あくがれいづる魂
物おもへば 沢の蛍も 我が身より
あくがれいづる 魂かとぞみる
~和泉式部~
まだ静御前が元気だった頃、蛍の群生を一緒に見た事がある。
その時、彼女が詠んだのが和泉式部のこの歌だった。
確か…意味は『貴方が恋しくて思い悩んでいると、沢を飛ぶ蛍でさえも私の身体から彷徨い出てきた魂なんじゃないかと思ってしまう』だったかな。
『あくがれいづる』は彷徨い出る。
無意識のうちに魂が身体より彷徨い出て、恋しい人の元へ飛んでいってしまう、みたいな?
古典で習った事を思い出しながら、からかうように言ってみる。
「姉様の魂の『あくがれいづる』先は義経様ね、きっと」
「そなた知っておるのか、この歌を」
「うーん、なんかで読んだ気がする」
突っ込まれると困るのでごまかすと
「そなたの『気がする』は『聞いてくれるな』と同義であろう?」
ニヤリと笑う静御前。
——バレてるし!
てか、返り討ちにあったし!
内心冷や汗をかきながら目をそらすと、静御前はますます楽しそうに笑った。
***
季節は巡り、今は初夏。
とあるお方の屋敷で行われる蛍狩に招かれた静御前は、是非にと請われ舞を披露する事になっていた。
前日までの雨も上がり、うって変わって晴天の都大路を牛車で静御前と共に進んで行く。
——牛車って初めて乗った!
(当たり前だけど)
それに思いの外広い!
一人用かと思ったら二人用だそうで、二人並んで座ってもそこまで窮屈ではない感じ。
まぁ、乗るまでに色々あったんだけどね。
作法とか全然知らなかったし、最初は遠慮したんだけど
「今日はそなたも舞い手じゃ。
遠慮せずとも良い」
って静御前が。
そう。
今日の趣向は蛍狩り。
…なんだけど、静御前が用意したのは神楽鈴に檜扇、白衣、緋袴、それに千早。
巫女舞の正式な衣装一揃いだった。
「…コスプレ⁇」
「なんじゃそれは」
一揃い身につけた静御前は、とても似合うんだけど…いつものきりりとした出で立ちを見慣れているせいか、コスプレ感半端ない。
「そなたの衣装じゃぞ、これは。
私はいつもの水干に立烏帽子で、いわば男役。
そなたは無言の巫女役じゃ」
……むごん?
「それなら迂闊な事は話さずに済むであろう?」
——ソウデスネ。
「今日のそなたは『神よりお借りしてきた巫女』じゃ。
舞う以外は何もせずとも良い。
話すのも酌をするのも私に任せ、ただ座って居れば良い」
「しゃく…って、酌?」
「そうじゃ、まぁ気が向けばしてやっても良いがな、あの狸親父に」
唇を歪め、皮肉げな笑みを浮かべる静御前。
彼女のそんな表情は珍しい。
けど…
「…狸親父?」
「なんじゃ、言うてはおらなんだか?
今日の蛍狩り、私を呼びつけたのは我が父ぞ」
静御前…の、お父さん?
て、誰だっけ?
「まぁ、母様も正式な室ではないし、殊更吹聴してはおらぬがな。
我が父は後白河院ぞ」
——え?
……えぇっ⁈
「ご落胤、てやつ?」
「難しい言葉を知っておるの」
そんな話をしているうちに、迎えの牛車が到着。
静御前と私は後白河院の別荘へ向かったのだった。
広大な庭園にはり出すように作られた舞台。
辺りには篝火が焚かれ、夕闇の中、舞台が幽玄に浮かび上がる。
その舞台を目の前にして、今更ながら足が震えるような緊張にみまわれていた。
歴史上の高名な人物の前で、拙い舞を披露するプレッシャーときたら…。
しかも相方は当代きって舞の名手、静御前。
「緊張しておるのか?」
「あったり前!
緊張するなって言ったって無理~」
泣き言を漏らすと、静御前はひっそりと笑った。
「あんなもん南瓜か茄子じゃ」
——そりゃ、貴女にとってはそうでしょうけど!
「今日の為に、共に修練を重ねてきたではないか。
大丈夫じゃ、私だけを見ておれ」
またしても出たよ、静御前のオトコマエ発言!
***
結果から言えば、静御前と私の舞は後白河院を始め、名だたる方々に大好評だった。
静御前の凛々しさと、私の人形のようなミステリアスさ(緊張のあまり無表情だった)の対比が良かったらしい。
また、舞っている途中蛍が飛んできたのも、より幻想的で良かったお褒めの言葉をいただいた。
静御前のネームバリューのおかげか、父である後白河院の宴だからか。
無理に酌をさせられる事もなく、美味しい食事をいただいた後は、割とすぐ解放されて牛車にて帰宅の途についた。
「蛍、沢山いたね」
向こうでもこれ程沢山の蛍を見た事はない。
初めて見た蛍の群生に、もしかしたらテンションが上がっていたのかもしれない。
ワクワクした気分で静御前に話しかけたけれど、思いがけず沈んだ表情に息を呑む。
ふと思い出すのは先程の会話。
身体から勝手に魂が彷徨い出てきたのかと錯覚する程、それ程までに恋しい人に会いたいものか。
そんな恋をしているのかな…静御前は。
少し疲れたような顔をしている彼女を見つめていると、私の視線に気づいたのか静御前は曖昧に笑った。
「あれ程の蛍、あの一つ一つが我の魂であったなら、どこへなりと心のままに飛んで行けるのかと思うておったのじゃ」
静御前の独白は続く。
「九郎様を独り占めをしたいと、郷の方様より掠め取ろうなど思うた事はないと前に言ったな。
あれは嘘じゃ、半分はな。
先の短い私と違い、郷の方様はこれから先も九郎様と共に生きていける。
ならばほんの僅かな間だけで良いから、九郎様を独り占めしたい。
私だけを見てほしい。
そんな浅ましき事を考えてしまうような女子なのじゃ、私は」
…頭ではわかっておるのじゃ、そのような事考えても詮無き事と。
しかし、『想い』とは頭や理性ではどうしようも出来ないもの。
止めようと思って止められるものではない。
苦々しげに呟く静御前の顔は、いつになく心許なく途方に暮れているように見えて。
気がついたら、その手をギュッと握りしめていた。
そんな辛い恋をしている静御前に、恋をした事のない私がかけられる言葉なんてない。
それに上っ面だけの慰めや同意なんて、求めていない筈。
それでも、静御前は少しだけ微笑んで
「お静は報われぬ辛い恋などするでないぞ」
と言ってくれた。
「そもそも相手が居ません」
しんみりした雰囲気を変えたくて、わざと不貞腐れたように言ってみると、さらに笑ってくれた。
うん、今はそれでいいよ。
静御前が笑ってくれるんなら、それでいい。
でも……いつかは、身体から魂が勝手に彷徨い出てしまう程一緒に居たいと思える男性に、私も出会えるのかな?




