8.(Case3)侯爵家長男は婚約破棄を告げたい(1)(sideフィリア)
ソフィアとクラリッサの婚約破棄に立ち会って、あたしは、これはあたしの仕事としていいんじゃないかなって思ったの。
昔……師匠がいたころは、まだ薬や占いなんかを求めてお客さんが訪ねてくることはあったけれど、今はみんな魔女の存在なんて信じなくなっちゃったし。あたしは魔法は好きだけど、薬を作ったりなんかは苦手で、向いていないし。
人間じゃないあたしは、人間と《契約》で関係を結ぶことでこの世に存在し続けられる。
《契約》っていうのは、人間の願いを叶えて、対価に何かをもらうという一連のやりとりのこと。
あたしは人間みたいに親から生まれたんじゃなくて、あたしと同じような存在の主人の下働きとしてこの世に生み出された。
あたしのその元主人は、人間の欲望を叶える《契約》をして生きてたけど、結構そのやり方がドロドロしてて、あたしはやりたくなかった。
――それでクビにされて、途方に暮れてたところを師匠に助けられたんだけど。
婚約破棄をしたい人を助けて、そのお礼に何か対価をもらうっていうのは、あたしに向いてるんじゃないかなって思ったの。
――でも、問題は『お客さん』をどう見つけるかってこと。
クラリッサはソフィアの知り合いだったけれど、知り合いの紹介ばかりじゃ限界があるし、そんな近場で婚約破棄が多発してたら、変に思われるでしょう?
ソフィアやクラリッサが『魔女』って疑われて、嫌な目に遭うのも嫌だし。
そこで、思いついたのが、『婚約破棄された公爵令嬢の涙をぬぐうのは、隣国の氷の王子』の本に、自分の印を刻むこと。
二人ともこの本を読んで、『婚約破棄したい』って思ったみたいだから、同じような人を捕まえられそう! って思いついた。
あたしの元主人も、いろんなところに自分の印を刻んで、悩んでいる人を捕まえてた。
本を開いた人が悩みを呟いたら、あたしにわかるような魔法をかけて回ったの。
あたしはダレス王国の街の書店を回って、こっそり『婚約破棄された公爵令嬢の涙をぬぐうのは、隣国の氷の王子』に魔法をかけて回った。
――それからしばらくして、早速、あたしの耳飾りからつぶやきが聞こえたわ。
『こんな風に婚約破棄ができたら……』って。
でも、驚いたのは、そうつぶやいていたのは、どこかの令嬢ではなくて、貴族の令息だったのよ。
◇◇◇
――呟きの主の名前は、ユリウス=ランゼル。
ランゼル侯爵家の長男で跡取り息子。
あたしはそのつぶやきの場所を感知できるから、そこまで飛んで行ったわ。
ユリウスは寝間着姿でベッドに横になり、考え込むような表情で小説を見つめていた。
端正な顔立ちだが、顔色は青白く、人形のような雰囲気があった。
「こんばんは」
姿を消して窓から部屋に入り、一人でいるところに話しかけた。
「――誰だ?」
「あたしは、魔女のフィリア。あなた、『婚約破棄ができたら』ってつぶやいた?」
聞いてみると、ユリウスは一瞬大きく青い瞳を見開いてから、笑った。
「魔女――ね。こんな夜更けに、こんな美女が急に姿を現すなんて、魔女か、悪魔しかいないだろうな」
「口が上手ね」
あたしは微笑んだ。とりあえず話はしてくれそう。
怖がられたり、騒がれたりするようなら記憶を消して逃げようと思ってたけど。
「確かに、呟いたよ。『婚約破棄ができたら』って」
「――あなたの婚約者に、何か問題があるの?」
「そういうことじゃない。俺の婚約者のアデーレは、文句のつけようのない婚約者だよ。――俺は、この小説の王子みたいに、彼女に婚約破棄を告げたいんだ」
