。数が合わねば、どの海で減ったか分かりまする。荷とともに、責めも次へ渡すのです」
頼和は札を折り、乾いた音を立てて二つに割った。一片を政重へ、もう一片を通幸の前へ置く。
政重は二片の割れ目を合わせた。欠けた木目が、ぴたりと一枚へ戻った。
「浦戸では公用枡で量り、俵口へ同じ印を付ける。継ぐ湊では数と印を改め、割り札を残す。これならば、量り方も責めの所在も揃えられまする」
頼定が低く笑った。皺の深い目元が、初めてわずかに緩む。
「ようやく、海の者が使える定めになったな」
信親は、絵図の上へ並ぶ湊を見渡した。
政重の帳、頼定の指、通幸が示した高み、頼和の割った札。そのすべてが、一本の線の周りへ集まっている。
「荷は、その海を知る者から次へ継ぐ。船影を認めれば狼煙で湊を動かす。渡す時には割り札を残し、荷と責めをともに移す」
信親は三人を順に見た。
「それぞれ、己が申したことを形にせよ」
「はっ」
三人の声が重なった。先ほどまで浜に残っていた硬さとは違う響きだった。
「まず半年、試してみよ。民の商いをすべて改めるには及ばぬ。公用の荷だけでよい。各湊の荷継役は、今いる浦役人と船頭から選べ。新たな役所も蔵も急いて建てずともよい」
一同が頭を下げた。
「政重」
信親は浦戸から来島までを指でなぞった。
「この線が、半年後には道になるのだな」
「それを決めるのは、船足ではございませぬ」
政重は頼定、頼和、通幸を見た。三人の前には、書付、帳、割り札がそれぞれ置かれている。
「船が着く前に湊が動き、荷とともに責めが渡る。それが繰り返されて、初めて道となりまする」
「ならば、通してみよ」
信親の指が来島で止まった。
「まず米を、止めずにここまで」
絵図の海路は、広げた時と何も変わっていない。
それでも今は、その線の上に、荷を渡す手と、船を迎える煙と、二つに割られた札があった。
お読みいただき、ありがとうございました。
創作の励みになりますので、評価・感想をよろしくお願いいたします。
【史実解説】
■浦戸湾を押さえた池氏父子・池頼定/池頼和
池氏は、土佐国長岡郡の池城を本拠とした国人です。池頼定の子・頼和は四郎左衛門を称し、長宗我部国親の娘を妻に迎えたことで、長宗我部氏と婚姻関係を結びました。
後世には、池氏は長宗我部方の海上勢力を担った一族として語られています。しかし、父子に関しての具体的な同時代記録は乏しく、「長宗我部水軍の総大将」とまで断定するのは慎重であるべきでしょう。本作では、頼定を浦々の古い慣行に通じた先代、頼和を一門衆として船と水主を差配する現役当主として描いています。
頼和はのちの文禄二年(1593)、謀反を疑われ、清道寺で自刃したと伝えられています。
なお、土佐に海運の基盤がなかったわけではありません。『長宗我部地検帳』からは、沿岸部や河口部に水主、船頭、上乗、廻船乗、舟番匠などの海運・造船関係者が広く分布していたことが明らかになっています。本話より数年後の史料ですが、戦国末期土佐の海運基盤を考える手掛かりになります。
■港と船をつないだ海の窓口・廻船問屋
廻船問屋は、主に江戸時代の拠点港で、廻船と荷主・商人との間に立った業者です。積荷の受け渡しや売買、運送の仲介などを行い、船が入港した際の窓口となりました。運賃を受け取って荷を運ぶ船を扱う問屋と、船側が商品を売買する買積船を相手にする問屋があり、港によって形態は異なります。船員の宿泊や世話は、別に船宿が担う場合もありました。
本作の時代に、江戸期の廻船問屋をそのまま設けることはできません。そこで政重は、各港に「誰が荷を受け、誰が次へ渡すか」という窓口だけを置き、その仕組みを簡略化して取り入れています。作中の荷継役、狼煙、割り札による制度は創作ですが、港で船を遊ばせず、人・荷・情報を次へつなぐという発想には、後世の海運制度を下敷きにしています。




