12 ウサギ、思いつく
背中で受け止める太陽の熱がぬるく感じて、クニークルスは目を開けた。
窓ガラス越しに見上げた空は薄く、斜めに差し込む日差しに力はない。
やっと金曜日というものが終わるのかと、クニークルスは複雑な重い息を吐いた。
朝、クニークルスはぐずる家主を何とか出勤させている。居候の身である自分が、家主の勤労意欲をもり立て、無理に奉公に向かわせる必要はない。しかし彼女はなんだかんだ言いつつも、最後は重い足を引きずって奉公先に向かう。この五日間の観察でそれを理解したクニークルスは、少しでも前向きに、心地良く方向に出てもらおうと努力した。
そのせいか、この五日間をとても長く感じた。
「今宵は何時に帰宅するのでであろうな……」
毎夜の、腹に顔を埋められ、全身を揉まれる時間は苦行だが、約束の一時間を耐える前にいつも家主は眠りに落ちる。幸せそうに、満足そうに、全身を弛緩させて眠る姿を見て、クニークルスはやっと安堵し、家主の拘束から解放される。何故この破廉恥な行為で眠れるのか、さっぱりわからぬが。
そして朝が近づくと、家主の口からは苦瓜を口に突っ込まれたような、苦しげな息が漏れる。それを聞いて目を覚ますクニークルスは、いつも思うのだ。
「アレシアにあのような働き方はさせたくない」
己を削るヤスオカユウナの奉公精神は、傍観するのも辛くなる。異世界の知見で豊かになっても、家主のように表情をなくしたり、突如泣き出すような豊かさは許容できない。
「この世界では、奉公先を変えるのは簡単だとてれびで学んだが、ヤスオカユウナは思い切れぬようだな」
奉公を義務づけられた平日は、家主に余裕がなくこちらの声は届かない。今日が終われば、ヤスオカユウナの疲労も回復し、少しはこちらの言葉が届くようになるはずだ。
「我のように、陽の光を遊びて眠れば、少しは力が回復するはずだ」
日向での昼寝により、クニークルスの魔力は半分ほど回復していた。シュウキュウの二日間のヤスオカユウナも、日向で眠ったあとの血色は良かった。誘うべきだろう。ただし、不意の腹モフ攻撃を受ける可能性が高くなる点だけが心配だ。そして様子を見て、奉公先を変えるよう忠告しよう。
窓の外が茜色になり、そろそろテレビの光が外に漏れ出るころだ。クニークルスはカーテンを閉めた。
つけっぱなしのテレビでは、偉業が達成されるまでの苦難と努力を紹介する番組が放送されている。世界を変えうる知見の宝庫だと、クニークルスが夢中になった番組だが、視聴がすすむにしたがい「これではない」との思いが強くなっていた。
「異世界の知見は規模が大きすぎる。もう少し小さな、手の届くものがよいのだが」
土木工事の技術も、画期的な道具の発明も、この世界にその下地があるからこその努力であり成功だ。クニークルスの世界にいきなり持ち込んでも、その前に技術水準の底上げが必要になる。年単位のぷろじぇくとをアレシアに背負わせるのは酷すぎるし、そもそも不可能だ。そういった大仕事は、国や領主が行うべきものである。
唯一、治療技術の知見はアレシアにも役に立ちそうだと思ったが、残念なことに伝える側のクニークルスが知識と技術を習得できそうになく、泣く泣く断念した。
「知見が高度すぎるのだよ、この世界は」
下っ端の守護聖獣と、生まれは平民で実家との縁も切れた後ろ盾のない元聖女候補にも再現可能で、けれど他に真似されない知見、そのような都合の良いものはなかなか見つからない。
クニークルスは、もうこの世界で儲る知見を探すのを諦め、己の世界で着実で安定した策を探したほうが良いのでは、と思うようになっていた。
「元聖女候補のアレシアにできるのは、小さな癒やしと中くらいの浄化……これで何をすれば良いかの」
ヒントを求めてチャンネルを変える。
子どもが歌い踊る姿が目に入り、クニークルスの耳と髭がリズムをとって弾む。子どもは異世界も自分の世界も大きくは変わらない。
明るく朗らかな番組で癒やされた後に選んだのは、馴染みになりつつある時代劇だ。クニークルスは例の騎士団長が、町娘からお守りを渡されているのに目をとめた。
「ふむ、アミュレットがあのようにして売られているのか。……アレシアも作れるが、教会の許可が得られるだろうか」
聖魔力をこめた守りは、瘴気封じの地に赴任する騎士に渡される貴重なものだ。同じ品を市井で売って対価を得ることを、教会が認めるとは思えない。
「アレシアの力は弱いのだから、守りにこめられる聖魔力も小さなものだ。庶民にも神の加護のお裾分けをしても良いような気がするが……」
おまもり、というものを検索し、説明の動画で学んだ。
正月とかいう特定の時期に、大勢の人が神殿を訪れ、あのようにたくさんのアミュレットを購入する習慣は、クニークルスの世界にはない。自分のため、誰かのためにアミュレットを求める姿に興味をひかれた。また多種多様な、特定の守りに特化したアミュレットのあり方にも驚かされる。実に効率的で、欲深い。しかし。
