17 ウサギ、酒を酌み交わす
火曜も水曜も、由奈は夜の情報番組が終わる前に帰宅した。
「お粥をちょっとアレンジしようかな」
レトルト粥を鍋にあけ、弱火あたためながら冷蔵庫をあさる。冷凍のほうれん草をふつふつと泡のたちはじめた鍋に入れる。軽く味をみて少し塩を足し、最後に卵を溶き流し入れた。
「レンチンではないのか、すごいな」
「アレンジだし、お粥だけだよ」
他の惣菜はレンチンだし、この程度で褒められると逆に恥ずかしくなる。
あたためたエビ焼売を皿に盛り付け、デザートの冷凍マンゴーは小鉢で自然解凍させる。お茶を入れて夕食だ。
「果物をこうして冷凍しておくのは良き知見だな」
「ただ凍らせれば良いわけじゃないらしいよ。鮮度を保つ冷凍技術って難しいらしいから」
「うむ、流通の問題もあるのだろう? 簡単には真似できぬだろうが、小さき商いのヒントにはなるであろう」
クニークルスはすぐには使えなくても、タイミングが合えばすぐに実用できそうな知識をたっぷり学んでいるらしい。なかなか抜け目のないウサギだ。
夕食後、由奈はかぎ針と毛糸を手に取った。火曜の閉店間際に駆け込んだ手芸店で購入したふわふわの毛糸の編み物の続きをはじめる。
「む、それは……」
編みはじめには完成を予想できなかったクニークルスにも、そろそろ何を編んでいるのか分かったようだ。
「わかった? クニークルスだよ」
「ぐ……ぅう」
白くてふわふわ、丸く膨らんだフォルムは、土曜に編んだ手のひらサイズのウサギぐるみと同じだ。用途を察したクニークルスは顔を歪めて唸った。
「ま、まあ、我に腹モフされるよりはまし……か」
見なかったことにしよう、とクニークルスは視線を逸らし茶をすすった。
「おぬし、昨日も今日も早く帰れたのは良いが、奉公先は問題ないのか?」
「んー、問題ありかもなぁ」
へらりと力の抜けた笑い顔で由奈が息を吐く間も、手は止まらず動き続けている。
「奉公先に問題はあれども、仕事を粗末にしてはならんぞ」
「それは大丈夫。真面目に働いてるよ。新しく押しつけられたのを、全部突っ返してるだけだから」
これまで引き受けてしまった仕事は最後まで責任を持って終わらせるつもりだ。けれど新しく指示された分は、それが由奈の職域を超えている場合はその場で断わっている。
「営業課には営業事務の社員がいるんだから、そっちに回すのが筋だもんね」
これまで由奈にアレコレを押しつけてきた営業職の数名に怒鳴り込まれたが、これまで一度もかばってもくれなかった上司が、慌てて彼らを止めていたのには笑ってしまった。
「追い返した後、私に手の空いてるときに手伝ってやってくれって言うんだよ。『手伝いの範囲を決めてから業務命令を出してください』ってお願いしたら黙ってたけど」
押しつけられた仕事も楽しかった。けれど都合よく使われ続けていいのかと、クニークルスの言葉で考えるようになったのだ。営業の仕事をさせたいのなら、課長が命令を出せばいい。異動させるなり、仕事にみあった報酬を出すのがのが筋だ。
「いままであっちがズルしてたんだから、文句は言えないはずだよ」
「そうであればよいがな。まあ、無理はするでないぞ」
「うん、わかってる。私は等身大のクニークルスを編まないといけないからね」
「編むでない!!」
やっぱりか、とウサギは足を踏みならした。しかし腹モフを対価に依頼したわけではない編み物を止める権利はクニークルスにはない。
「今度は詰める綿を買ってこなきゃ」
糸が太くて編み目も大きいので、綿の詰め方にも工夫が必要そうだ。編んでいるコレを皮にして、内側にぬいぐるみの素体を作って入れるのもよさそうだ。
「ちょっとサイズ測らせてもらうね」
「……条件をのめば、許さんでもないぞ」
その夜の腹モフ一時間を二十分値切って、クニークルスは足の裏から腕と尻尾の位置、髭と耳の長さまで、全身の正確なサイズを測られた。
木曜日は一日中雨が降り続いた。
魔力の回復は、基本は眠りによってもたらされる。太陽の光はそれを増幅させる働きがあるのだが、雨の日は増幅なしだ。そのため回復量はぐっと落ち込んだ。
雨のせいだろうか、宿主の帰りが以前と同じくらい遅かった。
「ただいまぁ……」
遅くはあったが、以前のように短い廊下を這うことも、死霊のような顔つきでもなかったため、クニークルスは落ち着いて由奈を出迎える。
「おかえり。今日は遅いが、忙しかったのか?」
「ん……人事課との面談があってさ、ちょっとバタバタしたせいで通常業務が押してさ」
「その面談とやらは、おぬしの待遇改善に良きに働くのか?」
「さぁ、まだわかんないよ」
遅い時間だからと、由奈は冷凍パスタで夕食を済ませ、眠る前の少しの間クニークルスの続きを編んだ後、約束の腹モフをベッドに連れ込み就寝した。
まだ三十分というところで由奈が寝落ちして拘束が緩まった。抜け出したクニークルスは由奈に毛布をかけ直し、己は定位置である座椅子で眠りについた。
金曜日、朝は曇っていた空が、昼前には眩しいくらい明るくなった。降り注ぐ日差しも強く、魔力回復の後押しを期待できそうだ。
「もう、そろそろか」
