13 ウサギ、相談する
朝日が顔に当たって目が覚めた由奈は、眼前にある毛皮の誘惑に必死に抗っていた。
静かな呼吸に合わせて上下するふわふわの毛皮。しかも由奈の鼻息で毛の流れを乱され、薄ピンクの肌がチラリと見える様は、このまま顔を埋めよと誘われているようではないか。
「寝起きの腹モフを……」
毛布から伸ばした手は、毛皮に触れる寸前で止まった。
「いやダメ、掃除と洗濯のご褒美に夜まで我慢……でも朝イチのモフで活力が欲しい。でもでも夜の楽しみ……待てないし、お昼にする?」
落ち着こうと大きく息を吸った。
「あ……クニークルスの香りだ」
作りたてのポップコーンのような香りが、心地良く由奈の鼻孔を満たした。これはいい、この香りをたっぷり吸えば昼まで我慢できそうだ。昼からはそのときに考えよう。
スースースースースースー。
鼻だけでは足りない。口でもとクニークルスを嗅いだ。
由奈の異常な気配を察したのか、毛皮がジリジリと遠ざかってゆく。
「ヤスオカユウナ……おぬし、まさか部屋の外でもそのような奇行をしておるのか?」
由奈の手の届かない位置まで這って逃げたクニークルスは、くるりと振り返って心配げに問う。奇行を気持ち悪いと思うよりも先に、家主が心配になるのだ、ずいぶんと情が移ってしまっていた。
「まさか。会社での私はクールなシゴデキ女だよ」
「しごでき?」
「仕事のできる女」
平日の恨み辛みは土日に思い出さないと心に決めていたのに、うっかり金曜日の表向きの終業時刻ギリギリの出来事がよみがえって、由奈の眉間が険しくなった。
逃げるように飛び起きた由奈は、大きく頭を振って嫌な記憶を振り落とした。
「くうー、体がガチガチ。ここで寝落ちしてたのかぁ」
巻き付けられていた毛布がずり落ちる。全身が凝っていたが体はホカホカとしていた。かけられていた毛布を畳みながら視線を向けると、クニークルスは照れくさそうにそっぽを向いている。
「くー、かわいいっ」
「なななな、なんのことだ」
「ふふ、ありがとうね、クニークルス」
「ふんっ」
赤く染まった毛の薄い耳に活力をもらった由奈は、確かな動きで起きあがった。
朝ご飯はレトルトのお粥と、冷凍の焼売だ。先週買いだめしていた大量の冷凍食品は、予想よりも消費されていない。平日の昼、クニークルスはあまり食べていないようだ。あんなにレンチンを楽しんでいたのに。
「遠慮しなくていいんだよ?」
「……魔力充電をしておると、気がついたら夜になっておるのだ」
最初の二日はレンチンを楽しんだし、異世界の料理を堪能したが、日当たりの良い時間帯を逃すのが惜しくなって、それからはずっと日差しを追いかけて移動しながら、クニークルスは情報収集に努めていた。
「あ、そういえば昨夜、相談されてたんだっけ」
「覚えておるのか」
「うん、お守りの話をしてたよね?」
うつらうつらとしていたから、由奈は忘れてしまっていると思っていたクニークルスは、なるほど仕事はできるようだと感心した。
「うむ、その件だ。後で相談に乗ってくれぬか」
「あとでいいの?」
「部屋の掃除と洗濯をせよ。仕事ができるのであろう、片付けもさっさと済ませよ」
帰宅して寝るだけだった部屋だが、一週間の間にホコリはうっすらと積もっているし、毎朝毎夜のレンチン料理の容器や、宅配ボックスに届いたものの回収だけして未開封の箱が数個放置されている。はじめて踏み込んだときほど酷くはないが、一週間前にそれなりに整えた状態と比べれば、乱雑さは一目瞭然だ。
「いや、クニークルスの相談のほうが重要かなって思ったんだけど」
「腰を落ち着けてじっくりと相談したいのだ、我が居心地良く相談できる環境を作れ」
クニークルスに急かされ、由奈はルーティーンである洗濯と掃除を手早くすませた。
洗濯機を回している間にゴミを拾い集め、テレビや家具のホコリを落とす。洗濯終了を知らせる音が鳴る前には掃除機をかけ終えていた。金曜日には空っぽだった室内物干しに五枚のブラウスと下着が並び、室内着とパジャマが端に引っかけられ、ブラシがけされたスーツのセットがハンガーにととのえられる。
「いつもより体が動くなぁ」
今日は午後から曇りだというので、慌てて毛布と布団も干した。
これらの家事は午前中いっぱいかけても終わらないことも多いのに、今日は昼前にすべて終わっていた。
少し早めのお昼ご飯に、冷凍チャーハンとカップスープを用意してクニークルスと食べる。
「それで、お守りの相談って、なに?」
「こちらの知見は高度すぎてアレシアには難しい。ゆえにアレシアにできることで何かと考えておったところ、こちらでは庶民もアミュレットを日常に手にしておると知ってな。簡易なアミュレットならばアレシアも作れる。それに他の者には真似できぬ唯一の品だ、競合の心配もないと思いついたのだがな……いくつか悩ましい問題があるのだよ」
