3.巷では『婚約破棄』がブームらしい(sideフィリア)
あたしは魔女のフィリア。人間じゃない。もう百年以上は生きている。
わけあって行き倒れていたところを、人間のお師匠様に拾われ、世話をされた。
ダレス王国の森深くの一軒家に一人暮らしをしていたお師匠様は、周辺の人たちに『魔女』と呼ばれていた。
お師匠様がいたころは、まだまだ世間の人たちは魔女や魔法使いを信じていて、薬草や占いを求めて森の奥深くまで訪ねて来たけれど――今では誰もやってこなくなってしまった。
「甘いものが食べたいわ……」
キッチンで空になったお菓子の瓶をひっくり返して、あたしは底に溜まったクッキーの粉を指につけて舐めた。ひもじい。
「焼き菓子が、食べたい」
あたしは食べなくても死なないけれど。
でも、お師匠様がくれた人間の世界のお菓子の味が頭から離れない。
お師匠様はお菓子を焼いてくれたけれど、あたしはお菓子作りなんてできない。
「――久しぶりに、行こうかしら。お茶会……」
あたしは安楽椅子から立ち上がると、箒を手に家を出た。
◇◇◇
「あ、お茶会やってる」
箒に乗って、近くにある貴族のお屋敷の上から、庭園を観察する。
そこの家のお嬢様がお茶会をやってるのを発見したあたしは、目を閉じた。
たちまち黒いドレスは、お嬢様たちが着ているような華やかなドレスに変わる。
――これは見かけを変えただけ。元は黒いドレスのままなんだけれど、あたしは人からの見え方を変えることができる。
真っ黒なドレスじゃ目立つものね。
あたしはそのままお屋敷の庭に降下した。
フリルのドレスに身を包み、ティーカップを持ってにこにこ。もちろん招待はされていない。
「ごきげんよう……?」
あたしを見つけたこの家のお嬢様が不審そうな顔をしたので、あたしは目を合わせて微笑んだ。
「ごきげんよう。私、フィリアよ。お招きいただき、ありがとう」
記憶を曖昧にする魔法をかける。
「――まあ、――フィリア。――お久しぶり」
お嬢様はあたしにお辞儀をした。あたしもにっこり笑ってお辞儀を返す。
その場だけでもごまかせれば十分。
少しお菓子を食べたら帰るもの。
お皿の上のマカロンをもぐもぐしていると、近くのお嬢様たちの会話が耳に入ってきた。
「ねえ、街で流行っている、『婚約破棄された公爵令嬢の涙をぬぐうのは、隣国の氷の王子』お読みになって?」
「ええ。もちろん」
――タイトルは知っているわ。最近、城下町で流行っているという小説よね。
「隣国の『氷の王子』のアンドリュー様、素敵よね」
「私の婚約者も、あの馬鹿王子みたいに、婚約破棄してくれないかしら――」
ピンクのドレスの令嬢の深いため息に、もう一人が目を丸くした。
「お父様が決めたお相手なんだけれど――、遊び人なのよ。親が決めた相手だもの、仕方ないけれど――、私だって、私のことを溺愛してくれるお相手と結婚したいわ」
その子は視線を落とすと、呟いた。
――その時、あたしの頭に一つの考えが浮かんだ。
(これは――恩を売る、チャンス――?)
こっそりこういうお茶会に紛れ込むのにも、疲れてきていた。
毎回、紛れ込めそうなお茶会が開催されている場所を特定するのも骨が折れるし。
この子に恩を売って、知り合いとしてお茶会を定期開催してもらって、正式に招いてもらえたら――お菓子が、正当に、たくさん食べられる。
――それに、この子、とっても悲しそうだもの。
(そうよ。遊び人の婚約者に、婚約破棄を言わせるくらい、できるはず。あたしは、魔女なんだから)
あたしはそのピンクのドレスの令嬢が一人になったところを見計らって、声をかけた。
「あなた、婚約を破棄したいの?」
「……!」
「ごめんなさいね。先ほど、お話が聞こえてしまって。あたしね――魔女なの」
あたしが指先をくるりと回すと、皿の上の焼き菓子がふわりと宙に舞い、蝶のように踊り始めた。驚いて目を見開くお嬢様に、あたしは微笑んだ。
「あたしがあなたの婚約者に――『婚約破棄する』って言わせてあげましょうか?」