小説を持ち上げて見せたユリウスに、あたしは首を傾げる。
「王子って――、主人公と婚約しているのに、したたかな男爵家令嬢に心移りして、主人公に婚約破棄を一方的に言い渡す王子のこと?」
「ああ。そして、最終的に王族の地位も失う王子だ」
「それはまた――新しいパターンね」
あたしは眉間に皺を寄せた。
今までの婚約破棄希望とは、違うパターンで来たわね。
「『新しい』というのは?」
「あたし、今まで、二件の婚約破棄を成立させたわ。それは二件とも、その小説で言えば、主人公側からの依頼だったけれど」
「――君は、婚約破棄の依頼を聞いてくれるのか?」
「ええ。対価と引き換えに、望む形で婚約破棄を演出しているわ」
「――対価、とは?」
あたしは首をひねった。この人は、お茶会とかはやらなさそうな感じ。
何がもらえるかしら。
「珍しいお菓子とか、お茶とか――そういうのがいいわ」
「……命とかそういうんじゃないんだな」
「ええ。命なんてもらっても、仕方ないもの。……食べられないし」
あたしが言うと、ユリウスは笑った。
「ずいぶん、食い意地がはっているんだな。――葡萄酒は飲むか? うちの領地の名産だ」
「――甘いのがいいわ」
あたしは頷くと、ユリウスの寝ているベッドサイドの椅子に腰かけた。
「事情を教えてくれる?」
◇◇◇
「俺には母親違いの弟、エドガーがいる。家督相続権は今は俺にあるんだけど、俺はエドガーに家督を継いでもらいたいんだ。俺の婚約者のアデーレも、俺よりもエドガーに好意を持っている」
「それで、アデーレに婚約破棄を告げたいってこと?」
「そうだ。この小説の王子みたいに、大勢の前で大袈裟にそんなことをしでかせば、父上もさすがに俺を勘当でもするんじゃないかと思ってね」
ユリウスは本を持ち上げて笑った。
「これは、巷で流行ってるって、寝込んでる俺にアデーレが差し入れしてくれたんだ。――それで王子が婚約破棄を告げる場面を読んで、ピンときたんだ」
「で、『こんな風に婚約破棄ができたら……』って、呟いたのね」
あたしはうなずいてから、首を傾げた。
「どうして弟さんに家督を譲りたいの?」
ユリウスは言葉に詰まったように黙って、自分が横たわっているベッドを見つめた。
それから、少し震えるような声で、静かに言葉を選んだ。
「……見てのとおり、俺は病弱で執務もままならないしね。エドガーは健康だし、俺よりも頭がいい。領地やアデーレにとっても、エドガーが継いだ方がいいに決まってる」
「あなたは――病気なの? 顔色が青いけれど」
「『蒼息症』だ。いったん発作が起こると、苦しくて、顔が真っ青になる。これでも大分顔色が良くなってきたんだ。しばらく前まで、真っ青だったんだよ」
ユリウスはそう言って笑ってから肩をすくめようとして――ひゅっと変な音の呼吸をして首をおさえた。顔色がどんどん青くなり、呼吸が浅くなる。
発作!
「薬を……」
ユリウスがベッドサイドの棚に手を伸ばしたので、あたしは瓶に入った薬と、水を渡した。
ごくっと薬を飲んでしばらく呼吸を整えてから、ユリウスは冷や汗をぬぐって笑った。
「――生まれた時からだ。寝込むけど、死なないからね。周りを困らせてばかりで性質が悪い。いっそ死ぬような病気だったら悩まないんだけど」
苦しいだろうに微笑む姿が、記憶の中の師匠と重なった。
師匠はどんなに困っていても笑う人だったっけ。
あたしはユリウスの手を握った。
「……あなたは優しい人ね」
「優しさではないよ。俺は、無責任に逃げたいだけだ」
ユリウスは視線を落とした。あたしは彼の肩をたたいた。
「いいわ。あなたの『婚約破棄』を演出しましょう」




