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紅に燃ゆる〜千本桜異聞〜  作者: 吉野
第三幕〜吉野山〜
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19/22

忠信狐


「…遅かったのね。

無事で安心したけど」


「なに、心配はいらぬ。

ところで殿は?

首尾よく…静殿の事はお伝えできたのか?」


声を潜め、問いかける四郎。



間違いない。

こちらが私とずっと旅をしてきた「四郎兵衛忠信」様。



「それなら大丈夫、ちゃんとお話しできた」


どんな表情も見逃さないよう、四郎の目を見つめる。





「あなたが何者でも、私だけはあなたを信じる。

だからお願い、本当の事を言って」


「静佳…?」



訳が分からないという顔をする四郎。



「さっき、佐藤忠信という人がここに到着したの。

その人は私の事は知らないと、たった今京から到着したのだと言っている」



時に手を引き、時に温め、時に刀で私を守ってくれた四郎の手を握りしめる。


「…なら、あなたは? 」


「な、にを」



珍しく動揺している四郎に、なんとも言えない思いがこみ上げてくる。



「義経様の事を案じていたよね?

私が、鎌倉や平家のスパイじゃないかって、最初警戒していたよね?


それでも私の話を信じて、今まで側にいて守ってくれた貴方は…本物の佐藤忠信様?


証拠は……ある?」



必死の問いかけに、四郎は力なく首を振った。


「証拠など…」




手を取り、目を見つめたまま、次の言葉を探す。


「じゃあ…あなたは何者なの?

どうして……」



言葉が見つからないよ、四郎。


何の為に、伏見稲荷で静御前と私を助けてくれたの?

どうしてここまで一緒に旅をしてきたの?


貴方が本物の忠信様じゃなかったら、どうなっちゃうの?




そんな想いを込めて目を見つめていると、四郎は一つ大きく息を吐いた。


「その鼓に誓って、静佳と義経様をお守りする。

その為に吾はここにきたのだ」




——貴方はまさか…。


脳裏に浮かんだのは鼓の由来。


あの子狐が、まさか…そんな。




黙って初音の鼓を取り出す。


そんな私の手元をじっと見つめる四郎。



「昨晩、白いお狐様を見たわ。

あれは…貴方なの?」


「……鋭いな」



肯定、と捉えていいのよね?


「でもどうして…?」


「……前にそなたに話したが、初音の鼓は我が両親。

雨乞いの為、親を殺された時はほんの子狐であったが、いかに畜生といえど孝行心はある。


親の形見とも言えるその鼓を守る事は、吾にとっては親孝行も同じ事」




手を伸ばし、鼓に触れる四郎の眼差しは、これまで見た事のない哀しみに彩られていた。



「けれども、吾がここにおる事で本物の忠信殿に迷惑がかかると言うのなら、もうここにおられまい」


「鼓を…そしてそれを持つ者を守る為。

それが貴方がここにいる理由、なのね?」




純粋に親を慕う想い。


それこそが彼がここに居る、そして義経様や私を守ろうという理由なら。



「義経様!

