4.(Case1)最初の婚約破棄の請負(sideフィリア)
『遊び人』の婚約者と婚約破棄したい――そう語るピンクのドレスの令嬢の名前は、ソフィア。お茶会が催されているこの男爵家の令嬢だ。
「私の婚約者のレイモンド様は、舞踏会に城下町の町人の娘を連れ込むの。――『僕の本命は君だよ』なんて囁いて。私のことは形だけの妻にするつもりなんです。愛してなんかくれないわ」
お茶会の会場の隅の机に二人で腰掛ける。タルトにフォークを突き立てて、ソフィアは瞳を潤ませた。
「けれど、親の決めた婚約者だし、私から『破棄したい』なんて、言い出せなくて。お父様もお母様も、レイモンド様はハンサムだし、若いときは多少の遊びは仕方がないなんて言うのよ」
「それはお気の毒に。じゃあ、その『レイモンド様』に、みんなの前であなたに婚約破棄を言わせたらいいかしら。あの小説みたいに?」
「……そんなこと、できるんですか?」
焼き菓子を魔法で浮かせて口まで運ぶと、微笑んだ。
「あたしは、魔女よ。対価をくれれば、願いを叶えるわ」
「対価……」
唾をごくりと飲んだソフィアを見つめる。
「あたしをあなたのお茶会に定期的に招待してほしいの」
◇
それからしばらく。あたしはソフィアの婚約者のレイモンドの動向を探った。
侯爵家の嫡男、レイモンド・ハーヴェス。
確かに背が高くて、顔の良い男だった。
街のカフェによく顔を出し、商家の娘を口説いては持ち帰っている。
そんな彼の本命は、カロリーヌというカフェの給仕の女の子。
「僕は結婚するけれど、婚約者はつまらない貴族の令嬢だ。僕の本命は、永遠に君だよ、カロリーヌ」
彼女の腰に手を回し、よく回る舌でそんなことを囁いている。
「今度、夜会があるんだ。君をみんなに見せたいから、僕と踊ってくれないかい?」
「いいわね。あなたの気取った婚約者様を見てみたいわ」
カロリーヌはカロリーヌで、くすくすと笑って返している。
……ソフィアが『気取った』令嬢なら、あなたたちは『下品』じゃないかしら。
あたしはそんな会話を聞きながら、コーヒーを一口飲んだ。
最近流行っている飲み物だけれど、あたしは紅茶の方が好きだわ。
けれど、『場所』は決まったわね。その夜会にしましょうか。
◇
レイモンドがカロリーヌを呼んだ夜会の日。
あたしは魔法で姿を消して、カロリーヌの部屋に忍び込むと、彼女が来るのを待った。
「……誰!」
夜会へ行く身支度のため部屋に入ってきた彼女と目を合わせて微笑む。
カロリーヌの瞳に映ったあたしの瞳が、赤く光る。
――意識を奪う魔法をかけたのだ。
カロリーヌはその場に崩れ落ちた。
あたしは彼女をベッドに寝かせて、姿を消す魔法をかける。
次に目を閉じて開ければ――あたしの姿はカロリーヌと瓜二つになっていた。
そのままドレスに着替えると、彼女の香りと同じ香水を鏡台から選んでひと吹き。
――これで完成。
あたしはそのまま馬車に乗り、何食わぬ顔で夜会会場のレイモンドの屋敷へ向かった。
門番に名前を名乗ると、彼はレイモンドを呼びに行った。
そしてレイモンドが直々に、カロリーヌに化けたあたしを迎えにくる。
――ソフィアだって、会場にいるはずなのに、堂々と浮気相手の街娘を迎えに来るなんて、どうかしてるわね。
「今日も綺麗だよ、カロリーヌ」
中身があたしであることには全く気付かず腰に手を回してくるレイモンドに寄りかかって微笑むと、あたしは手に持っている本を見せた。
「――それは、最近街で流行ってる本だよな――?」
「ええ。『婚約破棄された公爵令嬢の涙をぬぐうのは、隣国の氷の王子』ですわ。レイモンド様はお読みになったことはあって?」
「そういう本は僕は読まないよ。けれど、内容は知っている。――王子が婚約者に公衆の面前で婚約破棄を告げるんだろう? そして破棄された令嬢は隣国の王子に愛される――と。タイトルだけでだいたい内容が想像できるじゃないか」
「あらすじはそうですけれど。大事なのは細部ですわ」
あたしは微笑んだ。
「世間の人たちは、婚約破棄された令嬢に感情移入するそうですけれど。私は、王子とその恋人に自分を重ねてしまいます」
「――それは、どういう意味だ?」
「だって、決められた婚約者がいたって、二人の気持ちは止められなかったんですもの。婚約破棄を口にできた王子は、とても男気があって英雄のよう――素敵だと思いましたわ」
あたしは瞳を潤ませ、いかにも恋する女らしくレイモンドを見上げた。
「……カロリーヌ……」
「――ええ、もちろん、私はレイモンド様の奥様になれないことくらい、わかっています。あなたは、すました貴族のご令嬢と結婚してしまうんですものね」
そう言って涙を溜めて見つめると、レイモンドは困惑したように視線を泳がせた。
あたしたちは腕を絡ませたまま、会場に入った。
