第五話 国を返す
天正十一年九月。
湯築城の小座敷に、二通の書状が置かれていた。
一通には、来島通総が上方から伊予へ戻ったこと。
もう一通には、兄の得居通幸と合流し、来島城へ入ったことが記されている。
「殿、御署判を」
白髪の宿老が、三通目の書状を河野通直の前へ押し出した。
来島通総、得居通幸を河野家の逆臣と定め、伊予諸将へ討伐を命じる文である。
「兄たちを討てと申すか」
「来島城を奪られるは、海への口を塞がれたも同然にございます」
「城を奪ったのは、河野の兵が先であろう」
「殿」
宿老の声が低くなった。
「来島の者が海へ戻れば、次に呑まれるのは湯築にございます。殿が河野の御当主であるなら、来島の血より河野の家をお選びくだされ」
通直は筆を取らなかった。
兄たちと最後に言葉を交わしてから、何年も過ぎている。通幸が何を守り、通総が上方で何を約したのかも知らない。
それでも、知らぬまま二人を逆臣と記すことはできなかった。
「署判はせぬ」
「河野の御当主としての仰せか。来島の弟としての仰せか」
「その二つを分けねば当主でおれぬなら、わたしは河野を継いだ意味がない」
宿老の顔から、わずかな迷いが消えた。
その日のうちに、通直は病を理由に奥向きへ移された。
城門は閉じられ、側近は引き離された。宿老たちは予州家から新たな当主を迎える相談を始めた。
三日後の夜、通直は密かに湯築城を抜けた。
供は二人。風早郡へ着いた時には一人となり、夜明け前、小舟が鹿島へ滑り込んだ。
◆
「痩せたな」
得居通幸は、濡れた小袖のまま座る弟へ、それだけ言った。
「兄上こそ、老けられました」
「城を守っても、追われても、人は老けるらしい」
通幸の声は変わらなかった。
だが、膝に置いた手だけが強く握られていた。
座敷の端には、谷忠澄と政重がいた。
政重の左腕は、来島城で受けた傷のため、まだ胸元へ吊られている。
「通直殿は、湯築へお戻りになりますか」
忠澄が問うた。
「戻れば、わたしを閉じ込めた者どもを斬らねばならぬか」
「それを我らにお尋ねになるうちは、お戻りにならぬ方がよろしいでしょう」
通直が顔を上げた。
忠澄は責めるでもなく、次の言葉を待っている。
「兄を討つと命じれば、わたしは湯築に残れた」
「なぜ、命じられなかったのでございます」
「兄だからではない」
通直は、ゆっくりと言った。
「何も確かめず、家中の恐れだけで逆臣と定めれば、次は誰でも逆臣にできる。そのような命で残る河野なら、わたしが継ぐ意味はない」
波が島の岩へ当たり、座敷の床を低く震わせた。
「戻ります」
通直は通幸を見た。
「河野の名で、兄上たちは敵ではないと申します。城を開く者、本領へ戻る者の罪は問いませぬ。わたしを押し込め、家を奪おうとした者の罪だけを問います」
「長宗我部の兵を借りれば、河野は以前の河野には戻れぬぞ」
通幸の言葉に、通直は頷いた。
「すでに以前の河野ではありませぬ」
政重は、そこで初めて口を開いた。
「では、土佐へ参りましょう。河野家を残すために、何を長宗我部へ渡すかを決めねばなりませぬ」
◆
岡豊城で通直と対面した元親は、河野の名を捨てよとは言わなかった。
「湯築へ還るため、兵を貸せと申すか」
「はい」
「では、先に返すものを申せ」
通直は一度息を吸った。
「伊予の諸城は、長宗我部の軍勢を通します。来島、得居の舟は海路を開きます。河野の兵は、元親様の四国の仕置に従いまする」
「河野の名と湯築城は残せ、と」
「残していただきたい」
元親はしばらく通直を見た。
やがて、香宗我部親泰へ顔を向ける。
「東より進め」
次に久武親直を見た。
「南より上がれ。通直の書状が届いた城は、まず門を叩け。開かぬ城だけを攻めよ」
通幸と通総には、沿岸の輸送と封鎖が任された。
毛利方が兵を渡そうとすれば、その舟を止める。だが河野の船と村を、来島の取り分として勝手に奪うことは許されなかった。
親泰は通直の前へ白紙を三枚置いた。
「一枚は、本領を安堵する者。二枚目は、従っただけとして罪を問わぬ者。三枚目は、罪を問う者にございます」
「敵と味方ではないのですか」
「二つで分ければ、伊予の半分を敵に回しまする」
通直は長く筆を止めた後、最初の名を書いた。
◆
天正十一年十月、長宗我部勢は伊予へ入った。
東予では親泰が西へ進み、南予では親直が宇和、喜多を抜けて北へ上がる。
海には来島と得居の舟が並び、兵糧と兵を運んだ。
通直の書状だけで、すべての門が開いたわけではない。
長宗我部に操られている、書状は偽物だ、河野を売った当主に従えぬ。城ごとに異なる声が上がった。
