第二話 半年を買う
天正十二年四月下旬。
岡豊城の小座敷には、三つの枡が並べられていた。
土佐、阿波、伊予から取り寄せた物である。いずれにも「一升」と記した札が結ばれていたが、大きさは目で見ても違う。
信親は阿波の枡へ米を満たし、土佐の枡へ移した。米粒が縁を越え、畳へぱらぱらとこぼれる。その一粒が、信親の膝前まで転がった。
「これが、どちらも一升か」
「それぞれの土地では、左様にございます」
政重が答えた。
信親は膝前の米粒を拾う。
「やはり、阿波の百石と土佐の百石は、同じではない」
信親は枡を置いた。その前には、四州から集めた帳が積まれている。
土佐では田畑の広さと年貢。阿波では村ごとの納米。讃岐では城へ納めた兵糧。伊予では河野家以来の書き方が残っていた。
軍役も同じだった。一領具足を頭数だけで記す帳もあれば、弓、鉄砲、馬、船手と役目ごとに分ける帳もある。
「四国を取った」
信親は四冊を見渡した。
「されど、四国に米がどれほどあり、兵を何人、何日動かせるかも正しく答えられぬ」
阿波の軍役帳を閉じる。
「秀吉はすでに、田畑に縛られず、長く動ける兵を養っておると聞く。兵が集まってから頭数を数え、戦の算用を始めたのでは勝てぬ」
命を下せば帳は上がる。だが、並べても比べられない。
検使を送れば実地は確かめられる。とはいえ、岡豊から四州の村々へ人を出せば、元親の直領を治める者まで足りなくなる。現地の城主へ任せれば、土地や米を少なく記す者も出るだろう。
「ほかの道を考えねばならぬ」
「案を持参しておりまする」
政重は一冊の帳を差し出した。夜須の吉田領で用いている物である。
元親の直領でも、すでに同じ枡と帳が使われ始めていた。田畑、収穫、年貢、軍役が同じ形で記されている。
信親が帳をめくる手を止めた。
「千歯扱き、とある」
「昨秋より夜須で用いておりまする」
「何をする物じゃ」
「扱き箸を幾本も並べ、稲穂から一度に籾を外します」
「そなたが考えたのか」
「一本で扱くより、並べれば手が減る。そのように考えただけにございます」
政重は何でもないことのように答えた。信親は疑わしげに見たが、追及しなかった。
「どれほど違った」
「村によって差はございますが、脱穀の日を縮められました。空いた手は俵詰めと道直しへ回しておりまする」
「米を増やしたのではないのだな」
「はい。使える日を増やしました」
信親は帳を閉じた。
「これを四州へ広げるか」
「ただ千歯扱きを広げる話ではございませぬ」
政重は三つの枡を指した。
「夜須で確かめたのは、人が足りなければ、仕事の仕方を変えればよいということにございます。まず、直領で用いる枡と帳を四州へ広げまする」
「命じれば従うか」
「従わぬ者もおりましょう」
「では、また検使が要る」
「岡豊の検使だけでは、人が足りなくなりまする」
政重は別の紙を広げた。四州の名の下に、主だった城が記されている。
「各城より、算用と帳付けに通じた者を岡豊へ出させまする」
「人を取るのか」
「覚えさせて、城へ戻します」
岡豊で公用枡の使い方と帳の記し方を教え、土地や米、一領具足の軍役をどう量り、どう記すかを覚えさせる。帰った者は、城下の村々へ同じ仕置を広げる。
「岡豊から検使を配るのではなく、各城に仕置を担う者を置きまする」
「城主が、役に立たぬ者を寄越せば」
「その城の帳だけが遅れまする」
「困るのは岡豊ではないか」
「軍役も兵糧も、加増を求める根拠も、公用帳により定めます。正しい帳を上げぬ城は、己の働きまで認めさせられませぬ」
信親の目がわずかに動いた。
従わぬ者を罰するのではない。従わねば、自らが損をする形に変えるのである。
「されど、今まで隠していた田や米を、素直に書く者がおるか」
「おりませぬ」
政重は即座に答えた。
「正しく書けば負担を増やされる。そう思えば、誰も真の帳は差し出しませぬ。ゆえに、最初の一度だけは、古帳との違いを罪に問いませぬ」
「偽りを許すか……」
「過ぎた偽りを許さねば、これからも偽り続けまする」
新しい公用帳を差し出した時点で、古帳との違いは問わない。隠されていた田畑があっても、すぐには没収せず、年貢も加重しない。
さらに、荒田を自ら申し出て増えた実りは二年、当地へ残す。
「隠しておくより、差し出す方を得にいたしまする」
「二年も取らぬのか」
「二年後には増えた分も取れまする」
「今すぐ取れば」
「今年からまた隠されましょう」
信親は黙り込み、土佐と阿波の枡を見比べた。
「最初の違いは問わぬ。ただし、新しい帳を出した後の偽りは許さぬ。荒田を申し出て戻した分は、二年、当地へ残す」
「はっ」
信親は政重を見た。
