5.(Case2)医学研究所の助手令嬢の案件(1)(sideフィリア)
ソフィアの家のお茶会に招かれるようになって、しばらく経った。
忍び込むのにちょうどよいお茶会を探さなくて済むのは、とっても楽。
肩の力を抜いて、美味しいお菓子とお茶を楽しめるのって最高ね。
「フィリア様、お会いいただきたい方がいるのです」
いつもは雑談するだけのソフィアが今日は改まった様子。
あたしは首を傾げた。
「クラリッサお姉様――兄のお嫁さんの妹なのですが、昔から私の実のお姉様のような方です。――お姉様はすごい方で、大学の医学研究所の助手をしているの」
自分のことのように得意げに話すソフィアに、あたしは目を細めた。
けれど、ソフィアは少し視線を落とした。
「私、クラリッサお姉様にフィリア様のことをお話ししたんです。そうしたら、あなたにお会いしたいと――会っていただけますか?」
「いいわよ。暇だし」
あたしが頷くと、ソフィアはぱあっと顔を輝かせた。
◇
「クラリッサ・フェデルと申します」
ソフィアに連れられて来たのは、淡い藍色のドレスを着た、落ち着いた雰囲気の令嬢だった。背筋がすっと伸びていて、思わずあたしの背筋まで伸びちゃう。
「――ソフィアの『婚約破棄』を演出したのは、あなただとお聞きしました」
あたしは頷いた。婚約破棄を『演出』ってなんだかいい表現ね。
舞台演出みたいで格好いいんじゃないかしら。音の響きが気に入ったわ。
「そう。あたしが演出したの」
あたしは気に入ったその表現を繰り返した。
クラリッサは思いつめた表情で話を続けた。
「私も、婚約者に『婚約破棄』を言わせたいのです」
唇を噛みしめて、クラリッサは端的に状況を語り出した。
「私は医学研究所で助手をしています」
クラリッサの声はわずかにかすれ、細い指がカップを強く握った。紅茶の表面が揺れた。
「……ですが、婚約者であり上司でもあるギルベルト様は、私の研究を自分の功績として発表しようとしているのです」
ソフィアが横からあたしの手を握った。
「クラリッサお姉様はとても聡明で、研究も素晴らしいの。だから……あんな人にお姉様の研究を奪われるのは、嫌なんです」
クラリッサは小さく拳を握って、あたしを見つめる。
「私は影として生きるつもりはありません」
彼女は視線を落とす。
「けれど、私から婚約破棄を告げれば、研究所からも家族からも見放されるでしょう」
また顔を上げたクラリッサは、灰色の瞳を潤ませてあたしを見つめた。
「だから――彼の口から、“婚約破棄”を言わせてほしいのです。どうか、力を貸してください」
あたしは頬に指を当てると考えた。
――医学の研究所なら、あれがあるかもしれない。
「香薬糖って、手に入るかしら?」
香薬糖は香料や薬草を煮詰めて固めた砂糖菓子で、高価な薬だ。
薬だけど、ちょっと刺激のある甘さがおいしい。
あたしの師匠が昔よく作っていたので、あたしにとっては家庭の味的なものなのだけれど、あたしは自分じゃ作れない。
「……え、ええ。あります」
クラリッサは少し困惑したようにうなずいた。
あたしはにっこり笑った。
「じゃあ、成功したら、それを分けてもらえるかしら?」
◇◇◇
あたしはクラリッサと婚約者のギルベルトの様子を見るために、王都外れにある王立医学研究所を訪れた。姿を消し、出勤するクラリッサの後をついていく。
薬草の薬効を研究するクラリッサの研究室に入ると、師匠の部屋を思い出して、あたしは大きく息を吸った。研究室に並ぶのは、数百種類の瓶詰めの薬草。
動きやすい簡素なドレスの上に白衣を羽織ると、クラリッサは、その中からいくつかを取り出して複雑に混ぜ合わせ、入院患者のいる病棟に持っていった。
看護師と一緒に外傷患者の包帯を取り、傷の様子を丁寧に観察して記録をとると、薬を塗布する。それを何人も何人も繰り返していく。
「退屈ではないかしら」
研究室に戻ると、クラリッサは姿の見えないあたしに話しかけるように呟いた。
「いえ、興味深いわ。あたしは短気で、地道に何かをすることが苦手で、師匠によく怒られていたの。――あなたは、すごいわね」
昔を思い出しながらそう言うと、クラリッサは照れたようにはにかんだ。
その時、カツカツカツ! と大きな足音が響いて、研究室の扉がガチャリ! と不躾に開いた。クラリッサの表情が曇り、強張った。
「やあ! クラリッサ。僕の聡明な婚約者は朝早くから熱心だね。感心、感心」
銀縁眼鏡をかけた白衣の男が入ってくる。
「――ギルベルト様」
ギルベルト・ハインツ博士。この研究所の研究員で、クラリッサの上司兼婚約者だ。
今回、『破棄』を言わせたい相手。
ギルベルトはクラリッサの強張った様子を意にも留めず、彼女に近づくと、頬に手を触れ、微笑んだ。
「来週の症例発表会の準備は順調かな?」
「……はい」
クラリッサは戸棚から資料の束を取り出すと、机に並べた。
――この資料は、全部クラリッサが書いたものね。
「研究所所長のエルマー博士もご出席される。打ち合わせを入念にしておきたい」
ギルベルトはにこやかに笑いながら、平然と続けた。
「論文の表紙は僕の名でまとめておいたよ。君の努力は僕が責任をもって世に出すから、安心してくれていい」
ギルベルトはクラリッサの耳元に囁いた。
「研究成果が評価されれば、僕は主任研究員に昇格だ。そうしたら、君との結婚式の準備を進めよう。頼りにしているよ。クラリッサ。僕をずっと支えてくれ」
「……はい」
クラリッサは拳を握りながらうなずいた。手の甲に筋が浮かび、灰色の瞳に、耐え難い悔しさが一瞬だけ閃いた。
――うん。『舞台』はその『症例発表会』ね。




