第5話『裏切りのふたり』
待ち合わせの喫茶店に現れた知香子は、不気味なほどの明るさだった。戸惑う照矢を前に、メニューを広げる。
「あたし、アイスミルクティーにしようかな。照矢は?」
「コーヒー、ブラックで。それより、今日は大事な話があるんだ」
「あっ、そうだ。あたし、観たい映画があったの。後で上映時間調べようよ」
「ごめん…」
「あら、映画って気分じゃなかった?だったら買い物に付き合ってよ。そろそろ夏服が見たいの」
「悪いけど、話を聞いてくれないか」
「この前、パルコで可愛いサンダルを見つけたの。新しいワンピースも欲しいし…」
ふたりの会話は、いっこうに噛み合わない。
「なぁ、知香子。聞いてくれよ」
「そう言えば、照矢ってパンツとスカートだったらどっちが好き?あたし、これからは照矢の好みに合わせようと思ってるの」
「知香子!」
照矢は、堪らず声を荒立てた。
「何よ」
「お願いだから、俺の話を聞いてくれよ」
「嫌よ」
「えっ!?」
「嫌って言ったの。あたし、照矢と別れるつもりなんてないから」
「知香子…」
「あら、違ったかしら?」
知香子は、微笑みながら問いかける。しかし、目の奥はけして笑っていなかった。
「…お前には、本当に済まないと思ってるよ。でも、もう知香子とはやっていく自信がないんだ」
「嘘!お姉ちゃんが原因なんでしょ」
「済まない」
照矢は、テーブルに鼻を擦りつけるように頭を下げる。瞬間、知香子の表情が変わった。
「ふざけるな!」
知香子は、周囲の客達が振り返るほどの大声を張り上げた。荒々しく立ち上がり、両手で思い切りテーブルを叩きつけた。
「ふざけるな!!絶対に別れてなんかやるもんか。あたしの体を弄ぶだけ弄んでおいて、次が見つかったらポイだなんて、馬鹿にするのもいい加減にしろよ!!」
知香子は、人目も憚らず照矢を罵倒する。
「本当に、済まない…」
テーブルに頭を擦りつけたまま、照矢は繰り返した。その様子に、知香子はさらに逆上する。
「謝ってすむわけがないだろうが!!」
手近にあった小さなフォークを握り、力任せに照矢の手の甲へと突き立てた。慌てて止めに入ってきたウェイターに羽交い締めにされながらも、尚も口汚く罵り続ける。
「絶対に許さないから!!あの女と付き合ってなんかみろ。幸せになんかさせるもんか。地の果てまでだって追いかけてでも、お前らの仲を引き裂いてやる。それでも別れないって言うんなら、この手で息の根を止めてやる!!簡単には済まさないからね。この世に生まれたことを後悔するようなやり方で、徹底的にいたぶってやるからぁ~!!」
終いには号泣しながら、知香子は叫び続けた。
学校から帰り、部屋に入った知永子は小さな違和感を感じた。確か、朝そこを出た時には本棚にあったはずの参考書が、勉強机の上に置かれている。
「痛っ!」
恐る恐る参考書に手を伸ばした知永子の指先に痛みが走った。血が滴る。参考書に仕込まれたカッターの刃が、知永子の皮膚を切り裂いたのだ。
投げ捨てた弾みで、ページがめくられる。
その中身に、知永子はおののき、その場へとしゃがみ込んだ。目にしたのはほんの一瞬だが、それは脳裏にくっきりと灼きついてしまった。
死ね死ね死ね死ね死ね……
参考書をびっしりと埋め尽くす『死ね』の文字。その筆跡は、明らかに知香子のものだった。
「どうしたのよ」
いつの間にか、知香子が後ろに立っていた。
「ち、知香子…」
「何これ?」
知香子は参考書を手に取り、器用に刃を避けながらページをめくる。
「死ね死ね死ね死ね死ね……」
感情を全く感じさせない乾いた口調で、中身を読み上げた。
「や、止めて!!止めて、知香子!!」
両手で耳を塞ぎ、すっかり腰の抜けてしまった知永子に読み聞かせるように機械的に繰り返す。
「死ね死ね死ね死ね死ね……」
〈知永子への嫉妬に狂い、知香子は復讐の鬼と化した。
この先四半世紀にも渡る、壮絶な姉妹の愛憎劇の本当の始まりである。〉
「怖い…わたし、怖いわ……」
常軌を逸した知香子の言動に怯える知永子を、照矢は強く抱き締めた。
「大丈夫だよ。知永子には、俺がついてるから。何があっても知永子のことは俺が守ってみせる」
「でも…」
「知香子だって、いつかはきっと解ってくれるよ。とにかく、俺達はもう愛し合い始めてしまったんだ。どの道、出会う前に戻ることなんて出来やしないさ」
「…あなたは、知香子の恐ろしさを知らないんだわ。知香子が、こんな裏切りを許すなんて……とても考えられないわ」
知永子は、言いながら思い出していた。
天真爛漫と言えば聞こえはいいが、幼い頃から知香子は思い通りにならないことがあると、すぐに癇癪を起こす子だった。
欲しい玩具、飲みたいジュース、気に入った服…。ひとたび欲しいものを見つければ泣き叫び、暴れ、時には恫喝してでも手に入れてきた。
十六才になった現在も、その性根が変わったとは思えない。半分しか血の繋がりがないと判明した今、その思いはより強固なものになった。
「…じゃあ、知永子は俺と別れるって言うのかい?」
「それは嫌よ。わたしだって、あなたのことを愛しているんだもの。いくら知香子のためとは言ったって、別れるなんて出来ないわ」
「だったら、俺を信じて欲しい」
「え、えぇ…」
「知永子、愛してるよ」
「照矢さん…」
照矢は、知永子の顎にそっと指先を添える。そして、優しくそれを持ち上げた。知永子は、静かに目を閉じる。
その時、玄関のチャイムが鳴った。抱き締め合ったまま身を潜めていると、ヒステリックに繰り返される。やがて、それは激しいノックに変わった。
「出て来いよ!おい!出て来いよ!!いるのは解ってんだから、こそこそ隠れてんじゃないよ。このいくじなし!インポ野郎が!!」
「照矢…どうしよう」
「大丈夫だから」
照矢は知永子の肩を叩き、ひとりで玄関に向かった。意を決したように、ドアを開ける。
「照矢、会いたかったわ」
知香子は照矢にしがみつこうとしたが、ドアチェーンがそれを阻む。
「ねぇ、これを外してよ。中に入れないじゃない」
知香子は照矢を見上げ、懇願した。しかし、照矢は動かない。
「ねぇってば」
「ふざけるな!さっさと俺の前から姿を消せよ!」
「えっ…」
「聞こえなかったのか、さっさと俺の前から姿を消せって言ったんだよ」
「や、止めて…。お願いだから、そんなこと言わないで」
「うるさい!黙れ!!お前にはもううんざりなんだ。二度と顔も見たくない。さっさと失せろ。この粘着質なヒステリー女が!!」
そう吐き捨てて、照矢はドアを閉めた。
「照矢さん…」
「これでいいんだ」
照矢はさっきまでの続きをするように、知永子を抱き締めた。
「だめよ。外には知香子がいるのよ」
「構うもんか。聞かせてやればいいんだ」
次の瞬間、知永子は照矢に唇を奪われていた。知香子の悲鳴をバックグラウンドミュージックに、ふたりは初めての口づけを交わす。
つづく