私には彼を斬り捨てる事はできません。

その理由がないもの!」


小袖の裾に隠していた短刀を払い除ける。



「静佳…」


目を見開いた四郎をギュッと抱きしめる。


いざという時は——私に何が出来るかわからないけど——彼の為に出来る事を精一杯しようと、心に決めながら。



***



けれど、予想していた騒ぎば何一つ起こらなかった。


拍子抜けする程に…。




隣室で四郎と私の会話を聞いていた義経様は、ちゃんと人の話に耳を傾ける事のできる人だった。


弁慶や忠信様、この館の主人である河連法眼様の居並ぶ前で、四郎と対面する義経様。



改めて四郎の口から初音の鼓の由来、自分の正体、そして鼓に対する思いが語られた。



「親を慕う気持ちは、人も畜生もない…。

よくぞ申した、忠信狐。


吾も幼くして父義朝を失った身。


母のおかげで命救われ鞍馬山で修行をし、後に兄頼朝に仕える事が叶うたが、今では憎まれ追われる事となってしまった。


人の身でありながら、肉親の縁薄き我が身を思えばそなたの親を思う気持ち、何と尊い事か」



義経様の言葉に、四郎は顔を伏せ体を震わせていた。


「もったいないお言葉」


「この初音の鼓が親御とな。

なれば、今まで静を守った功により忠信狐(そなた)にこれをつかわす。

大事にいたせ」



鼓を差し出した義経様に、躊躇いがちな目を向ける四郎。


けれど一旦は伸ばしかけた手を畳につき、背筋を伸ばした。



「大事な事を伝え忘れておりました。

先程このお静と館へ向かう際、何やら不穏な気配を感じ、探っておりましたところ、今宵館へ討ち入りを企てる者が」


「なんと!」



四郎の話では、横川の覚範という坊主がこの館の主人・河連法眼が義経主従を匿っているのでは?と疑いを抱き、金峯山寺の衆徒と共に夜討ちを強行しようとしているのだとか。



「横川の覚範、とな」


何か考え込む義経様に対し、河連様や弁慶達は応戦の構え。



けれど、一同を制したのは意外にも義経様だった。


義経様の口から語られた思いがけない真実に、誰もが驚愕を隠せなかった。



***



結局、夜討ちがかけられる直前まで私は別室にて待機。


これは、万が一にも私が内通者として横川の何ちゃらを引き入れる事を警戒した措置。



それは分かるんだけど…。

もちろん、そんな事しないけどね!


ともかく、その見張りとして四郎を置いていくって…どうなの?



しかも、当の四郎ときたら…。


面々の前でしれっと爆弾発言かましてくれたし!




「で、さっきのあれは一体どういうつもり?」


障子を閉めるや否や、胸ぐらをつかむ勢いで問い詰める私を笑ってかわし、敷物の上に座るよう誘導する四郎。



「さっきのあれ、とは?」


ニヤニヤと。

わかっているくせにはぐらかすつもりね。



「さっき、みんなの前で言った事よ。

私と四郎が、何ですって?」


「共寝をした間柄なのは間違いあるまい?」


「っ!…」




——それを言われると…そうなんだけど。



先程、居並ぶ面々の前で四郎はこう言ったのだった。



「初音の鼓の件、大変ありがたきお言葉。

なれど褒美と仰せであれば一つだけ所望致したく」



家臣の身で(正確にいえば違うけど)厚かましい申し出に、義経様は笑って


「申してみよ」


とお許しになった。




「ありがたきお言葉。


ならば、ここにおる静佳を。

この者とは共寝をした間柄。

いずれ妻に迎えたいと思うております」



事情を知らない弁慶は、よりにもよって殿の愛妾に手をつけた上、褒美に望むのかと気色ばんだけれど。


義経様は弁慶を片手で制し、さらに笑いながら許したのだった。



ただし私がそれを望むのなら、と釘を刺した上で。




「で、でも妻って、どういう事よ」


「静佳は、我の事が嫌いか?」




——その聞き方は、ズルイ。



「ほんっとうに、ズルイ!」


「狐だからの」




——ほんっとムカつく!


でも……嫌いになんかなれない。



それに、あの時あんな奴に初めてを奪われるくらいなら、四郎の方が百倍マシ!と思ったのも…事実。





「じゃあ、せめて貴方の本当の姿を見せて」


「……見たいのか?」



心底不思議そうな顔をするので、目一杯頷いておく。



私の迫力に負けたのか、四郎は衝立の陰に身を隠し…。


次に姿を現したのは、昨日見た白狐だった。




「四郎…」


金色の瞳が、今は優しく私を見つめている。


手を差し伸べると、冷たい鼻先が押し付けられる。



ピレネー犬やセントバーナードより大きな首にしっかりしがみつくと、真っ白な毛並みを手で梳いた。



「ほんと、キレイ」



今思えば、あの金色に怪しく光る眼に心を奪われたのは、私の方だったのかもしれない。



「…四郎」


囁くように名前を呼ぶと、白狐の姿のままで四郎は笑った。



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