7 ウサギ、魔力回復環境を整える
クニークルスの立場は圧倒的に不利である。魔力の都合で由奈の部屋から外には出られず、情報は家主からしか得られない。それに片隅で間借りする寝所だけではなく、食事も必要だ。
「ウサギじゃなかった、聖獣も普通にご飯食べるんだ?」
「生命はすべからく食わねば生きられぬぞ。こちらでは違うのか?」
「いや、聖獣は神様が作ったんだから、食べなくても平気かと思ったんだけど」
「聖なる魔力を持ってはいるが、獣なのは変わらぬ。同じ時間を共に生きて、守護する者に帆走するのが守護聖獣の役割だ」
自然界の魔力を糧に、とか、神の力で永遠に生きる、とかではないらしい。
「生き物であるクニークルスは、寝所とご飯が必要。それを提供できるのは私だけ……どうする?」
ぐぬぬ、とウサギが由奈を睨みつける。歯ぎしりが聞こえてきそうな悔しげな顔だが、由奈には「激おこもカワイイ」と全く通じていない。さすがにニヤけるのを必死で我慢してはいたが。
「……腹モフ、とやらの具体的な説明を聞かねば、なんとも言えぬ」
クニークルスは不利な状況ではあるが、家主がこれほどまでにこだわるその一点には強く出られそうだと理解していた。だから「腹モフ」とやらさえ許容できれば、クニークルスは十日間の魔力充電に勤しめる。
どのような行為であり、どのくらいの時間を求めているのか、具体的に述べよ、と迫るクニークルスに、由奈がわかりやすく行動に出た。
「クニークルスを、こう、ギュッて抱っこして」
「揉むでない! 無礼であるぞ!」
「お腹に顔を埋めて」
「ぬしは羞恥を知らぬのか!」
「ほわほわの毛の感触を肌で確かめてから」
「ははは、破廉恥にも程があるぞ!!」
「香りを堪能する」
「変態めぇぇぇぇぇー!!」
すー、はー、と言葉通りに行動した由奈の頬を、パアァァン! とモフ手が打ち据える。
耳に心地良い音を名残惜しく思いながら、由奈は腕の中から逃げ出したウサギを未練がましく見た。
「実地で説明しただけなのに、酷い」
「おぬしの情動のほうがよほど酷いわ!」
毛を逆立て、ぜぇはぁと全身で息をしながら、クニークルスは怖れていた認識の一致に頭を抱えたくなった。
やはりアレが「腹モフ」であったか。これを毎日、と想像しただけででクニークルスの身が震える。
そもそもヤスオカユウナの行動原理が、クニークルスには理解できない。妙齢の女性が、聖獣とはいえ全裸の雄に抱きつき、腹に顔を押しつけ頬ずりするなど、クニークルスにはとんでもなく破廉恥極まりない行為なのだ。知見を求めた先が、番とすべき行為の強要が許される世界だったとは、選ぶ世界を間違えたと心底から後悔した。しかし来てしまったものは仕方がないし、帰るためなら妥協は必要である。
「……どこまで、許すべきか」
由奈はクニークルスの懊悩を邪魔するまい、と少し距離をあけた。座椅子にしっかり背を預け、砂糖をたっぷり入れたインスタントコーヒーを片手に、思い悩むウサギを存分に堪能する。
「他の……腹モフ以外ではいけないのか?」
「そっちの世界には、必要のない物に金を払って買う人がいるの?」
「ぐ……しかし、その、腹モフとやらは、我の尊厳にもかかわる行為であってだな」
本気で嫌がる白ウサギの様子に、さすがに悪ノリが過ぎたと由奈は反省した。灰色ちゃんのフェイクファーよりも手触りが良く、弾力があってぬくぬくとした感触に対欲が出てしまったが、これ以上はいけないと本能がブレーキをかけた。
「あ、そうだ、灰色ちゃん!」
金曜日の朝までは確かにあったはずのクッションが、一週間……いや、一ヶ月ぶりに部屋の掃除をしたのに、見つからないのだ。アレが手元にあれば、目でクニークルスを楽しみ、体感は灰色ちゃんで誤魔化せるのだが。
「平日の疲労を癒やせるのはモフモフだけなのに」
灰色にも頼れず、クニークルスすらモフれなければ、どうやって生き延びれば良いのだろうか。
「掃除機かけた範囲にいなかったってコトは、その前の片付けでどこかにしまい込んだ?」
あの手触りを捨てるはずはない。とすれば無意識のうちにどこかに保管した可能性が高い。どんな風に行動したっけ? と己の昼間の動きを思い出そうとするが、さっぱりだった。
「ベッド下には居ない、段箱にも紛れ込んでない。ゴミ袋には絶対にいない……うん、いない。となると」
可能性として考えられるのは、布団の下かクローゼットの中だ。掛け布団をめくった下にはいなかった。最後のクローゼットをゆっくりと開ける。
