契約破棄された絵師
私は、公爵家令嬢カサンドラさまに才能を見出され、専属絵師として仕えてまいりました。
スピカと申します。
平民ですので、姓はございません。
カサンドラ様が失脚された後は、オレステス殿下直々に声をかけられ、宮廷絵師に召し抱えられました。
カサンドラ様が婚約破棄され、断罪された現場にもおりました。
あの日は卒業式とパーティの様子を描くよう、依頼を受けておりましたから…。
もちろん、カサンドラ様のドレスでバージンロードを歩くヘレナさまのお姿も描き上げましたとも。
地上に降りた天使もかくやの美しさでしたね。
正夫のオレステス殿下の背後に愛人たちを侍らせていらして、なかなか異色の結婚式でありました。貴族は重婚が許されていますが、同時に、ですからね。
それでも、王太子オレステス殿下とその侍女ヘレナ様の結婚は、身分違いのロマンスとして多くの国民に受け入れられました。
旧態貴族然としたカサンドラ様は、美しいが高慢で、湯水のように散財する令嬢。
ヘレナ様は王妃としての威厳は損なわないものの、質素倹約を公言する淑女。
そんなイメージが、庶民の中で広がっていったのです。
まあ、概ね間違っていません。金に糸目をつけない公爵家の専属絵師は、実入りの良い職業でした。
画材も資料も、好き放題経費で落とせました。
今のように、定収入で買える範囲の材料を仕入れるとなると、仕上がりに差が出るのはいたしかたありません。
どんな画材を使おうと、宮廷絵師の適正価格とやらで安く買い叩かれてしまいますからね。多くの同業者が路頭に迷いました。
私も、古い絵の具がきれたら、廃業しようと考えております。
絵の具同様、流行とはなくなるものです。
2年もすると、オレステス殿下とヘレナ様の人気にも陰りが出てきました。
貴族からも、平民からも、不満の声が上がっています。
冷夏と不作で、税金が上がったからです。
平民の生活は苦しくなりましたが、貴族は相変わらず狩りだ夜会だお茶会だと、贅沢三昧を続けています。
ヘレナ様が倹約をすすめることに難色を示したり、身分の低さを嘲笑ったりと、王太子妃離れが進んでおります。王太子妃贔屓の平民との間に、溝も生まれるというものです。
王太子は、かつてのご学友と頑張って両者の調定をなさっていましたが、焼け石に水とはこのことでございました。
王家など、貴族政治の傀儡であれば充分ですので、賢いオレステス殿下は貴族受けがあまりよくありません。
妾腹の弟パリス王子を次期王に担ぎ上げる勢力も、王太子の足を引っ張りました。
はっきり申し上げて、卒業式の茶番が行われた頃には、貴族制度は終焉間近だったのです。学や財力をつけはじめてきた平民が、貴族たちの癒着と腐敗に気がついてしまったのです。
この流れはうねりとなって革命軍が結成され、打倒王家の波がおこりました。なぜ、腐敗を貪る貴族ではなく、傀儡の王家に怒りの矛先が向かうのでしょうか。
革命を歓迎しつつ失脚したくない貴族が、革命軍とつながっているからですね。つまり、平民たちはまだ政治の実権を握れるほどには熟していない。貴族たちの口車に乗せられている面も、多々あるのです。
一介の絵師にすぎない私が、なぜこんな話に詳しいのかといえば、それこそ絵師だからでございます。
雇い主たちは、内緒話の現場に私がいることに頓着しません。絵師を置物かなんかだと思われているのでしょう。
ザルですね。私が隠密だったら、どうするんでしょうね。まあ、しがない絵師で間違いないですけど。
「あと3年くらい粘りたかったけど、限界だな」
ここは、王太子と王妃の客間。王宮前の広場が見渡せる美しい応接間でございます。
歴代の王太子一家がここで家族親族と語らい、友と過ごしたそうです。アンティークの調度品は全てが一流で、製作者の魂が込められているかのような逸品ばかり。
