9.(Case3)侯爵家長男は婚約破棄を告げたい(2)(sideフィリア)
あたしがユリウスと話した婚約破棄の筋書きは、こんな感じ。
あたしが街娘に扮して、ユリウスがあたしに熱を上げているように見せかけ、人が集まっているところで、アデーレに『婚約破棄』を告げて、皆に幻滅される、というもの。
あたしは街の酒場の主人に「記憶をあやふやにする魔法」をかけて、「遠縁の親戚の娘が勤めに来た」という内容を吹き込んだ。酒場の二階の宿屋部分に一部屋もらって、荷物を持ち込む。
――これからしばらく酒場の娘生活!
ユリウスが来るまでの数日、あたしはしっかり働いて、お店に馴染んだ。
「乾杯!」と煌めく琥珀のグラスがぶつかる音が賑やかな店内は、居心地がいい。
「体調は良くなった?」
気づかれないようにユリウスの部屋を見舞うと、彼は以前より赤みが戻った顔でうなずいた。
「仕事にも慣れてきたから、そろそろお店に遊びに来てよ。まずは出会いからね」
そう言って手を振った。
その翌日、ユリウスはお店にやってきた。深い紺の上着に、目立たない灰のマント。背は高いけれど、少し頼りなげなユリウスの姿に目を細めて、あたしはお盆を抱えて駆け寄った。
「いらっしゃいませ~」
賑わう酒場を背景に笑むと、ユリウスは目を瞬かせた。
「――フィリア――だよな?」
「今は『リア』よ」
酒場の娘としての名前は『リア』にした。
明るくて、ちょっとだけ生意気で、でも世間の風を正面から受けて笑っていられる、そんな女の子の設定。髪色は金茶にして、三つ編みに。そばかすを少し散らして、頬に健康そうな赤みを魔法でのせる。胸元の開いた生成りのブラウス、黒のコルセットスカート、動きやすいエプロン。見た目は大事だ。
「旦那様っ、こちらへどうぞっ」
語尾に音符をつけるような明るい調子で、ユリウスの手を引く。
なんだかあたしも面白くなってきたわ。
「何になさいますかぁ? やっぱり最初は麦酒?」
ちょっとやりすぎなくらいに大袈裟な口調にしてみたら、ユリウスが口元をおさえた。
「――麦酒をもらおうかな……」
――笑いを堪えているみたい。
あたしはちょっと調子に乗って、ユリウスの肩に手を回して、お盆を片手に色気がありそうなポーズを決めて、ウィンクも足してみた。
「たくさん注文してくださいねっ」
「くっくくく」とユリウスは耐え切れなくなったように噴き出して、頭を抱えて、ぼそっと呟いた。
「ちょっと、やり過ぎじゃないか……」
噴き出した彼に満足して、あたしはお盆を下ろすと、ワントーン低い普段の声でつぶやき返した。
「……これくらいでいいのよ」
それから、また笑った彼のグラスに、医学研究所勤務のクラリッサにもらった血の巡りがよくなる薬を混ぜた水を注いだ。麦酒に見えるよう、魔法で色を変えてある。病気の体にお酒はあまり飲ませない方がいいものね。
それから何日も、ユリウスは続けて店に来た。
あたしはユリウスの席に長居して、いろいろな話をした。
「リア、君はどこから来たんだい」
「北国よ。とっても寒いところ」
これは本当。あたしがすごく小さい頃にいたところはとっても寒かった。
「――旦那様は、寒いのは苦手?」
そう言って、ユリウスの手に自分の手を重ねる。
ユリウスは少し身体を強張らせてから、棒読み気味に言った。
あたしが考えたセリフだ。
「寒いのは苦手だよ。寒い夜は君が温めてくれれば最高だな」
そしてあたしの腰に手を回すと、小声でつぶやいた。
「さすがに、気持ち悪くないか、このセリフ」
「気持ち悪いくらいでちょうどいいじゃない?」
あたしは笑うと視線を流した。
奥の席に、こちらを見つめる男性二人組がいる。
――ユリウスの家の使用人だ。
家を連日抜け出す彼を怪しんだ父親が後をつけさせたのかしら。
「ねえ、見られてるわ」
二人組に視線を流してから、わざと聞こえるように言った。
魔法で声を彼らのもとに流す。
「旦那様、今日はあたしの部屋に来てくれる?」
ユリウスと一緒に店を出ると、彼の外套の袖を引っ張って、裏口の階段へ誘った。
しっかりと見られているのを確認して、ユリウスを仮住まいの部屋まで連れてくる。
「今夜は朝までここにいて、朝帰りしてね」
そう言うと、ユリウスは外套を脱いで、苦笑した。
「明日には、確実に父上に問いただされるだろうな」
「そうしたら、ちゃんと、酒場の『リア』に恋をしてしまったんだ! って言ってね」
ベッドに腰掛け、横に座ってと隣をたたいた。
「ずっと立ってる気? 狭くて、ここしか座る場所ないわよ」
そう言うと、ユリウスは少し躊躇しつつも腰掛けた。
「……じゃあ、失礼」
「――婚約破棄したら、どうするつもりなの? 家督を弟さんに継いでもらって、あなたはどうするの?」
「――家は出ようと思う。それで……」
少し考えるように首を傾げてから、ユリウスは前を見据えて言った。
「船に乗るんだ」
「船?」
「そう。俺は遠くに行ってみるのが夢だった。広い海や新しい土地を見てみたい。――今、街では船員を募集しているだろう」
確かに街中では『船員募集』の広告をよく見る。
新しい土地や仕事を海の向こうに探しに行こうとする人たちが今はたくさんいるみたい。
――けど。
「――ああいうのって、きつそうよ。狭い船内にぎゅうぎゅうに乗って、食べ物だって、いいものなんか食べられないし。あなたの身体じゃ、無理じゃない?」
そう言って眉を顰めると、ユリウスは苦笑した。
「君ははっきり物を言うね。――無理だとは思うけれど、家を出たら俺なんてただの病弱で何もない人間だ。一回くらい、やりたいことに挑戦して散りたいね」
「――死にたい、というように聞こえるけれど」
「結果、死んでも別に構わないって感じかな。今のまま、役立たずで、死んだように生きていくより、ずっといい」
「……『役立たず』なんて、言うもんじゃないわ。あなたの婚約者のアデーレだって、弟さんだって、あなたのことを心配しているでしょう」
あたしは、ユリウスの部屋に見舞いに来る二人の姿を思い出した。
婚約者のアデーレと弟のエドガーは、別々に、時に連れ立って食べ物や小説や、そんな差し入れを持ってユリウスの部屋を訪ねていた。




