第一話 次代の仕置
天正十二年四月。
夜須の吉田家屋敷には、戦で得たものより、戦の後に生まれたものの方が多く積まれていた。
新たに加えられた領地の目録。伊予から戻った負傷者の名。戦で失われた武具と船の損耗。
どれも紙一枚では済まず、弟の正義の前には、綴じられるのを待つ帳が三つ並んでいる。
政重は縁側に座り、右肩をゆっくり回した。
来島城で受けた傷は塞がっている。だが、深く息を吸えば、脇腹から背へ鈍い痛みが走った。中富川の初陣から、すでに傷は十を数えた。若い身体は驚くほど早く戻ったが、何もなかったことにはならない。
「兄上、こちらを」
正義が差し出したのは、元親から与えられた領地の目録であった。
伊予平定までの功として、吉田家には夜須の旧領に加え、二百町余りの土地が与えられた。
政重一人への褒美ではない。
中富川以来、槍を振るった者。帳を写した者。留守を守った者。その家々を養い、次の軍役を果たすための土地である。
それは、政重にも分かっていた。
分かっていながら、恩賞の沙汰があった折、余計なことを口にしていた。
『新知を吉田家へ付けるより、主家へ返し、四国の仕置に用いる方がよいのでは』
言い終えた途端、香宗我部親泰は閉じた扇を膝へ置いた。
谷忠澄は烏帽子の影で目を伏せ、細い指で膝前の衣を一度なぞった。すぐには何も言わなかった。
その沈黙で、政重は前世を思い出した。
東洋は土佐藩参政であった頃、佐川、安芸、宿毛の三家老家が領する知行を、藩へ返させるよう藩主・山内容堂へ進言したことがある。
藩の力を一つに集めるなら、筋は通っていた。
今回も、自分が範を示せばよいと思った。
だが、時代が変わっても、土地には先祖と家臣と面目が根を張っている。
理を先に見て、その下に暮らす者を見落としたところまで、昔と同じだった。
「そなたが返せば、受け取った者は皆、返さぬ者になる」
親泰は呆れたように言った。
「功に報いるは、殿の政ぞ。その褒美を、受け取る者が軽くするつもりか」
忠澄も続けた。
「その土地で養われるのは、政重殿ばかりではございませぬ。吉田家の被官も、軍役を負う者も、その家族もおります」
結局、領地はそのまま吉田家へ与えられた。ただし、その一部を戦死者の家と負傷者の扶持へ充てることが、元親から吉田家へ命じられた。
政重が返したのではない。
主君から新たな役目を与えられた形へ、親泰が組み替えたのである。
その結果が、いま正義の手にある目録だった。
政重は、そこに並ぶ村名へ目を落とした。
「殿」
庭先から安岡玄蕃が声を掛けた。
「岡豊より、お使者にございます」
政重は目録を正義へ返した。
◆
その日の午後、政重は岡豊城へ上がった。
城へ続く坂には、春の草が伸び始めている。政重は途中で馬を降り、自分の足で坂を上った。
伊予から帰った直後なら、半ばで膝をついていただろう。今も傷は疼いたが、歩みを止めるほどではない。
城内へ入ると、以前より人が増えていた。
阿波の城主からの使者。讃岐の旧十河方。河野家の印を付けた者。潮の匂いをまとった来島の船頭。
抱えている書状も帳も、それぞれ形が違う。紙の大きさも、書き付ける順も、用いる言葉さえ揃っていなかった。
四国を取れば、戦が終わるわけではない。
四つの国から、それぞれの言い分と願いが岡豊へ上がるようになっただけである。
槍で取った速さに、仕置が追いついていなかった。
通された評定の間は、廊下の騒がしさが嘘のように静かだった。開け放たれた障子から春の光が差し、畳の上に積まれた古帳の角だけを白く照らしている。
正面には元親が座り、親泰と忠澄がその左手に控えていた。
そして元親の右手には、若い武者がいた。
政重より幾つか年上。長身で、肩幅はあるが、政重ほど骨太ではない。整った顔立ちには、まだ若さが残っている。
長宗我部信親。元親の嫡男である。
東洋の記憶にある軍記では、礼を知り、家臣に慕われ、戸次川で若くして討死した武将として描かれていた。その死が長宗我部家の行く末を変えたことは確かだが、国を治めた信親の姿は、後世の書にも残っていない。
名君となるはずだったのか。死によって名君にされたのか。
政重には、まだ分からなかった。
信親の膝前には、見覚えのある帳が開かれている。
馬ノ上の田、持主、作人、年貢、軍役。
