16 ウサギ、平日に対話する
月曜日、ヤスオカユウナは奉公に出かけた。
クニークルスは閉まった扉をしばらく睨むように見ていた。
先週の月曜日の由奈は、玄関先で「行きたくない」と駄々をこねた。それをなだめすかして送り出したのだ。ゴミで膨らんだビニル袋を持ち、重い足を引きずって出かけていく哀れを誘う姿は、簡単に忘れられるものではない。
だがどうだろう。今朝の由奈は駄々をこねなかった。もちろん意欲的な様子はなかった。土日にたっぷりと昼寝もし、陽の光を浴びてホカホカになり、毛糸を夢中で編んで英気を養ったというのに、月曜になったとたんそれらがすべてどこかに消え失せている。
気鬱な様子で支度をととのえた由奈は、見送りに出たクニークルスをじっと見つめた後、「行ってきます」と呟いて、ゴミ袋とともに出かけていった。
日曜日の夜の会話から、二人の間の空気は少しばかりぎこちない。
「余計なことを言って、追い詰めてしまったか」
そろそろ魔力が回復する。帰還する日も違いと気づいたとき、クニークルスは彼女の環境をどうにかしたいと思ってしまったのだ。
飛び込んだ異世界で出会ったヤスオカユウナは、被守護者と同じように、蓄積した疲労に押しつぶされようとしていた。知見さえ得られればと考えていたが、破廉恥にも抱きつかれ、体温を感じているうちに情が移ってしまった。
かといって由奈のためにこの世界に留まるわけにはゆかない。クニークルスには守り慈しまねばならぬアレシアがいる。
「我の心残りを解消したいがため焦ってしまったか。ヤスオカユウナには悪いことをしてしまったな」
宿主の働き方に口を出す権利は居候にはない。だが、宿主が今後もあのような働き方を続けるのであれば、アレシアのもとに帰還しても心配で忘れられなくなってしまう。
「残された時間は短い。我にできることがあれはよいが……」
もし由奈に行動する気があるならば、そして己にできる手助けがあれば、クニークルスは労を惜しまないつもりである。
「我はアレシアの守護聖獣である。帰らねばならぬのだ」
それは己に言い聞かせるような言葉だった。
クニークルスはたくさんのあみぐるみを座椅子にのせる。その横に腰を下ろし、窓の外を見あげた。思い悩むクニークルスの心情そのままのような、どんよりと曇った空が広がっている。今日は魔力の回復効果は期待できそうになかった。
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テレビから様々な異世界の知見を学びながら、ときおり差す日差しを背中に集めて一日を過ごした。
夕刻の情報番組を見終えてチャンネルを変える。己の世界には存在しない運動競技は新鮮だ。これも知見として持ち帰り、いつか披露したいものだ。勝敗が決まったので再びチャンネルを変える。料理を教える番組で手を止めた。多少の食材の違いはあれど、こちらもあちらも料理はそれほど大きく変わらない。
「料理は大きく変わらぬが、保存技術には大きな差があるな。魔法使いの不在でこの技術を可能にするとは、異世界はまこと知見の宝庫だ」
帰還後、氷魔法や炎魔法の得意な魔力持ちと知り合えれば、この知見も活用できるだろう。
料理番組が終わると、夜の情報番組がはじまった。明日の天気を熱心に見ていると、玄関扉が開いた。
「ただいま~」
思いのほか早い宿主の帰宅だった。
施錠の音を確認してから、クニークルスは由奈を迎えに出る。
「おかえり。今日は早いのだな」
「んー、まあね」
笑いながら言葉を濁す宿主の顔色は、疲れは見えるが、それほど悪くはない。
「お味噌汁と、パックご飯と……お惣菜は何にする?」
いつものように電気ケトルで湯を沸かし、冷凍庫を開けた由奈は、クニークルスに回鍋肉と青椒肉絲のどちらにするかと問う。
「我はちんじゃおろうすのシャキシャキした歯ごたえが好きだ」
「タケノコ、美味しいよね。私も好き」
レンチンの合間に由奈が着替え、クニークルスもぬいみぐるみを脇に寄せて座椅子をローテーブルに戻す。向かい合い、ほかほかの青椒肉絲を食べた。
タケノコを選んで口に運ぶクニークルスを、由奈は面白そうに見ている。
「そんなに好きなんだ?」
「うむ、我の世界にはこのような食感の食物はないのでな。これはどのような作物だ?」
「竹の子どもだからタケノコ。竹の若芽だよ。そっちの世界にないんだ?」
形状のよく似た野菜や果物が、全く別の名称なのはあみぐるみの製作過程で判明している。由奈が素早くスマホ検索した竹林と筍を見せられ、クニークルスは目を見開いた。
