3 ウサギ、閉じ込められる
でっかいウサギは異世界から由奈のいる世界の知見を求めてやってきたらしい。
お粥を半分ほど食べ終ったところで気持ちを切り替えたのだろう、室内を見回したウサギは、低音のイケオジボイスで苦言を呈した。
「ヤスオカユウナよ、異世界では食事を物置でとるのか?」
「ここは居間兼食堂だよ」
「それにしては物が多いし、乱雑が過ぎる様子だが」
「散らかってるのは仕方ないって、掃除はこれからなんだから」
「これが居間兼食堂……ここでほんとうに異世界の知見が得られるのだろうか」
お粥をすすりながらこぼしたクニークルスの言葉が由奈の胸に刺さる。
由奈は散らかった室内を直視しないよう目を伏せた。
酷い有様だという自覚はあるのだ。だが掃除をする時間があるのは土日だけ。しかも疲れた体では家事を完璧にこなせない。月曜日からの仕事を考え、掃除よりも洗濯を優先した結果がこの惨状だ。
積み重なった段箱は通販で購入した品だ。受け取ったはいいものの、箱から出して整理整頓する暇がなかったため、必要に応じて箱から探し出して使用している。通勤用ブラウスや下着類が溜め込まれていたのも、深夜に帰宅しての洗濯がご近所迷惑になるからだ。
「散らかってるけど、ゴミはちゃんと収集日に出してるからね」
だらしない自覚はあるが、ゴミ袋を枕に眠るのだけは絶対に嫌なので、週二回ある収集日の前日は、どれだけ遅くなってもゴミをまとめて翌朝に備えている。
ギリギリのところでゴミ屋敷ではない、と太陽の光を反射してキラキラと眩しい埃を存在しない物として由奈はお粥をすする。
「ああ、でも、今日は何か調子良いから、掃除機かけられるかも」
いつもの土日はもっと体が重いし、洗濯を終わらせたところでどっと疲れがきて、そのまま昼寝に突入していた。空腹で目が覚めて段箱から食べられそうな物を探して一日分の食事をとり、真っ暗な空をカーテンで隠してベッドで眠る。貴重な土曜日はいつもそんなふうに終わっていた。日曜日は食料の買いだめに出かけ、月曜日のゴミ収集のためにゴミ袋をいっぱいにして、そこで疲れ切ってダラダラ過ごすというのが由奈の週末だ。
なのに今日は体が軽い。
金曜の深夜に帰宅したところまではいつもと同じだったのに、この差はやはりモフモフだろう。
本物そっくりフェイクファーの灰色ちゃんでは得られない、もっちりとした肉感と揉みごたえのある筋肉、そしてじんわりとあたたかな体温とともに伝わる確かな脈動。あれが一週間の疲労をすっかり癒やしてしまったのだ。
このウサギを永遠に我が部屋に留めておくためには何をすべきか。
自分の世界に帰りたくない、と思わせるには、あたらの世界を熟知したうえで、こちらの利点を提示し交渉する。それがビジネスだ。
よし、と由奈は気合いを入れ、下心を隠した営業用の笑顔を作った。
「ねぇ、クニークルス、異世界のこと聞かせてよ」
「……急に声色を変えおって、何をたくらんでおるのだ?」
「人聞き……ウサギ聞きが悪いなぁ。web小説みたいな異世界について興味があるだけだよ?」
買って詰んである本の柱を指さした。Webで読んで気に入った書籍化タイトルのほとんどが、異世界に転移・転生して大成功、あるいはスローライフを満喫する小説ばかりだ。興味があって当然だろうと示すと、日本語が読めるらしい異世界のウサギは簡単に納得した。
「話すのは良いが、ここでは落ち着かんのだが」
「じゃあ寝室で」
「我は女性の寝室に踏み込むような不埒者ではないぞ」
「クニークルスが出てきたのって、私のクローゼットなんだけど、そっちは不埒じゃないの?」
「ふ、不可抗力なのだよ。異世界への道筋を開くのは容易ではなく、また場所を選べるほど都合良くはないのだ」
どういう仕組みかはわからないが、クニークルスの世界からこちらに踏み込むのに、由奈の部屋のクローゼットが彼の聖魔力と波長が合って一番容易だったらしい。
「ちっちゃいころに読んだ本に、タンスの扉を開けて異世界に行く話があったなぁ」
帰るときもクローゼット経由なのだろうか。そうならば鍵をつけて、物理的に返さないようにできるかもしれない。日曜日の買い出し先にホームセンターを追加した。
「話は窓の外の、ベランダで構わぬか?」
ポカポカと暑いくらいの日当たりをクニークルスが指し示す。
確かにごちゃごちゃとした室内ではは気が散る。空は晴れ渡っており、気持ちの良い風とあたたかな日差しを浴びつつモフモフと語り合うのも良さそうだ。
由奈はほとんど使っていないベランダに出た。隅っこに溜まっている、どこからか紛れ込んだ木の葉をまとめて片付けただけで、十分にキレイだ。ここでコーヒーを片手にモフモフと並んで座るのも癒やされる。