「なにが悩ましいの?」
「教会だ」
両手でカップを持ち、口先から迎えに行くように茶をすするクニークルスの仕草は、まるで人間そのものだ。そこが奇妙でかわいらしい。ウッカリ見とれて聞き逃さないよう、由奈は耳を傾けた。
「我の世界において、アミュレットは神聖なる守りの品なのだ」
瘴気を封じ込めた結界の地、そこを見張る聖騎士や、聖女・聖人が快適に駐留できる環境を整える人々のために作られ、渡される。
「それをアレシアが勝手に作り、あまつさえ売って金銭を得た場合に、教会を敵に回すのではないかと心配なのだ」
「アレシアちゃんを見放した教会に、義理立てしなくてもいいと思うけどなぁ」
「そうは言うてもな、聖魔力は世界を瘴気から守るために神が与えた力だ。それを己のために使うのを、教会が見逃してくれるかどうか」
要らないと捨てた者の行動にまで口出しするくらいなら、もっと手厚くケアすべきだと思うが、由奈が指摘したところでどうにもならないだろう。
「神様が天罰を下すの?」
「……神は、基本的に聖魔力の使い方にまで口を挟みはせん」
その者に力を与えたことこそが神の意思であり、どう使おうと頓着しないそうだ。ただし、悪意ある行為に使えば、聖魔力は神に返されることになるらしい。
「聖魔力は人を癒やせはしても、害することはできん。害せるのは瘴気だけなのだ」
「なら教会なんて無視すればいい、ってわけにはゆかないんだろうね……」
世界を瘴気から護る巨大な組織だ。各国の上層部に与える影響は大きそうだし、市井にも広くコネがありそうだ。敵に回してしまえば、平穏に暮らせなくなるのだろう。
「教会のことは後で考えるとして、そっちの世界でも、こっちのお守りみたいなアミュレットって、需要がありそうなんだ?」
「ある。聖魔力のこもったアミュレットは、一般には出回っておらんのだ。元聖女候補のアレシアが浄化の魔力をこめれば、その力が微量であっても欲しがる者はいる」
「アレシアちゃんの作ったアミュレットの強さって、どのくらい?」
「わずかだぞ……軽く瘴気に染まった者から、一度払える程度だ」
森や荒れ地では小さな瘴気が偶発的に発生する。教会から聖女・成人が派遣されてくる前に、目に見えぬそれらに運悪く触れて体調を崩す者が、狩猟者や農村の者に多いらしい。
「一回こっきりの使い捨てなのか。お守りっていうより、お札っぽいかな」
「オフダとお守りは違うのか?」
「違うんじゃないかな? 私も説明できるほど詳しくないけどね」
お守りも不要になれば神社に返しにゆくというし、アレシアの使い捨てアミュレットもお守りの体裁ではあるようだ。
「瘴気を払えたら効力が消えるって教えての販売なら、リピーターも期待できるし、悪くはないかな」
由奈の言葉に、自信を得たようだ。クニークルスが胸を張る。
「瘴気ってのがくっついてたら、やっぱり良くないんだ?」
「聖魔法でしか治せぬ病の原因だからな」
健康を害した平民は、市販の薬を飲み、医者の治療を受ける。それでも治らない病は瘴気が原因と考えられており、教会の治療院で聖女・聖人によって魔法の浄化と治療を受けるのだ。
「不調の原因が病か瘴気かを見分けるのは難しく、どうしても症状が重くなってから教会の治療院にやってくる」
「最初に駆け込まないんだ?」
瘴気か病かの二択なのだから、手っ取り早く教会で原因を確かめるほうが色々と早くて楽なのに、と由奈が疑問をぶつける。クニークルスは苦笑いで頷いた。
「治療院での浄化は、高額なのだよ」
聖魔力のうち浄化の得意な聖女・聖人は、治療の得意な者よりも少ない。教会に二人か三人しか居ないし、近隣で瘴気溜まりが発生したときに備え、一人は必ず力を満たした状態で待機すると定められている。それを理由に治療院での浄化に高額を設定し、安く使い潰されないようにしていた。
「アレシアちゃんは浄化が得意なんでしょ。なんで追い出したんだろ? そういうところに配置すればよかったんじゃない?」
「……アレシアが浄化できるのは、初期も初期の穢れだけだ。治療院に運び込まれてくる穢れを長くたくわえた者は、アレシアが五人いても浄化は難しい」
初期ならばアレシア程度でも浄化は可能だが、数が多ければ対応しきれない。ゆえに教会は、命が危ぶまれる場合にのみ浄化をすると決めている。
由奈の想像以上に瘴気の穢れというのは厄介なようだ。
「だがアミュレットを持てば、重篤化する前に瘴気を払えるし、払えずとも原因がハッキリする。それがわかれば人々はアミュレットに金を払うはずだ」
クニークルスのアイデアは、由奈にも悪くないように思えた。