「これは、ケサケタではないか! ケサケタの若芽は食せるのか!! これは良き発見であるぞ!」
興奮して鼻息を大きくするクニークルスを、「かわいい」と由奈は目を細めている。
「そっちではケサケタっていうんだ。食べてなかったの?」
「うむ。瘴気を阻む性質があるので、かつては結界を張る余裕のない田舎の村を囲むように植えておったらしいが」
「かつて? 今は違うんだ?」
興奮が一転し、ウサギは深刻そうに頷いた。
「もとより成長の早い樹木だが、瘴気を吸うとさらに成長が早まるのだ。そのせいで人の住む領域まで浸食してな、これが手に負えぬのだ。瘴気ではなくケサケタによって荒らされ捨てられた村は多いぞ」
「おおぅ、竹をほっとくと家が傾くとか聞いたことあるけど、異世界でもそうなんだ」
「うむ、朝に床をケサケタに突き破られ、夜には屋根まで壊された家もある」
「うわぁ」
竹の検索結果でも、種類によっては一日に一メートル以上も成長するらしいとあった。その数倍の早さと威力とは、ケサケタ恐るべし、である。
「そのケサケタを食せるという情報は、我の世界に光をもたらすであろう」
「そ、そこまで?」
「少なくとも、かつて植林したケサケタに悩まされている田舎は多い。食用になるなら救われるであろう」
それならばと由奈がレシピサイトを開き、筍の下処理方法を表示した。水煮にすれば保存期間も長いと知って、クニークルスは大喜びだ。
「あと、こっちの竹は地下茎でドンドン増えるから、広がらないようにするには根の周囲を硬い物で囲うといいみたい。ケサケタにもつかえるんじゃない?」
地下茎を阻むDIY動画を見せられ、クニークルスの髭と耳が嬉しげに跳ねる。
「試す価値はありそうであるな」
「あと竹って腐りにくくて加工もしやすいから、籠を編んだりするよ」
「ほほう、この籠はなかなか美しいの」
クニークルスの世界で編まれる籠は、採取した蔓や木の皮が使われている。竹で編むのに何の問題もなく、ケサケタに悩む地に、新たな産業が興せる可能性が出てきた。
「平日の夜に、これほど有意義な話ができるとは思わなかったぞ」
いつもはともに食事をとっていても無言、あるいは由奈から漏れ聞こえるのは同僚への呪詛だ。その後は抱きつこうとするヤスオカユウナを、阻み、宥め、促して、なんとか寝かしつけるばかりであった。休日のように会話が成り立つのははじめてだと指摘すると、由奈は困ったように視線を逸らせた。
「余裕がなかったんだよ」
「今日は、余裕があるのだな」
「うん。ちょっと上司に、PCのログを送りつけてみたんだ」
由奈のサービス残業をいつも見て見ぬ振りをしている直属の上司に、過去一年の履歴を添付して、「どのようにお考えでしょうか?」と質問してみたのだ。
「そしたら早く帰れって会社を追い出されちゃった」
「お、追い出されたのか? 奉公先を?」
生活の糧を失ったのかと慌てるウサギを、由奈は手を振って安心させた。
「違う違う、今日は早く帰れってこと。会社と上司が私をどうしたいのかは、まだわからないしね」
これまで黙っていた由奈が起こした突然の行動に、今ごろ上司は慌てているだろう。上司だけで対処するのか、その上にまで話があがるのか、今の時点ではわからない。由奈自身も、これからどうしたいのか、まだ決めかねているのだと言った。
「朝の時点ではそんなこと考えてなかったんだけど、昼休み直前に営業から渡された急ぎの仕事のせいで休憩なくなって、そしたらどうしても行動せずにいられなくなってさ、気がついたら課長にメール送ってたんだ」
「それは……我のせいか?」
「きっかけ、かな。前から何か違う、どうして、って思いながら、でもやり甲斐があって達成感が忘れられないって、目を逸らせてきたのは私だしね」
そう言って、由奈は両手をひろげた。
「今日の腹モフ一時間」
「……早くはないか」
「いつも寝落ちしてて制限時間いっぱい堪能できてないからね」
「ぐぅぅ」
クニークルスの姑息な作戦は見抜かれていたようだ。
ぽんぽんと腿を叩いてうながされ、クニークルスはしぶしぶに由奈の腿上に背を向けて座る。
「女性の腿に座る破廉恥を強要しおって……ぐっ」
腹に回された指で毛皮を撫でられ、肉をつままれて、クニークルスはぐっと歯を噛んでこらえる。
「あぁ、もふもふだぁ。もふもふ、ふふっ、もっふもふー」
「ええい、耳のそばで奇声を繰り返すでない!」
いつもより真っ赤になったウサギの耳が鼻先で揺れるのを眺めつつ、由奈はクニークルスの少し高い体温と、やわらかくしっとりとした手触りを、しっかり一時間堪能した。