「安産の守りか、これは我の世界でも望まれるであろうな」
健康祈願のお守りは病に苦しむ者に望まれるであろうし、商売繁盛のアミュレットは商家や駆け出しの屋台商らの需要も見込める。
「守りの力は弱くとも、聖女の作る本物のアミュレットだ、間違いなく売れるであろうな」
この習慣を根付かせられれば、アレシアは平民の町でも暮らしていけるだろう。アミュレットを通じて教会とのつながりも維持できれば、かつての仲間たちとの縁もつながる。良いことばかりだ。なんとかして教会を説得し、アレシアの仕事として認めさせたかった。
「……他の守護聖獣に根回しをする必要があるな」
今回、聖女に満たないと市井に降ろされたのはアレシアだけだ。しかし教会が聖女・聖人の定員を定めたことで、今後も下位の守護聖獣らの被守護者が任を解かれ、教会から出される可能性は高い。クニークルスは能力的に近い何頭かの守護聖獣が、主人を心配しアレシアの行動に注視しているのを知っていた。
「彼らに力を貸してもらえれば、なんとかなるかもしれんな」
聖魔力持ちは毎年、わずかだが生まれているのだ。新たな聖魔力持ちの力が大きければ、アレシアのように力不足として教会から出される可能性のある見習いは何人もいる。その守護聖獣らと危機感を共有できれば、力を貸してもらえるとクニークルスは強く信じていた。
「うむ、そのためにも我の世界に帰らねば」
クニークルスは魔力を温め増幅させる、ポカポカとした陽の光を思い出しつつ、元の世界での計画を練った。
+
深夜、日付が変わる直前に由奈は帰宅を果たした。
「もう無理、我慢できない!」
由奈は玄関を開けるなり、クニークルスに手を伸ばした。
着替えも、食事も後回しだ。明日の起床時間に縛られないのだから、今すぐ堪能して時間を浪費したところで問題はない。
「あぁぁー、モフモフぅ!」
「だから毛に顔を埋めるでないと!」
「うっさい、一日一揉みモフは約束でしょ!」
「うおぉ、そこは、そこはぁぁぁ……ぁ」
背中に張り付き、腹へしっかりと腕を回して、丹念にその腹の揉み心地を楽しむ。同時に悶えるウサギの後ろ頭に顔を押しつけ、ふわふわの毛皮の感触とお日様の香りを、由奈は一分たりとも誤魔化されずしっかり一時間堪能した。
その後、揉まれ続けて痙攣する腹を庇うウサギを残してシャワーを浴び、フリーズドライの野菜スープとシリアルバーで夕食をとる。
「クニークルス、食べないの?」
異世界のウサギは律儀にも、由奈が帰宅するまで夕食を待ってくれている。毎夜の貧相な夕食に文句を言われたことはないのだが、さすがに食べ飽きたのだろうかと問いかける。
そんな由奈に、クニークルスは髭をピンと緊張させて言った。
「……少し相談があるのだが」
「んー、なぁに?」
「おまもりとか言うアミュレットのことなのだが」
「お守り」
唐突すぎて目を丸くする由奈に、クニークルスは時代劇で得た知識だと説明した。
「あれはどの程度の力が込められたものなのだ?」
ホカホカと湯気を立てる野菜スープに顔を近づけながら、由奈は首を捻った。
「どうなんだろう。私は神事に詳しくないからなぁ。具体的な力とかないんじゃないかなぁ」
「なんと、守りの力がないのに、守りとうたっておるのか?」
信じられぬ、とクニークルスの毛が逆立った。
「神主さん? が、ちゃんとお祈りしてるはずだし、全く何にもないとは言えないと思うけど。御利益があることもあるし、あっても気づかないこともあるかもだし、なんともね。気の持ちようって感じかなぁ」
由奈はそういった品に対して鈍感だ。初詣に行けばお守りを買うが、一月も半ばを過ぎると存在を忘れてしまうこともしばしばだ。
「ところで、なんでお守りなの?」
「うむ、アレシアにな、庶民向けのアミュレットを作らせて、それを売るのはどうかと考えたのだ。ただアミュレットは瘴気封じの任に就く騎士にしか保持を許されておらん。教会に禁止されたらどうにもならんのだが……」
腹揉みを存分に堪能し、スープで胃が温まったせいか、眠気がじわじわと由奈を包みはじめる。そこにクニークルスのイケオジボイスの語りが重なり、由奈の思考はどんどんと鈍くなってきた。
「廉価ばんは……なぁ、物によっては……本家、の、価値……下げる、から……嫌がるよ……」
一日一腹揉みの約束を守ってくれたクニークルスの問いに答えたいのに、頭が働かない。
コトリ、と頭が落ちた。
「……疲れておるところに持ちかけるべきではなかったな」
ローテーブルに頭を預けて寝落ちした由奈を床に転がして、ベッドから引きずり下ろしてきた毛布で包んだクニークルスは、家主の体調を無視した己を反省し、詫びのつもりでその脇に丸くなった。




