第三話 才を量る枡
信親の命を受け、四州の城々から二十余人の男が岡豊へ集められた。
阿波の蔵役、伊予の郷士、讃岐で年貢勘定をしていた者。土佐の山間で庄屋と役人の間を取り持っていた者もいる。
年も身分も揃わない。持参した書付にあるのは、名と出自、これまで任された役目だけである。
だが、郡を任された奉行も、城主の側近もいなかった。
政重が座敷へ入ると、視線が一斉に集まった。
中富川で傷を負い、十河存保を捕らえ、来島衆を引き入れた若武者。その名は四州へ知れている。
それでも、仕置を学ぶ相手としては若すぎた。
「本日より、公用枡と帳の扱いを覚えてもらう」
男たちは頭を下げた。礼は整っている。だが、納得はしていない。
やがて年嵩の蔵役が手をついた。
「恐れながら、枡も帳も土地ごとに仕来りがございます。阿波と伊予では米の出来も、蔵の扱いも異なりましょう。それを一つに揃えるは、かえって実情を損ないませぬか」
何人かが小さく頷いた。
「米の良し悪しは帳へ記せばよい。量る一升まで違えてよい理由にはならぬ」
「されど、土地を治むるには、その地の習いに従うべきかと」
蔵役は『礼記』の一句を引いた。
口調は丁重だが、若い政重がどこまで書を知るか、試している。
政重は書へ手を触れなかった。
引かれた一句の前後を諳んじ、その言葉は土地ごとに物差しを違えよと説くものではなく、民情を顧みよと戒めるものだと返した。
隣の男が『論語』から別の句を挙げる。
政重は続く文まで答え、その意味を年貢の仕置へ置き換えて説いた。『孟子』『大学』『中庸』へ移っても言葉は淀まない。五経の句を問われれば、出典と前後を返した。
最後に問うた男は、確かめるように書を開き、しばらくして黙って閉じた。
先ほどまで政重の顔を見ていた者たちが、今は膝を正している。
前世で吉田東洋が自邸に開いた少林塾には、家格も年齢も異なる若者が集った。四書五経を講じながら、同じ問いを投げ、答えだけでなく、何を見落としたかを量った。
学問は、人を黙らせるための飾りではない。
「民は信なくんば立たず」
政重は『論語』の一句を置いた。
「枡が村ごと、蔵ごとに違えば、年貢そのものが疑われる。百姓は隠し、役人は疑われ、領主は己の蔵に幾らあるかも分からぬ。それを土地の習いと申すか」
座敷に沈黙が落ちた。
政重は二つの枡を膝前へ並べた。形も大きさも、見ただけではほとんど変わらない。
「どちらが大きい」
右だ、いや左だと声が割れた。
政重は一方へ米を満たし、もう一方へ移した。
さらさらと乾いた音がして、縁から米がこぼれ落ちる。
座の端の男が腰を浮かせた。別の者は畳へ散った米粒を目で追っている。
「どちらも一升枡として使われておる。一方で村から取り、一方で蔵へ納めれば、この差はどこへ行く」
「蔵役が抜いたと疑われまする」
「運び手かもしれませぬ」
「百姓が少なく納めたとも」
「そうだ。枡が違えば、誰の過ちかも、過ちがあったかさえ分からぬ」
政重は二冊の帳を開いた。
一冊には、村から米千俵を受け取ったとある。もう一冊には、蔵へ九百五十俵を納めたとあった。
「五十俵はどこへ消えた」
「運ぶ間の目減りかと」
「鼠害かもしれぬ」
「湿りで腐ることもあろう」
「では、何俵が目減りし、何俵を鼠が食い、何俵を捨てた」
返事が止んだ。
「記しておらぬゆえ、誰にも分からぬ。不足を百姓へ負わせれば、今年の蔵は埋まる。だが、田を捨てられれば、来年から取る米そのものが減る」
年嵩の蔵役が二冊の帳を見つめた。
「百姓に利があることは分かり申した。されど、帳を揃えるために人を増やせば、領主の費えも増えまする」
政重は座を見渡した。
「誰か答えられる者は」
やがて、一人の若者が手をついた。
日に焼けた顔。肩は厚く、畳についた手は節くれ立っている。蔵の中だけで生きてきた者ではない。
「名と、参った地を申せ」
「幡多の中村より参りました、立石助兵衛にございます」
政重の指が、帳の上で止まった。
のちに立石正賀を名乗り、戦場を駆け、長宗我部家の盛衰を『長元記』へ書き残す男。東洋が幾度も古書の中で目にした名が、まだ何も書き残していない若武者として、目の前にいた。
「立石助兵衛か」
「は」
名を繰り返された理由が分からず、助兵衛が眉を寄せる。
政重は二冊の帳を指した。
「申してみよ」
「村と蔵の帳を同じ形に揃えるだけでは、足りぬのではございませぬか」
「なぜだ」
「二冊の数が合っていても、正しいとは限りませぬ。渡す者と受ける者が示し合わせれば、同じ偽りを両方へ書けまする」