日向で丸くなったまま、クニークルスはたまった魔力を量ってみた。こちらに転移してくるときに失った分は取り戻せている。いつでもアレシアのもとに帰れるだろう。だが土産を持ってとなると、少しばかり厳しい気がした。
「我の魔力の器を完全に満たさねばならぬか」
リモコンを操作し、天気予報を放送しているチャンネルを探す。
「週末は晴れるのか。明日で完全回復できそうだな」
帰還の時は近い。
+
金曜の夕刻、まだ空が暗くなる前に、由奈が帰宅した。
玄関を開けた彼女の姿は、常日頃とはことなり妙に雄々しく思えた。
「は、早過ぎはしないか?」
「時間休とった」
「じかんきゅう?」
「一時間単位でとれる休みのこと」
どすん、どすん、と乱暴な足取りでリビングに移動し、ぶら下げていたビニル袋をローテーブルに乱暴に置いた。窓際から移動させた座椅子に座り、フェイクファークッションを抱きしめる。
「聞いてよ、営業の奴ら、私にさせてた仕事を、全部自分たちの名前で報告してたんだよ」
薄々そうだろうなと予想はしていたが、役員の口から聞かされるとやっぱりショックだった。しかもこちらが嘘を吐いていると決めつけ、ガチガチの理論武装で由奈に通告したのだ。今さら訂正して評価しろなんて要求はしてないのに、知らない間に由奈が不当な要求をしているような話の流れになっているのに腹が立った。
「ウチは労働組合がないから作ってから申し入れしてくれとか、私そんなこと一言も言ってないのに!」
「う、うむ、それで?」
「腹立ったから昼休み返上で仕事終わらせて、権利を行使して帰ってきた」
由奈はビニル袋から缶を取り出し、プルタブを思いっきり引いた。
プシュッ、と小気味のいい音と同時に炭酸と滴が飛ぶ。
「む、それは、酒か?」
クンクンとアルコールを嗅ぎ分けたクニークルスが、缶チューハイと由奈の顔を見比べる。白ウサギが居候するようになってから、この部屋で酒精を嗅ぎ取ったのははじめてのことだ。心配そうに青い目が揺れていた。
「明日は休みだし、飲み潰れても大丈夫だし!」
「潰れる前提であるのか」
「クニークルスも飲む? あ、聖獣つっても動物だし、アルコールはマズイかな?」
「二度と味わえぬかも知れぬ異世界の酒だ、味見くらいは良かろう」
「よし、甘いのと、酸っぱいのと、苦いのと、どれにする?」
どんどんどん、とアルコールの缶が並んだ。度数の少ない紅茶フレーバーの缶チューハイ、スカッとした味わいの甘くない柑橘系、そして辛口でドライな発酵酒だ。由奈はミニグラスを持ってきて、それらに少しずつ注いでクニークルスにすすめた。
「好みのヤツ、ある?」
「ううむ、茶の風味のこれは少々甘ったるいな。こちらは我の世界のエル酒に似ておるが苦すぎる。この柑橘の甘くないのはなかなかだ」
クニークルスに柑橘系缶チューハイを譲り、由奈は辛口ドライから片付けてゆく。
「くうぅ、久しぶりのお酒、美味しいな~」
「程々にしておくのだぞ。特に平日のおぬしの体調に酒は危険だ」
「わかってるよ。自覚あったからどれだけムカついても飲んでなかったんだし」
酒で晴らせない鬱憤を、フェイクファーのモフモフに癒してもらっていたのだ。
「ふむ、はやくアレシアともこのように酒を酌み交わせるようになりたいものだ」
「帰ったらすぐに酒場に行っちゃえ。あ、そっちって女も酒場でお客さんになれるよね?」
「店は選ばねばならぬが、女性でも楽しめる酒場はある。だがアレシアが酒を許されるようになるまでは、まだ何年もあるからな」
「……え?」
耳を疑った由奈は、思わず聞き返していた。
「アレシアちゃんって、成人してたよね?」
「うむ」
「でもお酒はダメなわけ?」
「酒が許されるのは十六の歳からだ」
「待って、アレシアちゃんって、そっちの世界の成人っていくつ!?」
「成人は十二、婚姻は十五から、酒は十六からだ」
成人年齢は十八歳、お酒は二十歳から、となっている由奈の常識がありえないと叫んでいた。
「小学生じゃないの!!」
辛口ドライの酔いが一気に醒めた。
異世界の元聖女候補は、てっきり二十才くらいだと思っていたのだ。だからクニークルスの献身を過保護だと呆れていたのに、まさかの十二才とは。これは保護が必要だ、放っておいてはいけない。
「あんた、そんなちっさい子を放り出してきたわけ?! 二週間も留守なんてヤバすぎでしょ!」
今すぐ帰れ、と叫びそうになった由奈を、クニークルスのモフ手がポンポンと叩いてなだめた。
「前にも説明したであろう。別れた直後に、ズレたとしても一鐘ほど後に戻れるから心配ない」
そういえばそのために魔力を満タンに回復させる必要があって、異世界の守護聖獣は由奈の部屋に居候していたのだった。
「ふー、児童遺棄にならなくて安心したよ」
紅茶フレーバーの缶チューハイで酔い直そうとしたが、十二才という年齢がチラついて酒が楽しめなくなっていた。
「そっちの世界って、十二才から自分の生活費を稼がなきゃいけないのか……生きてくの厳しくて大変だね」
「我からすれば、溢れかえるほどの知見が当たり前であるこちらの方が、より生きづらいように思える」
「んー、かもね」
由奈はクニークルスの両手に支えられた柑橘スッキリの缶に、己の紅茶チューハイの缶をコツンとぶつけた。




