第7話『追いつめられる知永子』
照矢との気まずい別れから一週間後のある放課後、知永子は進路指導室へと呼び出された。
「失礼します」
担任や学年主任、さらには日頃あまり接することのない教頭や校長までもが、一堂に顔を揃えている。
「とりあえず、座りなさい」
担任の強張った表情に、知永子は戸惑った。
「は、はい…あの…何なんでしょうか?」
「実は、今朝職員室のファックスにこんなものが送られて来てね…」
言いながら、学年主任が一枚の紙を差し出す。
3年A組の倉内知永子は淫乱な牝犬だ。
金をもらって男とセックスするのが大好きな公衆便所だ。
殴り書きのような文字で、そう書かれていた。
あまりに卑猥で悪意に満ち満ちた文面に、知永子は蒼ざめ、言葉を失う。
「もちろん、我々としては悪質なデマだと思いたいのだが…」
「どうやら一部の生徒達の間では、我が校の生徒らしき女性が男と、その…モーテルから出てくるのを見たという噂が真しやかに囁かれているらしくてね…」
「まさかとは思うが…」
「違います!!」
知永子は叫んだ。
「本当に?」
四人は、一斉に知永子へと目を向ける。その瞳にはどれも、猜疑の色があった。知永子は、針のムシロに座らされた気持ちで
「絶対に違います!!」
とあらん限りの声を張り上げた。
「本当に違うんです。わたし、わたし…そんなことしてません!!」
「まぁ君は成績も優秀だし、我々としても君の言葉を信じたいのは山々なんだが…」
「何でも、例の女性は自らを知永子と名乗っているらしいんだよ」
「解りません。でも、それはけっしてわたしではありません!わたしじゃないんです!!」
知永子は、涙ながらに訴える。あまりの屈辱に、このまま消え去ってしまいたいくらいだった。四人は顔を見合わせ、互いに気まずそうに咳払いした。
「とにかく、変な噂が立っていることは事実なんだ。気をつけなさい」
「はい……」
知永子は深く頭を下げて、進路指導室を後にした。混乱した頭のまま廊下を歩きながら、先日の不可解な電話のことを思い出す。
君は最高だったよ。
彼は、確かに性交渉を匂わせてきた。誰かが、知永子の名を語って売春をしているとしか思えない。
まさか、知香子が…!?
咄嗟に思いつくが、知永子は懸命にその疑惑を振り払おうとする。半分しか血が繋がっていないとは言え、知香子はこの世でたったひとりの妹だ。そんな彼女を疑いたくはない。しかも知香子とはつい最近、和解の抱擁をしたばかりではないか。
しかし、胸に突き刺さった魚の小骨のような疑惑の芽が、消え去ることはなかった。
〈知永子は苦しんでいた。知香子を、この世でたったひとりの妹を信じ切ることの出来ない自分自身に苦しんでいた。
まさか、それさえもが知香子の策略であるとも知らずに。〉
それから三日後、知永子は学校を休んだ。
自らに向けられた疑惑を払拭するためにも、今までと変わらず振る舞わなければいけない。そう思い頑張ってきたのだが、ついに心が折れたのだ。
何気ないクラスメート達の世間話でさえ、自分への中傷のように感じてしまい、ともすれば気が狂いそうになる。
知永子は追いつめられ、深い孤独の中にいた。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
リビングのテーブルで朝食のサラダをつついていた知香子が、澄江に尋ねる。
「今日は休みたいんですって」
「へぇ、具合でも悪いの?」
「さぁ…顔色はちょっと悪いようだけど、別に熱があるわけじゃないみたいなのよ。どうせ夜更かしでもしてたんじゃないかしら。全く…知永子さんにも困ったものよね。大人しい顔して我が儘ばかり言って…」
澄江は、心底呆れた口調で言った。
「ママ、そんなこと言わないであげて。お姉ちゃんが可哀想じゃない」
「本当に知香子ちゃんは優しい娘ね。知永子さんとは大違い。この際、知香子ちゃんの爪の垢でも飲ませればいい薬になるかも知れないわね」
心から感心したように言いながら、澄江は食事の済んだ皿を片しにキッチンへと姿を消す。
「…まだまだこんなもんじゃ終わらないから。言ったでしょう、この世に生まれたことを後悔するくらい徹底的にいたぶってあげるって」
ひとり残ったリビングで、知香子は知永子の部屋がある方角の天井を見上げながら呟いた。
同じ頃、照矢もまた悩み苦しんでいた。
あれから結局、知永子とは連絡さえ取れずにいる。知永子のことを信じたいと思うその一方で、どこかで彼女を疑ってしまう自分もいた。
そのお陰で、今も大学近くの喫茶店で提出期限の迫ったレポートに取り組んでいるのだが、いっこうに集中出来ない。
その時、たまたま隣りの席に座っていた女子大生同士の会話が耳に入ってきた。
「あらリエ、どうしたの?そのピアスって、前から欲しがってたシャネルのでしょ」
ショッキングピンクのボディコンに身を包んだ女が、友人らしき向かいの女に尋ねる。
「えへへ、買っちゃったの。ちょっとした臨時収入があったのよ」
向かいの女は、ピアスを見せびらかすようにワンレンの長い髪を掻き上げながら答えた。
「臨時収入って…何なのよ。まさか、あんた愛人しちゃったわけ?」
「いやねぇ…そんなわけないじゃない」
「じゃあ、何したって言うのよ」
「実はねぇ…高校時代の制服を売っちゃったの」
ワンレン女は、そっと声を潜める。
「えー!!何それ!?やっぱりオヤジ?」
「それがね、違うの。女子高生。何かうちの制服に憧れてるらしくって、五万も出してきたの。まあ、制服なんてどうせもう着ないし、相手も女の子だったし…だから売っちゃった」
制服…女子高生……。
ふいに、照矢の頭の中で何かが繋がる。弾かれたように、その場から立ち上がった。
「ねぇ、君が通ってた高校ってもしかしてI女子高校?」
女子大生の間に割って入り、問い詰める。
「な、何よ。いきなり」
「お願いだ!教えてくれないか!!」
驚いて目を見開くワンレン女に、さらに詰め寄った。
「…そ、そうだけど……。てか、あんた何な…」
「ありがとう!!」
言うが早いか、照矢は駆け出していた。呆然とするふたりを置き去りに、雑踏の中へと走り去る。
〈深い孤独の闇に追いやられていた知永子に、細いひと筋の光が訪れようとしていた。
しかし、それはその先に続く圧倒的な濁流の暗闇の中にあっては、ほんの気休め程度に過ぎなかったのである。〉
つづく