堂々と浮気相手を連れてくるレイモンドに、会場の視線が集まる。
あたしは集まる視線の中にソフィアのものを見つけ、目を合わせた。
ソフィアは強張った表情であたしを見つめている。
事前にカロリーヌに化けて行くとは伝えていたものの半信半疑なのだろう。
にっこりと彼女に微笑むと、ソフィアは意を決したようにうなずいて、あたしたちの前へとやってきた。
あたしは風を起こして、楽団の譜面を床に落とした。
会場に流れていた曲が止まって、人々が騒めいた。
――そこに、ソフィアがつかつかとやってきて、レイモンドを見つめた。
「――レイモンド様、そちらの女性はどなたですか?」
今までに婚約者に問い詰められたことなどないレイモンドは、眉間に皺を寄せた。
曲の止まった会場で、招待客たちの視線があたしたちに集中する。
ソフィアはさらに問い詰めた。
「どうしてあなたと腕を組んでいらっしゃるのですか? どちらの家の方ですか?」
あたしは、レイモンドの腕にぎゅっとしがみつくと、囁いた。
「レイモンド様。私のために、英雄になって――」
レイモンドの体に力が入った。
「――ソフィア。彼女はカロリーヌ。僕の……」
一瞬言い淀んだレイモンドは、周囲をぐるりと見回し、それからあたしを見た。
集まる招待客の視線が彼の虚栄心に火をつけたのがわかった。
自分より家格の低いソフィアに、人前で問い詰められるなんて、彼のプライドが許さないはず。
「僕の今日のダンスの相手だ。ソフィア、君の聞き方は、とても不躾だよ」
ソフィアは唇を噛んで、けれど、あたしを見つめると勇気を出すように一歩足を前に出した。
「レイモンド様。私はあなたの婚約者ですよ。あなたのダンスのお相手を確認する権利はあるはずです」
「ちっ」とレイモンドは舌打ちをした。
あたしは彼に囁いた。
「レイモンド様。私のために――はっきりとご決断を」
あたしの声に誘われるように、レイモンドはソフィアを指さして叫んだ。
「――ソフィア! 君との婚約は破棄する!」
まるで小説の場面を再現したような光景に、周囲はざわざわと騒めいた。
レイモンドは、肩で大きく息をして、あたしを見つめた。
あたしは彼の背中をさすって微笑んだ。
――よく言ってくれたわね。あなたは、見事に悪役をやってくれたわ。
ソフィアに視線を移すと、彼女はあたしと目を合わせて、少しだけ笑った。
「レイモンド様――私、とても嬉しいですわ。二人でどこか、静かな場所へ行って、お祝いをしません?」
そう囁くと、大舞台に興奮した様子の彼は大きく息を吐いて、うなずいた。
あたしたちは、ざわめくホールを背にして扉を出る。
物陰に行ったところで、あたしはレイモンドに囁いた。
「お疲れ様」
そうして、彼の意識を一瞬奪うと、カロリーヌの姿を解いて会場を去った。
◇
その後、レイモンドはカロリーヌの家を訪ね、「何故あの場に僕を置いて去った」と問い詰めたものの、目覚めたカロリーヌに「私は会場へ行っていないわ。それに、あなたの正妻になりたいなんて、一度も言ってないでしょう?」と追い返されていた。
双方の話に食い違いがあるけれど、そんなことは噂話には関係ない。
「まあ、どうでもいいさ。レイモンドはあの場で確かに言ったんだ。ソフィア嬢との婚約を破棄するって」
「まったく、流行の小説の場面を真似するなんて、どうかしてるよ」
「自分に酔っていたね」
「レイモンドを問い詰めたソフィア嬢の毅然とした姿は、素晴らしかったな」
「いい奥様になりそうなのに、カフェの給仕を選んで婚約破棄するなんてねえ」
現実に大勢の前で起こった婚約破棄は、格好の話題になり、町中がレイモンドの話をするようになった。
◇
「フィリア様、正式にレイモンド様との婚約話はなくなりました。お父様もお母様も、『あんな分別のない男だとは思わなかった』と」
翌月開催されたソフィアの家でのお茶会。
正式に客として招かれたあたしは、彼女とテーブルで向かい合いながら、紅茶をひと口飲んだ。
「良かったわね」
ソフィアはにこにこと笑った。
「あとは、『隣国の氷の王子』様のような、私を愛してくれる方と出会えたら嬉しいけれど」
あたしは苦笑した。
「それは――自分で頑張ってね」
それからふと思い立って、「ああ、でも」とハンドバッグから組紐を取り出した。
「これはね、私が編んだ良縁のお守りよ。良かったら――」
「欲しいです!」
あ、食いついた――。
あたしは笑った。対価はどうしようかしら。
お茶会で飲んだ、あの隣の国の薔薇の紅茶。美味しかったから、取り寄せてもらえるかしら。
「良縁があるといいわね」
あたしがそう言うと、ソフィアは頬を赤くしてはにかんだ。
「フィリア様のお守りなら、効果がある気がします。――良縁を掴めるよう、頑張ります」
うん。涙よりそっちの方がずっといいわ。