座敷に小さなどよめきが広がった。
「ならば帳を三冊に増やすか」
助兵衛は首を横に振った。
「冊数を増やしても、書く者が同じなら変わりませぬ」
「では何を変える」
「改める者を変えます。渡す側、受ける側、それにどちらにも属さぬ者を一人」
「三人が示し合わせれば」
助兵衛は口を閉じ、二つの枡へ目を移した。
「……改める日を知らせぬようにいたしまする」
「常に見張りを置くのか」
「それでは費えが増えます。時を定めずに改め、偽りが見つかれば前の帳まで遡ると決めておけば、常に見張らずとも抑えになりまする」
年嵩の蔵役が、わずかに息を吐いた。
「それで領主に何の利がある」
「蔵に本当は幾らあるのかが分かります」
助兵衛は少し考えて続けた。荒田を自ら申し出て増えた実りは二年、領主の手元に残すことは聞いていたが、利の本質はそこではない。
「兵糧が何日持つかを誤らず、出せる兵も見定められまする。抜き取りと訳の分からぬ目減りが減れば、百姓から多く取らずとも、主の蔵へ残る米は増えます」
男たちの目が二冊の帳へ戻った。
民から取る量を増やさず、領主の米を増やす。
二つの利が、ようやく一本につながった。
「よい」
政重は頷いた。
「帳を揃えることが仕置ではない。揃えた帳から、誰も見ていなかった穴を見つける。それが仕置だ」
政重は新たな書付を広げた。
「そなたらには一年、信親様預かりとして各地の蔵を改めてもらう。競うのは取り立てた米の多さではない。帳と実物の差、不明な損耗、民を逃がさず蔵へ残した米だ」
「功は、いかに量られまする」
「働きに応じて役料を出す。抜きんでた者は、引き続き信親様の仕置役として用いる」
ざわめきが広がった。
役料と聞いて目を上げる者がいた。信親預かりの言葉に顔をこわばらせる者もいる。
「ただし、取り立てを増やして蔵を満たした者は功とはせぬ。未進と逃散を増やした者は、むしろ咎める」
先ほどまで政重の若さを量っていた男たちが、今は互いの顔を見ていた。
その目には、競う者の熱があった。
◆
男たちが退出した後、信親が座敷へ入った。
畳には、まだ数粒の米が残っている。
信親は二つの枡を手に取り、重ねてみた。
「皆、得心したか」
「理だけでは動きませぬ」
政重は二冊の帳を閉じた。
「領主には蔵が増える。仕置役には役料と働き口が増える。民には過ぎた取り立てが減る。己にも利があると分かって、初めて人は動きまする」
信親は手の中の枡を見下ろした。米を量る道具一つで、蔵だけでなく、人の働きまで変えようとしている。
「使える者を寄越せと申せば、誰も手放しませぬ。各城が寄越したのは、使えぬ者ではございませぬ。領主がその使い道を見いだせなかった者にございます」
信親は、助兵衛が座っていた場所へ目をやった。
「役に立つと分かれば、返せと申すぞ」
「その時には、お断りください」
「何と申して断る」
政重は平然と答えた。
「惜しまれる者にしたのは、信親様にございます、と」
信親は一瞬、目を見開いた。
やがて、手の中の二つの枡を見下ろし、低く笑った。
米を量るために揃えた枡は、いつしか、人の才まで量り始めていた。
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【史実解説】
■少林塾
少林塾は、吉田東洋が謹慎中に高知城下近郊の長浜で開いた私塾です。鶴田塾とも呼ばれ、南学を中心に学問を講じ、後藤象二郎、福岡孝弟、岩崎弥太郎ら、後の土佐藩政や明治期に活躍する人材を育てました。東洋は参政へ復帰した後、門下の若者たちを実際の藩政にも登用しています。
■文武の実務家・立石正賀
立石正賀は、通称を助兵衛といい、土佐国幡多郡の立石氏の出身とされます。立石氏はもと土佐一条氏に属した一族で、一条氏の衰退後、正賀は長宗我部元親に仕えました。伊予攻略では久武氏らに従って各地を転戦し、南予方面で戦功を挙げた武士と伝わっています。
長宗我部家の改易後は肥後の細川家に仕え、千五百石を与えられたとの伝承もあります。主家を失った後も他国で武士として生き延びた人物でした。
晩年の万治二年(1659)、正賀は長宗我部氏の興亡を『長元物語』にまとめました。『長元記』とも呼ばれるこの書は、物語調よりも覚書に近い箇条書きの形式で、元親の事績や四国攻略を記しています。年月の取り違えなどもあるため、そのまま史実とはできませんが、正賀自身が戦った南予方面の記事は、比較的信頼できる記録と評価されています。