「ウサギにコーヒーは……大丈夫、よね?」
鼻先についた粥をペロリと舐める異世界のウサギである。聖獣とやらは人間と同じ物を食べると言っていたし、ダメなら別の飲み物を出せば良いのだ。
座椅子をベランダ際に移動させ、クニークルス用に座布団を置く。
「そこで座っててくれる?」
そうい言い置いてから、電気ケトルに水を入れ、食器を流し台に移動させる。手早く器を洗い、マグカップを棚から取り出して、念のために洗った。
「マグカップ使うの、いつぶりだっけ?」
普段は洗い物をする時間がもったいなくて、飲み物はすべてペットボトルだ。おかげで資源回収の袋はいつもぱんぱんに膨らんでいる。
顆粒のインスタントコーヒーも、辛うじて大丈夫そうだ。目分量でマグカップに入れる。
ピーッ、と電気ケトルが沸騰を知らせた。
「な、何故だあぁぁぁぁ」
それを追いかけるようにして、低音イケオジボイスが叫んだ。
ひっくり返して火傷でもしていたら大変だ。
「何故なのだぁ、何故我は窓の外に出られぬ!?」
由奈が居間に駆け込むと、座布団の上に二本足で立ったウサギが、両手で宙を叩いていた。
「見えぬ壁で我を封じるとは、貴様は魔法使いか?」
「いや、窓開いてるし、魔法とかないんだけど」
「おのれ、悪しき魔法使いめ。聖獣を阻むとは、恐ろしい魔力量だ」
「話を聞こうね、モフモフ」
由奈は暴れるウサギを背中から抱き込んだ。
「ええい、離さぬか」
「暴れて大声出さないって約束するなら離すよ。ここペット禁止で、毛皮を見られるとマズイんだから」
イケボとの会話は問題ないが、ベランダの壁の隙間から、動く毛皮が露出していては誤魔化しきれない。
「我を閉じ込めて何をするつもりだ?」
「閉じ込めてなんかいないんだけど……そうか、クニークルスはこの部屋を出られないのね」
くくく、と思わずもらした由奈の含み笑いを聞いて、毛皮がぶわっと膨らんだ。ああ、カワイイ。
「暴れぬゆえ、離せ……」
落ち着いた声で頼まれて、残念そうに由奈が手を離した。
とたん、ウサギはベランダに向けて跳び、見えない壁に衝突して倒れた。
「ぷぎゅうぅ……」
「大丈夫?」
「魔力が……我の聖魔力が、足らぬ」
二足歩行をする気力がないのか、ウサギは四つん這いでズルズルとカーペットを移動し、寝室のクローゼットの前にたどりついた。
「ぬ……!」
扉を開けたが、すぐ耳をだらりと垂らしてうなだれた。
「魔力が……世界を超える魔力が」
「つまり帰れないってコト?」
ほくそ笑みそうになるのをなんとか取り繕った由奈が問いかけると、白ウサギはゆらゆらと頭を振った。
「魔力の回復を待たねば、アレシアの元に帰れぬようだ……」
「そっかぁ」
由奈は頬と口元を手で隠す。ウサギと聖女殿には悪いが、魔力が回復しなければ良いのにと、かなり本気で願った。
「部屋から出られないのも、やっぱり魔力が足りないせい?」
「……うむ。神が我が安全に過ごせる領域に守りを施しておるのだが、我に残る魔力では、この区切られた部屋の外は相当に危険なようじゃ」
「言ったでしょ、ペット禁止んだって。見つかったら私もクニークルスも追い出されて行く場所がなくなっちゃうからね。元の世界に繋がってるクローゼットにだって近づけなくなるよ」
「仕方ない、魔力回復に努めるとしよう」
床に突っ伏して落ち込んでいたクニークルスはむくりと起きあがり、二本足でポテポテと歩き、開け放った窓際の、見えない壁のそばにおいた座布団に腰を下ろした。
晴れた空を見上げ、髭をピクピクと細かく震わせた後、鼻の上にシワを寄せて息をつく。
「この日差しが続けば、完全回復までおよそ十日はかかるであろうの……」
魔力の回復は太陽光に頼るらしい。雨の少ない季節なのを少しばかり恨めしく思った由奈は、こっそりと心のてるてる坊主を逆さに吊り下げた。
コーヒーを片手に異世界の情報を聞き出そうにも、落ち込んだウサギは日向の座布団でうとうとしはじめていた。これは邪魔できない。
「まあ、しばらくはモフモフ堪能できそうだし、いいか」
隣に置いた座椅子に座り、コーヒーを飲みながら日差しを浴びる。
室内に降り注ぐ日差しが、白いレースのカーテンのように光って見えた。
「……この埃は、動物に良くないよね?」
動物だってアレルギーを発症する。自分だけならモフモフとの日向ぼっこの誘惑に屈するが、クニークルスの健康と良質な毛皮のためならば、ハウスダストは放置してはならない。
「よし、掃除するか」
今日の由奈の気力も体力も、部屋の掃除が可能な程度に満ちている。
スピスピとかわいらしい鼻息を洩らしつつ魔力回復に努めるウサギを起こさないよう、由奈は細心の注意を払って部屋の掃除に取りかかった。