東予の一城では、櫓から矢を向けられながら、政重が門前まで進んだ。
「その書状が通直様の御筆だと、何をもって信じよと申す!」
城壁の上から声が落ちる。
「信じられぬなら、わしを城へ入れよ」
政重は安堵状を頭上へ掲げた。
「通直殿の近習で、筆跡を知る者がおろう。偽りなら首を刎ねればよい」
「開城を迫る使者を入れれば、内から門を奪うであろう」
「この腕でか」
政重は吊った左腕を示した。
城壁の上で、わずかに笑いが起きた。
その笑いが、張り詰めていた城兵の気を緩めた。
政重は兵部一人だけを伴って城へ入り、広間で夜を明かした。
城主と家臣は、安堵状を幾度も読み、通直を知る者へ筆跡を確かめた。降るべきか抗うべきか、夜半まで声が割れた。
翌朝、門は内側から開いた。
それ以後も、戦はあった。
だが政重が取った首より、安堵状を持ってくぐった門の方が多かった。
毛利方も兵を出そうとした。
しかし通直本人の名で帰参を命じる書状が伊予各地へ回ると、誰を救うための出兵なのかを定めきれなかった。評定を重ねる間に、来島衆が海路を塞いだ。
冬を越す頃には、湯築城へ兵糧を運ぶ道は絶え、城からの命に従う国衆もほとんど残っていなかった。
◆
天正十二年三月。
湯築城を囲む陣では、総攻めの支度が整っていた。
弓弦は張られ、梯子が並び、太鼓だけがまだ鳴らされていない。
陣の前には河野通直が座り、その後ろに元親、親泰、忠澄、政重が並んでいた。
「門が開かねば、攻めまするか」
通直が問うた。
「そのための兵にございます」
政重は答えた。
「されど、攻めずに開かせるため、ここまで参りました」
朝霧の向こうで、城門が軋んだ。
閂が外され、重い門がゆっくりと開く。
武具を外した城兵が、道の両側へ膝をついた。
その中央を、白髪の宿老が歩いてきた。
初めに通直へ兄たちの討伐を迫り、奥へ押し込めた男である。刀を帯びず、両手に湯築城の鍵を載せていた。
「殿を来島からお守りするつもりでございました」
宿老は、通直の前へ膝をついた。
「されど、河野を守るために河野の御当主を失おうとした。申し開きはございませぬ」
鍵を差し出し、額を地へつける。
「御成敗を」
通直は、すぐには鍵を取らなかった。
「そなたの罪は問う」
宿老の肩がわずかに沈んだ。
「されど今、城内を鎮められる者もそなたであろう。死ぬのは、その役目を果たしてからにせよ」
宿老が顔を上げた。
通直はその手から鍵を取り、湯築城の門をくぐった。
城上に、河野の旗が上がる。
その外には長宗我部の旗が並び、海には来島の舟が浮かんでいた。
河野家は残った。
だが、その兵も城も海も、もはや長宗我部の意向なくして動かなかった。
政重は三つの旗を見上げた。
史書に記されたより、はるかに早い四国統一だった。
未来は、もはや知っていた道ではない。
それでも、早く得た年月だけ、来るべきものへ備えることができる。
天正十二年三月。
長宗我部元親の四国統一は、ここに成った。
お読みいただき、ありがとうございました。
創作の励みになりますので、評価・感想をよろしくお願いいたします。
■河野家の内紛と来島氏
史実では、先代にあたる河野通直が、娘婿の来島城主・村上通康を後継者にしようとしました。しかし河野家の老臣たちが強く反発し、通直・通康の籠もる湯築城を攻めたと伝えられます。通康が通直を背負って来島城へ逃れたという逸話もあり、最終的には予州家の河野通政を当主とし、通康は家臣へ戻ることで妥協しました。
本作では、この過去の相続争いが、来島城奪還をきっかけに次代で再燃したものとしています。
■湯築城と河野氏の終焉
湯築城は、河野氏が十四世紀以来、本拠とした平山城です。内堀と外堀を備え、丘陵上の郭だけでなく、その周囲に家臣の居住空間を持つ大規模な城館でした。現在の道後公園一帯が城跡にあたります。
史実の湯築城が開城したのは、本作より一年以上後の天正十三年(1585)です。羽柴秀吉の四国攻めで小早川隆景の軍勢に包囲され、河野通直は降伏勧告を受け入れて城を開きました。つまり本作の「長宗我部の支援で通直が湯築城へ還る」という結末は、史実とは反対方向の歴史改変になります。
■長宗我部元親の「四国統一」
長宗我部元親が四国の大部分を制圧したのは、天正十三年(1585)春頃とされます。ただし、伊予全域を完全に直接支配していたのかなどを含め、「四国統一」の実態には議論があります。その直後の同年夏には秀吉軍の四国攻めを受け、元親は土佐一国を残して降伏しました。
本作では政重の働きによって、これを天正十二年三月まで一年以上前倒ししたことになります。