出自の低いヘレナ様には、なんとなく馴染まない風です。ご本人も馴染もうとしないというか。
部屋の中央にオレステス様、傍にヘレナ様が立ち、ソファに文官のホレイシオ様と侍祭のケイロン様が腰かけ、窓を背に武官のイアソン様が立っています。
「明日には、この城は革命軍に占拠されるだろう。皆、出立の準備は?」
革命軍からの、無血開城をこの王太子は呑むとおっしゃるのです。しかし、王家の足並みはそろっていません。
肝心の王が革命軍の殲滅を命令しているのですから。
近頃は給金が支払われたり、支払われなかったり、遅れたり。末端兵の士気など、失われて久しいのですが。
「そんなこと言ってるから、腰抜けって笑われるんですよ」
もともと細面ですが、さらに痩せて眼鏡がずり落ちそうなホレイシオ様です。今は、目ばかりがギラギラ輝いています。
「心外だなあ。これから父王を暗殺するのに」
オレステスさまが笑うと、ケイロンさまが鼻白みました。
「どちらが死んでも、葬式はわたしの役目だ。イアソンくんは、そこのホレイシオを連れて亡命してよ。まともな政治家と軍人がいないことには、革命後に滅んじゃうよ」
「やだね」
「やですよ」
未来の宰相と未来の将軍が、同時に首を振りました。
「王位を奪って無血開城したって、革命軍に処刑されるに決まってるじゃないですか。殿下がいない国など、侵略されようが滅ぼうが興味ありません」
ホレイシオ様がぼやくと、オレステス様とヘレナ様が目を合わせ、それから笑い出しました。
「らしくないじゃないか。いつからそんな忠臣になったんだい?」
ご夫婦というよりは、学生時代の友人然とした気安さです。
「もとから忠臣ですから。最後までお供しますよ。こちとら、婚約者と泣く泣く別れたんですから」
「うわー未練タラタラ」
「そもそも、貴女が王太子の影と付き合うから、こんなめんどくさいことになるんですよ。こっちは婚約者がいながら他の女にうつつを抜かした悪者扱いなのに、貴女ときたら本命ゲットでイチャコライチャコラ…」
「4大公爵家は革命軍と新興貴族にロックオンされてるから。なのに危機感ないから。ついでに散財と汚職も半端ないから。せめて婚約者だけでも守ろうって、辺境の修道院に亡命させようって、逆ハーレム設定考えたのアンタじゃん。あたしら利用されただけじゃん。この腹黒メガネ野郎」
えーと。実はヘレナさまは、とんでもなく庶民派でいらっしゃいます。
はい。顔面偏差値とお胸は立派なのですが、知性が、少々。あと、言葉遣いが、かなり。
「まあまあ。おかげで愛しい女性たちが息災なんだ。そこの絵師に悲劇の伯爵令嬢たちの絵もたっぷり描いてもらったから。国民は彼女たちの味方さ」
これは、驚きました。王太子殿下ともあろう方が、絵師などの功績を評価されるなんて。すると、ヘレナ様の視線が、ジロリとわたしを刺しました。
「巧すぎて、後味悪いんですけど?」
「婚約者のいる男たちを手玉にとった挙句、ライバルを全員修道院送りとは、全くひどい悪女ですよねー」
「黙れ、俗物神官。あんたがエウノミアーさまの絵姿に日日話しかけてることは知ってるのよ。あれは芝居でしたと土下座してらっさゃいませ!魔法使いになるまで守ってきた童貞が身の潔白を証明してくれますわ?」
「な、な、な、な、なにおう?!」
「まあまあ」
「イアソンくんはさっさとペンテシレイアさまを帰俗させちゃいなYO! もう、あの子騙すのやですよ。良心の呵責が半端ない」
「ペンテシレイアは当然の天使として、メティスとカサンドラに呵責はないのか?」
「メティス様には、ない! あの方、かなり初期に茶番に気がつかれてましたよね! 修道院にいながら、辺境伯と組んで軍備固めてるっつーか、独立準備してますよね? ホレイシオさま、トーゼン知ってますよね?」
