↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
岡豊宰相 ~幕末の改革者、戦国に還る~  作者: 曽我部穂岐
第二章 活かす刃

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/29

第五話 定めを覆す

 天正十一年六月。

 十河そごう存保まさやすが長宗我部に降ったことで、讃岐の戦は急速に終わりへ向かった。


 虎丸城が門を開くと、十河方についていた城や国衆も、相次いで使者を寄越した。人質を差し出す者、存保の命であれば従うと答える者、なお態度を決めかねながらも兵を引く者。


 昨日まで長宗我部へ槍を向けていた者たちが、存保の一筆によって門を開けた。


 城を一つずつ攻め落としたわけではない。その名につながる城と兵が、形を失わずに残ったのだ。


 阿波に続き、讃岐の大勢も長宗我部へ傾いた。


 元親の目は、早くも伊予へ向いている。


 陣中では撤収の支度が始まっていた。


 雨を吸った地面を荷駄が行き交い、米俵や武具が積み直されている。役目を終えた陣小屋は次々と畳まれ、土佐へ戻る兵と、讃岐の城へ残る兵が分けられていた。


 勝った軍の動きである。

 だが、政重には、戦が終わったようには見えなかった。


 城を落とす戦が終われば、その城を誰に守らせるかという争いが始まる。兵を降せば、その兵に誰の命を聞かせるかを決めねばならない。


 存保を生かしたことで、讃岐は早く定まった。

 同時に、存保の名を必要とする者たちも残った。


 政重は陣中の物音を聞きながら、地図の前に座っていた。


 土佐から阿波へ。

 阿波から讃岐へ。


 墨で塗られた領域は、東洋の知る歴史にもあった。


 長宗我部はいずれ、四国のほぼ全域へ手を伸ばす。

 存保は、本来なら長宗我部と戦い続け、のちに秀吉を頼る男だった。その存保が生きて、長宗我部の陣中にいる。


 歴史が早まったのではない。すでに、違う道へ入っていた。


 陣幕が持ち上がった。

 香宗我部こうそかべ親泰ちかやすが入ってくる。手には、伊予から届いた数通の書状があった。


 政重の前へそれらを置くと、向かいへ腰を下ろす。


「伊予の河野は長く持つまい」


 親泰は一通の書状を開いた。


「東からも南からも削られておる。兄上が兵を進めれば、河野の名を残すことを条件に、降る道もあろう」


「某も、河野は滅ぼす必要がないと考えております」


「名が残れば、旧臣も頭を下げやすい。降った後の伊予を荒らさずに済む」


 親泰は書状を畳み、地図の西へ置いた。

「だが、河野を降せば、それで伊予が手に入ると思うほど、兄上も甘くはない」


 その指が、伊予の北に広がる海へ移る。


「そなたが見ておるのも、城ではあるまい」


「来島の水軍衆にございます」


 親泰は、やはりなというように息を吐いた。

 伊予と本州の間には、大小の島々が連なっている。狭い海峡を潮が走り、同じ水路でも時によって流れが変わる。


 陸の道なら、城と関を取れば押さえられる。

 だが海の道は、地図へ線を引いただけでは手に入らない。


 どの潮に乗るか。

 どの島影で風を待つか。

 どこなら大船を通し、どこなら敵を座礁させられるか。


 それを知る船手が、海そのものを持っている。


「来島衆に、長宗我部への忠節を求めても無駄だ」

 親泰は言い切った。


「あの者どもが欲しがるのは、掲げる旗ではない。港と荷と、船を動かして得る銭だ」

「はい。ゆえに、忠義を買うつもりはございませぬ」


「利でつなぐか」

「こちらにいる方が得だと思わせまする」


 親泰は腕を組んだ。

「兄上は嫌うぞ。海賊に港や取り分を与えれば、何のために伊予を取るのかと申されよう」


「伊予を与えるのではございませぬ」


「では、何を買う」

「来島衆が、ほかの者へ海を売らぬ間を買います」


 陣幕の外で、荷駄の鈴が鳴った。

 規則正しく近づき、また遠ざかっていく。


 来島衆を長宗我部の下に永く抱え続けられるとは、政重も考えていない。

 より大きな利を示されれば、旗を替えるだろう。名も血筋も、海の上では錨にならない。


 だからこそ、忠節を誓わせて安心する方が危うい。必要な間だけ、こちらの利を食わせる。


 その間に何を整えるべきか。

 政重の腹には、すでに別の形があった。


「秀吉か」

 親泰が言った。


「秀吉がこのまま畿内を押さえると、決まったわけではないぞ」

「承知しておりまする」


 羽柴秀吉が賤ケ岳で柴田勝家を破ったのは、わずか二月前のことだ。とはいえ、織田家中のすべてが秀吉へ従ったわけではない。東国にも、なお大きな勢力が残っている。


 秀吉がこの先も勝ち続ける保証はなかった。政重が歴史を変えれば、なおさらである。


「されど今、四国へ最も早く大軍を向けられる位置にいるのは秀吉にございます」


「秀吉が倒れても、別の者が立つ」

「はい。ゆえに備えるべきは、秀吉一人ではございませぬ」


 政重は瀬戸内を指でなぞった。

「畿内を押さえた者が、この海を使って四国へ兵を渡す。その道を、容易には使わせぬようにいたします」


 親泰の視線が、政重の指を追った。

「来島衆をこちらへ向ければ、河野は海からも孤立する。伊予を降す話としてなら、兄上も聞こう」


