第8話『初めての契り』
「どうかしたの?」
照矢が指定した喫茶店に現れた知香子は、心なしか頬のこけた彼の顔を覗き込んだ。
「ありがとう。来てもらえないんじゃないかと思っていたよ」
「まさか…このあたしが、照矢からの誘いを断るわけがないじゃない」
「だって…俺は君に対してあんなひどいことをしたんだ。断られたって、当然じゃないか」
「あら。あたしだって、貴方達に対してひどいことをしたわ。それこそ、自分で思い返してみても嫌になるくらい…」
「知香子……」
「あの時は絶対に許さないなんて言ったけど、今は違うわ。あたしは…ふたりに幸せになって欲しいの。だから、もし何かあるんだったら、相談に乗らせてちょうだい」
知香子は、言いながら照矢の手に自らの手を重ねる。
「あ、あぁ…。実は今、知永子とちょっと気まずい状態になってるんだ。知香子も知っているかも知れないけど、この前、知永子あてに変な電話があっただろう」
「えぇ…。でも、それはただの間違いだったんでしょう。それがどうしたの?」
「本当に、間違いなんだろうか…」
「えっ!?」
「だって…相手は確かに知永子って言ったんだろう。ただの間違いだとしたら、おかしいじゃないか。知香子、何か知ってるんだったら教えて欲しい」
言われて、知香子の表情が曇る。照矢は、その変化を見逃さなかった。
「なぁ、お願いだから教えてくれよ!」
「……あくまで噂よ。お姉ちゃんと同じ学校に通ってる友達が言ってたんだけどね、テレクラを使って売春をしている生徒がいるらしいの。その娘は、自分のことを知永子って名乗っているんだって…」
「そんな…」
照矢は、放心したように肩を落とす。
「あたしも信じたくなんかないわ。でも…確かにそうだとしたら、あの電話のことも説明がつくのよね……」
「知永子が売春!?まさか…そんな……」
照矢は、打ちひしがれて頭を掻きむしった。知香子は、彼の背中に手を回し
「お願い。たとえ…もしそれが真実だったとしても、お姉ちゃんのことを許してあげて……」
と囁いた。
今にも笑い出したくなるのを、知香子は必死で堪えていた。まさか、こうもうまくことが運ぶとは…。照矢を慰める振りをしつつ、心の中で知香子は盛大に高笑いしていた。
渋谷駅のハチ公前についた知香子は、辺りを見回した。
電話の相手は二十一才の大学生と名乗っていたが、周りにはそれらしき男が多過ぎて対象を絞り切れない。その時、ふいに肩を叩かれた。
振り返った知香子は、我が目を疑う。そこには、何と照矢が立っていた。
「照矢…、何でここに……」
驚きのあまり、声が震える。
何という偶然だろう。とにかくこの場をどう切り抜けるべきか、頭をフル回転させながら考えていた。
しかし、照矢は真顔で
「知永子ちゃんだろ?」
と言ってきた。
「えっ!?」
「ササキだよ、ササキ。『ラブコール24』で約束した」
「…どうゆうこと?まさか…でも、だって声が……」
「友達に頼んだんだよ。知永子って名乗ってる女子高生とアポを取ってくれってね。まんまと引っかかってくれたな」
「……」
「まさか、お前がここまで下劣なことをする女だったなんて…さすがに信じたくはなかったよ。なあ、知永子」
「お、お姉ちゃん!?」
照矢に呼ばれ、知永子が姿を現す。
「ひどいわ、知香子。信じていたのに…ひどいわ」
「……騙したのね、照矢…」
「騙した?騙したのはどっちだよ!!こんなことまでして知永子を貶めようとするだなんて、お前は本当に粘着質な変態女だな。過去一時期とは言え、お前みたいな女と付き合っていたことを、心底後悔するよ。俺の人生最大の汚点だ!」
照矢は、吐き捨てるように叫んだ。
「違うの!!照矢、あたし…あたし……」
すがりつこうとする知香子を手加減なしに突き飛ばし、知永子の肩を抱いた。
「知永子、行こう」
そう言って、くるりと踵を返す。その場にうずくまる知香子を置き去りにして、ふたりは渋谷の喧騒の中へと消えた。
「絶対に、このままじゃ済まさないからね…絶対に……」
涙で顔を歪めながら、知香子は低い声で呻いた。
「本当に…あれで良かったのかしら?」
「えっ!?」
「知香子のことよ…」
「仕方ないよ。いくら何でも、知香子があそこまでするなんて思わなかった」
「えぇ…」
「そんなことよりも、知永子のことを信じ切れず、疑ったりして済まなかった。どうか許してくれないか」
「別にそんなことはいいのよ。ただ…照矢から疑われていた時は、本当に辛くて哀しかったわ」
「本当に済まない。でも、これからは何があろうとも知永子を…知永子の言葉だけを信じるよ」
「照矢さん…」
「知永子…愛しているよ」
照矢は、知永子を強く抱き締める。それから、激しく唇を吸った。
「…照矢さん、照矢さん……」
「なぁ知永子…いいだろう?」
知永子の瞳を見据え、囁く。知永子は、震えながら頷いた。
「ね、ねぇ…」
「何?」
「わたし…初めてなの。だから、だから…お願いだから優しくして……」
「あぁ…もちろんだよ……」
その言葉とは裏腹に、照矢は荒々しく知永子を押し倒した。何かに急かされるように、ブラウスのボタンを外しにかかる。
「照矢さん……」
「知永子、ずっとこうなりたかった。もう…俺は自分を抑えられないよ」
照矢は、下着さえも引き剥がして知永子へとむしゃぶりついた。
「恥ずかしいわ…あっ、あぁ……」
「何を恥ずかしがることがあるんだ。まるで真珠のように決め細やかな白い肌じゃないか。知永子…綺麗だよ。この体を見れば解る。君は…一点の汚れもない、正真正銘の処女だ。あぁ、知永子…愛しているよ。君と俺は…ひとつになるんだ……」
「あっ…あっ……あぁ~!」
潤んだ瞳に頬を紅潮させ、知永子は照矢の背中に爪を立てる。
〈夕焼けに包まれ、部屋中が赤く染まった照矢のアパートで、ふたりは初めての契りを交わした。血みどろのようなその光景が、その先に待つ残酷な運命を暗示しているとも知らずに…。
知永子はただ、生まれて初めて経験する愛欲の波へと飲まれ、溺れていたのだ。〉
つづく