「わしの名で命を出す。公用枡と帳を四州へ下せ。各城から仕置役を岡豊へ出させよ」
元親から任されたのは、案を聞くだけではない。採るか捨てるかを選び、自らの名で命を下すことである。
「承知いたしました」
政重が頭を下げたところで、障子の外から近習の声がした。香宗我部親泰と谷忠澄が到着したという。
◆
ほどなく二人が小座敷へ入り、その後から元親も姿を見せた。
元親は上座へ腰を下ろしたが、四州の枡と帳へ一度目をやっただけで、口を挟まなかった。
信親が親泰へ向き直る。
「叔父上。東では、どこまで時を稼げる」
「家康殿と信雄殿が秀吉と戦っている間は、秀吉も東から兵を抜きにくうございます。長宗我部が西から呼応し得ると見せれば、なおさらでございましょう」
「家康は、われらを助けるか」
「われらのためには動きますまい。同じ敵を見る間だけ、利の重なる相手にございます」
「家康が勝てば」
「助ける必要がなくなりまする」
「負ければ」
「助ける力がなくなりましょう」
信親は返す言葉を飲み込んだ。
勝っても負けても、家康を頼みにはできない。ただ、秀吉の足を東へつなぎ止めるために使うだけである。
信親は忠澄へ目を移した。
「西は」
「毛利を味方にすることは難しゅうございます。されど、敵となる日を遅らせることはできまする」
忠澄は瀬戸内の絵図へ指を置いた。
河野家を立て直したのは毛利を脅かすためではなく、伊予を鎮めるためであったと伝える。来島の船を安芸へ向けず、瀬戸内の商いも妨げない。
「それで止まるか」
「止まりませぬ。されど、秀吉より兵船を求められた折、即座に応じる理由を減らせまする」
「東と西へ、われらの進む道を定めぬまま言葉を通せるのは、いつまでじゃ」
親泰と忠澄は顔を見合わせた。障子の向こうで風が鳴り、瀬戸内の絵図の端がわずかに浮く。
「秋まで」
親泰が答えた。
「半年ほどにございます」
忠澄が続ける。
「半年を与えられるのではございませぬ。東西へ送る言葉の値が、日ごとに減っていくのでございます」
秀吉に従うのか。それとも抗うのか。
いずれ、東からも西からも答えを求められる。曖昧な書状だけで逃れられるのは、秋までだった。
元親が初めて口を開いた。
「親泰。東はその策で進めよ」
「承知」
「忠澄。西は任せる」
「御意にございます」
元親が命じたのは、それだけだった。四州の仕置については、すでに信親へ任せている。
元親の視線を受け、信親は三つの枡へ手を置いた。
「半年で、四州の仕置を終えることはできぬ」
「はい」
「されど、これが四州へ広げられる仕置かどうかは、半年で示せるな」
信親の指が、枡の縁で止まった。
父ならばどう命じるかを尋ねる様子はない。案を採れば、その結果まで自分が負うつもりなのだろう。
「秋までに、同じ枡で量った米と、同じ帳に記した四州の数字を、ここへ積め」
近習が呼ばれた。
四州へ下す公用枡。公用帳の見本。各城から仕置役を出すよう命じる書状。
親泰が東へ送る書状と、忠澄が西へ送る書状も、それぞれ使者へ渡された。
使者たちは次々に岡豊の坂を下っていった。
半年で、四国を豊かにすることはできない。仕置を隅々まで行き渡らせることもできない。
だが、四国を同じ物差しで測り、同じ帳で見渡すことはできる。
その仕組みが働くならば、長宗我部は秋に、初めて四国の実力を知る。
その重さを知らずして、守るとも、戦うとも決めることはできなかった。
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【史実解説】
■長宗我部地検帳
史実の長宗我部氏も、領国の田畑や権利関係を把握するため、詳細な検地を行いました。
現在まで伝わる「長宗我部地検帳」は、天正十五年(1587)から十二年をかけて作られた土佐一国の総検地帳です。土佐七郡にわたる368冊が現存し、その後も長く土地支配の基本台帳として用いられました。
本話は、それより三年前の天正十二年です。政重は史実より早く帳と枡を整え、しかも土佐だけでなく阿波・讃岐・伊予へ広げようとしています。
■千歯扱き
千歯扱きは、櫛状に並べた歯へ稲穂を通し、籾を外す農具です。それ以前の扱き箸に比べて脱穀の能率を大きく高めましたが、一般には江戸時代中期、元禄年間ごろに登場した道具とされています。
本話では、江戸時代に使用していた形状を持ち込んだのではなく、扱き箸を並べる原理を示し、当時の鍛冶と百姓が使える形へ仕上げたものとしています。
目的は米そのものを増やすことではありません。脱穀に費やす日数を減らし、浮いた人手を俵詰めや輸送、道普請へ回すことにあります。