「好条件を示すことには、反対されましょう」

「そこは、わしが順を組む」


 親泰は書状を一通取り上げ、閉じた扇の下へ置いた。


「初めから海賊へ利を与える話をすれば、兄上はそこで耳を閉じる。まず河野を戦わず降せると申す。そのために海を押さえる必要があると続ける」


「来島衆への条件は」

「こちらからすべて並べるな。先に向こうへ値を言わせよ。欲を見せたところで、呑めるものと呑めぬものを分ける」


「安くは収まりませぬ」

「安く買おうとするから、秀吉へ売られる」


 親泰は淡々と言った。

「惜しむところを間違えるな。銭や港を惜しんで、伊予の海を敵へ渡しては高くつく」


 政重は頭を下げた。一人では、ここまで届かない。

 親泰は政重の策へ従っているのではない。政重が示した刃を、家中で振るえる形へ研ぎ直している。


「いつまでに形を作る」

「次の夏を迎える前に」


「一年もないな」

「あると思って動けば、間に合いませぬ」


 親泰は地図の四国を見下ろした。


 土佐、阿波、讃岐。

 まだ伊予を得ていない今でさえ、紙の上の四国は大きく見えた。


「それで、四国を守りきれるか」


 政重は少し間を置いた。


「守りまする」


 まずは、そう答えた。


 四国をまとめる。

 海を押さえる。

 攻めれば大きな損が出ると、海の向こうへ思わせる。


 戦わずに済むなら、それがよい。戦って守れるなら、守ればよい。

 だが、土地へしがみつき、家まで失ってはならない。


「されど、どうしても守れぬ時は、四国とともに長宗我部まで沈ませるつもりはございませぬ」


 親泰の表情が変わった。


「四国を手放すことも考えておるのか」


「失って、終わるつもりはございませぬ」


 一度土地を渡すことになっても、人と兵と縁を残す。


 家が残れば、時を待てる。

 時が来れば、再び手を伸ばせる。


 親泰はしばらく何も言わなかった。

 やがて、地図の端を押さえていた手を離す。


「四国統一は父上の代からの悲願じゃ。兄上には、まだ申すな」

「はい」


「今聞かせれば、伊予へ兵を出す前に、そなたの首が飛ぶ」

「承知しておりまする」


「まずは取る話をせよ。失っても終わらぬ話は、取った後だ」


 親泰は閉じた扇で、地図の伊予を軽く打った。


「明朝までに、重臣へ見せる形へ直せ。河野の名をどう残すか。来島衆を動かせば何が変わるか。今はそれだけでよい」

「はい」


 親泰は立ち上がり、陣幕へ手をかけた。

 そのまま出ていくかと思ったが、足を止める。


「勝五郎」


 政重が顔を上げた。


「勝つ策だけを考える者は多い」


 親泰は振り返らなかった。


「負けた時にも終わらぬ策を考える者は、そうおらぬ」


 幕が下りた。




 夜半。

 陣中の音が絶えた後も、政重は地図の前に残った。


 存保は生きている。それだけで、知っていた歴史は崩れた。

 この先、動くたびに、覚えている未来は形を失っていくだろう。


 だが、もう恐れる理由はない。

 雨の中に散ったあの夜も、九州で斃れるはずだった存保も、変えられぬものだと思っていた。


 存保は生きている。


 ならば、信親も。

 長宗我部も。

 途切れた志も。


 前の世で見たものは、もう定めだとは思わぬ。


 政重は地図の隣へ白紙を広げ、筆を取った。


 今度こそ、すべてを覆す。



お読みいただき、ありがとうございました。

創作の励みになりますので、評価・感想をよろしくお願いいたします。


【史実解説】

■讃岐平定

史実の長宗我部氏による讃岐攻略は、本作ほど早くは進んでいません。


十河存保は阿波で敗れた後も長宗我部氏への抵抗を続けました。十河城が長宗我部軍によって落とされ、存保が城を脱したのは天正十二年(1589)六月とされています。その後も存保は秀吉方へ身を寄せ、翌天正十三年の四国征伐では、長宗我部軍と戦う側に立ちました。秀吉による四国平定後は、讃岐二万石の支配を認められています。


本作では、史実よりおよそ一年早い天正十一年六月に十河城が陥落し、さらに存保自身が長宗我部氏へ下りました。存保の命によって虎丸城をはじめとする十河方の諸勢が抗戦をやめたことで、讃岐の情勢は史実から大きく外れています。


■賤ケ岳の戦い

賤ケ岳の戦いは、天正十一年(1583)四月、近江国北部で羽柴秀吉と柴田勝家が争った合戦です。織田信長の死後、織田家中の主導権をめぐって対立した両者は、賤ケ岳周辺で直接衝突しました。戦いは秀吉方の勝利に終わり、敗れた勝家は北ノ庄城へ退いた後に自害します。


ただし、この勝利によって秀吉の支配が直ちに固まったわけではありません。織田家中にはなお秀吉へ従わない勢力が残り、翌天正十二年には織田信雄・徳川家康との小牧・長久手の戦いが起こります。


本話の時点は、賤ケ岳の戦いから間もない天正十一年六月です。政重は、秀吉が勝家の旧領を治め、味方への恩賞や織田家中の調整にあたっている今を、長宗我部氏が四国平定を進める短い好機と見ています。


もちろん、この時点で秀吉が今後も勝ち続けると決まっているわけではありません。政重が警戒しているのは、秀吉個人の将来だけではなく、畿内を押さえた大勢力が、瀬戸内を渡って四国へ介入する可能性そのものです。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。