政重と正義が作った帳の写しであった。その傍らには、土佐の城持衆や、阿波、讃岐、伊予の諸城から集められた古帳が積まれている。紙の寸法も、田地の記し方もまちまちだった。
「信親が見たいと申した」
元親は、帳を読み込む嫡男へ一度目をやり、政重へ視線を戻した。
「そなたの検地と枡は、直領では使えるようになった」
吉田領で始めた田地の調べ方は、すでに元親の直領へ広げられている。
田の持主と耕す者を分け、収穫と軍役を記す。年貢に用いる枡も、元親が定めたものへ改められた。
「直領ならば、わしの命で済む。だが、四国はわしの直領ばかりではない」
土佐にも城持衆や一門の領地があり、その下には、それぞれの家臣と一領具足がいる。
阿波には降った城主がいる。讃岐には十河をはじめとする旧来の家臣団が残り、伊予には河野家と来島衆がある。
元親は信親へ視線を移した。
「これより、そなたを信親附とする」
政重は頭を下げた。
「四州の仕置について案を立て、信親を支えよ。案を採るも捨てるも、命を出すも信親に任せる」
「承知いたしました」
元親はそれ以上を語らなかった。
右手の嫡男へ場を譲るように、口を閉じる。
信親は古帳の一冊を開いた。指先で紙の端を押さえたまま、政重を見た。
「同じ検地を、城持衆や阿波の城主にも行わせることはできるな」
「命じることはできまする」
「その者が、己の田を偽りなく測ったと、誰が確かめる」
政重は答えなかった。帳の作り方を問われると思っていた。だが信親が見ていたのは、帳を書く者の利であった。
田畑の広さと収穫を明らかにすることは、自らの懐を岡豊へさらすことに等しい。
隠していた田が見つかれば、負うべき年貢も軍役も増える。家臣へ与えた土地まで詳らかにすれば、家中の仕置へ元親の目が入る。
命令には従うだろう。
だが、古い帳を書き写し、測った形だけを整えることもできる。
「岡豊より検使を出しまする」
「四国すべてへ出せば、直領を調べる者がおらぬ」
「城主の家臣に任せれば、主に不利な田を見つけぬ恐れがございます」
「ならば、命じるだけでは足らぬか」
「御意にございます」
信親は古帳を置いた。
「一国だけを厳しく測れば、その国だけが損をしたと思うであろう」
政重はうなずいた。
検地は、正しく測る技だけではない。
正直に測った者だけが損をする形では、どれほど優れた帳も四国へは広がらない。
「罰すれば、真の帳ができると思うか」
「恐れから、さらに隠す者も出ましょう」
「では、どうする」
「今ここで答えよと仰せならば、検使を増やすほかございませぬ」
「それでは足らぬのであろう」
「はい」
信親は、しばらく古帳を見つめた。
「わしにも、まだ分からぬ」
元親は何も言わなかった。信親は父の顔をうかがわず、古帳へ目を戻した。
「命じるだけでも、検使を増やすだけでも足らぬ。ほかの道を考えねばならぬ」
答えはまだ持っていない。それでも、決める役目を手放すつもりはないらしい。
政重は両手をついた。
「承知いたしました」
四国は、槍の上では一つになった。
だが、一つの帳へ収めるには、それぞれの家が抱える利を越えねばならなかった。
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■未達の昇龍・長宗我部信親
長宗我部信親は、元親の嫡男として将来を嘱望されながら、天正十四年(1586)、九州の戸次川合戦で若くして戦死しました。その死が父・元親の後半生や、長宗我部家の後継問題に大きな影響を与えたことでも知られています。
後世の『元親記』や『土佐物語』では、信親は武勇に優れ、礼儀正しく、家臣に慕われる理想的な若君として描かれました。ただし、軍記には当時の記憶が残る一方、人物を惜しむ思いや脚色も含まれるため、そのまま史実とはできません。
信親は家督を継いで長く領国を治めたわけではありません。父と家臣の間をどう裁いたのか、不作の年に何を選んだのか、諸国の異なる利害をどう束ねたのか。後世が名君に求めるような仕事を、実際に試される前に世を去りました。
ゆえに信親は、「完成された名君」というより、名君になり得た可能性を残した人物だったのでしょう。軍記が伝える器量が真実だったのか、それとも失われた嫡男への惜別が作り上げた姿だったのか。その答えは、史実の中には残されていません。