「ん? なんのことかな」
「カサンドラ様には、もはや罪悪感しかないですよ。カサンドラ様の為に用意されたウエディングドレスをムリグリ着るとか。私、どんな悪女ですか。最高級の刺繍への冒涜ですよ。ベールで首吊りたかった…」
「えげつなー。フォローできねー…」
「初夜の床は、ちゃっかり本命ルシウスと添い遂げてるしな」
「しょーがないじゃありませんか! 純潔の証とらやらを提出しなきゃだったんですよ!しかも、オモテムキ5Pとか。爛れ切ってるにもほどがありますわ。あんたらのチン◯の具合なんか、興味ございませんわよ。あー、おぞましい!」
「…ほんと下品だね。君。残念美人にも限度がない?」
「下品で結構。ケイロン様の童貞」
「そこ、いらん情報だから!」
「まあまあ。僕もだから」
「貴方は、女好きを装ってカサンドラ様を害そうとする女性を排除してきたこと、そろそろゲロってらっしゃい! ついでだから、数多のハニートラップを解除してきた鋼鉄の自制心を自慢してさしあげてください!あの方、貴方が思うより貴方のこと好きですよ?!」
「はっはっはっ! まあ、ヘレナも愛しい影と逃げてよ。せいぜい囮になってもらいたいし。君たちも、奥さんたちによろしくね」
「だーかーらー、ひとりで責任被るな! 死のうとするな!」
その時、パリンとガラスが割れ、詰め寄るイアソン様の背後を、投石がかすめました。
投石機、というものでしょう。
外の風と怒声が部屋に入ってきました。
「あらら。思ったよりせっかちね」
ヘレナ様が剣を抜きます。
「革命軍なんて、憂さ晴らしの場だからな。略奪でもしなきゃ、士気を保てん」
背中合わせに、王太子の影ルシアスが現れました。
イアソン様も大剣を抜き、ケイロン様、ホレイシオさまも魔法陣を発動させました。
「困ったな。どうしてみんな亡命してくれないんだろう。王命なのに」
「今、あなたを置いて逃げたら、今度こそ本気でメティスに嫌われますからね」
「ホレイシオに同じく。清廉なエウノミアーから、汚物扱いを極められたくありません」
「君主の盾になることが騎士の務めだ」
「私、負けませんわよ? 全員生かして婚約者さまたちに返却するつもりですわよ? 」
「オレもだよ。愛しいヘレナ。まして、我が君主にひとりで良い格好はさせんよ? 」
「何が何でもカサンドラ様に再会させて、かっこ悪い姿をさらしていただきましょう!」
「賛成!」
「君たちねえ…しょうがないな。僕の不徳だ」
部屋中に魔法文字が浮かび上がり、白や緑に発光しました。眩しさに目を細めると、オレステス様が私の肩を掴んできました。
「さて。宮廷絵師スピカ。君との契約をここに破棄する。魔法陣の真ん中に立って。今から君を辺境伯の館に転移する。君の才能は辺境伯に売り込んである。はやくよこせとせっつかれていたんだけど…僕も惜しくてね」
キラキラと輝く瞳が、急激にぼやけます。
「今まで、ありがとう! 君の描く
カサンドラは僕の宝だ。どんな財宝よりも輝いていた。君の手は我が国の文化だ。どうか、君の人生に幸あらんことを…」
凛とした声が、優美な笑顔が、宙に溶けてゆきます。
痩せすぎなホレイシオ様も。
ケイロン様の白い法衣も。
鍛えられた体躯のイアソン様も。
喋らなければ絶世の美女なヘレナ様も。
王太子の影、ルシアス様も。
私を見て、微笑みを、祈りを、礼を、この私に向けられたのです。特権階級であり、その地位が風前のともし火である若者たちが、しがない中年の絵師を、戦いに巻き込まないように…。
「殿下! オレステス殿下!」
声の限りに叫びました。でも、この絵師の声が彼らに届くことはありませんでした。