第二話 来島の旗
讃岐を出た廻船には、塩俵と木綿が積まれていた。
谷忠澄と政重は、刀も、長宗我部の紋を付けた品も陸へ残している。忠澄は土佐一宮に縁のある神職、政重は供の筆生という触れ込みだった。
嘘ではない。ただ、誰に仕える者かを伏せただけである。
三日前、忠澄はこの船の持ち主へ、短い口上を託していた。男は伊予との書状を幾度も運び、来島方とも商いがある。
――羽柴の手を借りず、通総殿を来島へ帰す道がある。
返ってきた言葉は一つだった。
――日暮れに帆を畳め。
沖へ出るにつれ、陸の灯が一つずつ消えていった。どちらが東で、どの島が鹿島なのか、政重にはもう分からない。船頭は帆と波の音だけで進む方角を決めている。
地図の上では細い青線にすぎなかった海が、今は足元から逃げ道を奪っていた。
日が落ち、船頭が帆を畳むと、暗がりから小舟が近づいてきた。二人は無言の男たちに移され、さらに沖へ停めた警固船へ運ばれた。
船へ上がる前に、懐も袖も改められた。忠澄が持っていたのは祈祷札と白紙だけで、政重の筆入れには筆が二本あるだけだった。それでも男は一本ずつ穂先を確かめた。
艫の小部屋で待っていたのは、得居通幸だった。
「弟を、羽柴の手を借りず帰すと申すから会うた」
日に焼けた顔にも声にも、歓迎の色はない。
「讃岐を取った長宗我部が、次にこの海へ何を求めるのか。それを聞くためでもある」
頬には潮風に刻まれた深い筋がある。座っているだけで、ここが通幸の城であり、周囲の海まで彼の庭なのだと分かった。
忠澄は頭を下げた。
「長宗我部元親が使者、谷忠澄にございます。こちらは吉田政重」
「神職と筆生ではなかったのか」
「この船へ乗るまでは」
政重は座してなお上背があった。通幸の視線が、その顔から広い肩、膝に置いた拳へとゆっくり落ちる。小袖の上からでも、腕の太さは隠せていない。
「筆生にしては、随分と大きい。十六で、その背丈と肩か」
通幸が鼻を鳴らした。控えていた二人の武者は、刀の柄から手を離さない。
「それで、長宗我部はわしに何をさせたい」
忠澄は答えず、政重を見た。
「通幸殿にお会いしたいと申したのは、勝五郎殿にございます。まずは御自身でお尋ねなされ」
政重は膝の上で手を握った。
「通幸殿が、何だけは失いたくないとお考えか、伺いとうございます」
「それを聞いて、わしの値を決めるか」
「いいえ。何を差し出してはならぬかを、先に知りとうございます」
通幸はしばらく政重を眺めた。
「鹿島と恵良山。そこに住む者。わしを信じて舟を出す者。そして、得居と来島の名じゃ」
「上方におられる通総殿も、その中におられますか」
「弟は、自ら海を捨てた」
「捨てたのではなく、追われたのではございませぬか」
控えの武者が身じろぎした。
通幸の目が細くなる。
「昨日今日、伊予のことを聞きかじった小僧が、兄弟を語るか」
政重の胸に、古い熱が灯った。
相手の言葉の綻びを見つければ、そこから論を入れずにはいられない。東洋と呼ばれた頃から、幾度も敵を作った癖だった。
「では、策を申し上げます」
忠澄がわずかに目を伏せた。
「長宗我部の兵を、通幸殿にお貸しする策にございます。兵は通幸殿の船で運び、海の差配はお任せする。来島城へ立てるのは長宗我部ではなく、来島の旗。城を取り戻した後、我らの兵は退きます」
「長宗我部の兵で来島城を取り、通総へ返すというのだな」
「はい」
「長宗我部には何が残る」
「通総殿を伊予へ帰せる者が、秀吉一人ではなくなります」
「つまり、来島が羽柴だけのものになるのを防ぐか」
「それで十分にございます」
通幸の目が、初めて政重の顔へ正面から据えられた。
「元親は、それを認めたのか」
「まだ、策をお認めいただいたわけではございませぬ。通幸殿と通総殿、双方のお心を確かめた上で、私が元親様をお説きします」
武者の一人が呆れたように息を吐いた。
「海も知らぬ小僧の思いつきか」
「ゆえに通幸殿へ参りました。海の攻め方を私が申せば、それこそ思い上がりにございます。船と潮は通幸殿、兵と兵糧は我らが受け持ちます」
「しくじれば、土佐勢を伊予へ引き入れた汚名は、わしが負う」
「その汚名を軽くするため、長宗我部の旗は立てませぬ。海の差配も通幸殿にお任せするのです」
「勝てば義になると申すか」
「負けて名まで失うよりは」
通幸の指が、膝を一度打った。
「通総は、すでに秀吉を頼っておる」
「ゆえに今でなければなりませぬ。秀吉の兵で城へ戻れば、通総殿は秀吉に帰してもらった者となります。されど兄上が来島の旗で取り返した城へ戻るなら、来島家の当主として帰れまする」