「いた!」
クニークルスが飛び出してきたときになだれ落ちていた衣類とともに、雑に丸めて押し込んだ中に灰色ちゃんも紛れ込んでいたのだった。
本物そっくりな手触りのファーを救い出し胸に抱える。軽くて、弾力が薄くて、少し乾燥している柔らかな毛にほっとさせられた。
「やっぱり灰色ちゃん、いいなぁ。安心する」
「ぬしには大切な毛皮があるのだし、対価は別のものにならぬか?」
「それはソレ、これはコレだよ」
「作り物とはいえ毛皮に心が宿っておれば、おぬしの行動をよくは思うまい?」
「灰色ちゃんが一番なのは不動だよ。けどクニークルスは異世界の一番だから、存在する世界が違うからセーフなの!」
「……これほど嬉しくない一番ははじめてだ。ヤスオカユウナよ、対価は揉むのか顔を擦り付けるか、どちらか片方にしてもらえぬか?」
クニークルスの渋々の歩み寄りに、由奈もまあそのあたりが妥協点だろうと頷いた。
「灰色ちゃんでは得られない、腹モミを、一日一回、私が満足するまで!」
「……短く頼む」
「二時間?」
「それは、どのくらいの長さだ?」
一日二十四時間、そのうちのわずか十二分の一だと教えると、クニークルスは長いと渋った。
「鐘一つは長すぎる」
「へぇ、そっちの世界は二時間が一区切りなのか。そんなに長くないよ、私の平日睡眠時間の半分だし」
「……まて、おぬしは二鐘しか寝ておらんのか?」
「帰宅してご飯食べてお風呂から出たら、朝までは四、五時間しか残ってないんだよね」
理不尽な要求への腹立ちと恥辱とで燃えていたクニークルスが、一瞬で冷えた。目を細め、ピシッとモフ指を突きつけて宣言する。
「四半鐘だ、それ以上は許さぬ!」
「勝手に決めないでよね。私の憩いの時間を奪う気?」
「おぬしには睡眠時間が必要だ。憩いと称して我の腹を揉むよりも大切なことであろうが!」
残してきたアレシアは心配だが、それよりも目の前の痴女の壊れっぷりが恐ろしい。よくよく見れば顔色は悪いし、肌つやも良くない。こちらの世界も一日に三食だと聞くが、ヤスオカユウナはきっちり食べている気配が感じられない。金を稼いでいるようなのに、この雑然とした倉庫のような部屋を整えもせず平然としていられる神経は正常とは言えない。
「……よく見れば、似ておる、か」
狭い額の白い毛が、キュッと縮んでいた。
無礼で不敬で不遜で、破廉恥極まりないヤスオカユウナなど、魔力と知見を得て帰郷すれば断絶できる。しかし彼女の姿が、残してきたアレシアが魔力枯渇で苦しむ姿と重なって見えた。そのせいで腹モフなどという理不尽な対価を、彼は突っぱねきれなかった。
「くぅ、仕方があるまい」
「なにモグモグ言ってるの? 一時間、せめて一時間は揉ませてもらうわよ」
「……良かろう、半鐘だけは耐える」
「やった!」
年甲斐もなく無邪気に喜んでいるが、ヤスオカユウナは半鐘もたないだろうとクニークルスは確信していた。アレシアと同じく彼女も昨夜は気絶するように眠った。あの様子なら四半鐘もかからず眠るはず。
「……そのくらいなら、耐えられなくはない」
なんとか己にそう言い聞かせたクニークルスは、異世界の小さな空間で、日当たりの良い魔力回復環境を手に入れたのだった。
双方妥協して交渉を終えたくせに、眠る前は一悶着があった。
「今日の腹揉みを!」
「さきほどさんざん揉んでいたではないかっ」
「あれは説明のための実演。約束は一時間でしょ」
「ぐぬぅ」
クニークルスは早々に寝落ちするのを期待し、渋々に頷いた。
「寝台に入れ。こちらの夜は明るすぎる」
「何よ、破廉恥だの変態だの言ってたくせに、一緒に寝てくれるわけ?」
「半鐘もの間、棒のように立っているのは疲れるのだよ……」
それに寝台の上ならばヤスオカユウナも寝落ちしやすいだろう、と計算したクニークルスだ。
案の定、クニークルスを両腕でがっちりフォールドして横になったヤスオカユウナは、半鐘どころか、四半鐘も経たずに深い眠りに落ちている。
「くっ、熟睡しておるくせに、腕の力はゆるまんのかっ」
もぞもぞと身をくねらせて何とかヤスオカユウナから逃れたクニークルスは、女性と同じ寝室で眠るわけにはゆかないと居間に移動した。座椅子を窓際に移動させ、カーテンの向こう側に陣取る。
「月が遠く、弱いな」
太陽の光ほど魔力回復の効果は期待できそうにない。落胆しつつ、座椅子の硬いクッションの上で丸くなった。