「河野の兵とは、すでに刃を交えておる。だが土佐勢を招き、末の弟の国へ踏み込むとなれば、話は別じゃ」
それまで黙っていた忠澄が、静かに問うた。
「それは、通直殿御自身の本意にございましょうか」
通幸の眉がわずかに動いた。
「……弟の声など、久しく聞いておらぬ」
政重はその沈黙へ言葉を差し込んだ。
「ならば、河野家中と毛利の思惑を、通直殿のお心と決めつけるべきではございませぬ。通幸殿お一人が抗い続ければ、行き着く先は討死にございます。来島城を取り戻し、通総殿が戻れば、河野・毛利方も来島家との和議を考えざるを得ませぬ」
政重は止まれなかった。
通幸が何を失いたくないか聞くために来たはずだった。いつの間にか、通幸の答えを聞くのではなく、自分の答えを認めさせようとしていた。
「上方の弟、通総殿は秀吉を頼り、河野家を継いだ末弟、通直殿は毛利を頼っておられる。御三方が争うほど、力を得るのは羽柴と毛利にございます」
「…………」
「骨肉が相食み、栄えた家など古今東西ございませぬ。最後に利を得るのは、その血を流させた他家にございます」
通幸は答えなかった。
反論を封じた。政重はそう思った。
だが、通幸の顔から迷いまで消えている。
「道理であろうな」
低い声だった。
「ゆえに、受けられぬ。ここで頷けば、わしは土佐の小僧に言い負かされ、弟の国へ他国の兵を引き入れたことになる。家臣に何と申せという」
政重は口を開いたが、次の言葉が出なかった。
「勝五郎殿。そこまでにございます」
忠澄が再び割って入った。
「相手の返す言葉をすべて奪えば、御承知いただけると思われたか。退く道まで塞いでは、人は動きませぬ」
政重は唇を結んだ。
忠澄は通幸へ向き直る。
「本日、通幸殿には何もお決めいただきませぬ。ただ兄として、通総殿のお心を問うていただきたい。書状を一通お預けくださるだけなら、弟君の国へ土佐兵を引き入れたことにもなりませぬ」
「通総が帰らぬと申せば」
「この策はそれまでにございます」
「帰ると申せば」
「その時に改めて、海の攻め方をお話しください」
波が船腹を叩き、吊られた灯が揺れた。
「書状に長宗我部の名は記さぬ」
「無論にございます」
通幸は紙を求め、短く何かを記した。折り畳んだ紙へ花押を据え、忠澄の前へ置く。
「これで兵を借りたことにはならぬぞ」
「兄上が弟君へ便りを出されただけにございます」
「弟が自ら帰ると申したなら、その言葉を持ってこい。その時は、もう一度会うてやる」
忠澄が深く頭を下げた。
政重も続いた。勝ったはずの議論が、ひどく重く胸へ残っていた。
◆
帰りの小舟へ移る直前、忠澄が囁いた。
「勝五郎殿は、通幸殿が守りたいものを聞くために来たのではございませぬか」
「途中までは、そのつもりにございました」
「途中からは、御自身の声しか聞いておられなかった」
政重は言い返せなかった。
「道理は刃にございます。よく切れる刃ほど、鞘を忘れてはなりませぬ」
懐の書状が、船の揺れに合わせて政重の胸へ触れた。
来島城には、まだ敵の旗が立っている。
だが、その旗を替えるための最初の一筆を、二人は手にしていた。
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■海に残った兄・得居通幸
得居通幸は、来島村上氏を率いた村上通康の子で、来島通総の兄にあたる人物です。史料では「得居通之」「通年」などとも記されています。
天正十年(1582)、通幸・通総兄弟は河野氏から離れ、織田・羽柴方につきました。これに対して河野・毛利方は来島衆への攻撃を開始します。来島城が落ち、通総が秀吉のもとへ逃れた後も、通幸は伊予に踏みとどまりました。恵良山城や鹿島城を拠点として残った来島衆をまとめ、毛利・河野勢の攻撃を退けています。
のちの四国平定後には、風早郡で三千石を与えられました。通幸は単なる水軍の将ではなく、通総が去った後の土地と人々を守り続けた、来島方の現地指導者だったといえます。
■鹿島と恵良山
鹿島は、現在の愛媛県松山市北条沖に浮かぶ島です。島そのものが鹿島城として用いられ、海に囲まれた守りの堅い拠点でした。
一方の恵良山城は、北条北部の恵良山に築かれた山城です。海上の鹿島城と陸上の恵良山城を押さえることで、通幸は海と陸の両方に足場を持つことができました。
天正十一年(1583)には、毛利・河野勢がこの一帯へたびたび出兵しましたが、通幸を討ち取ることはできませんでした。本作で通幸が「鹿島と恵良山」を失いたくないものとして挙げたのは、両城が単なる軍事拠点ではなく、彼に従う人々と来島衆の生き残る場所でもあったためです。




