11.(Case3)侯爵家長男は婚約破棄を告げたい(4)(sideフィリア)
その日の昼前――案の定、ユリウスは父親であるランゼル侯爵に呼び出された。
あたしも応援のため、姿を消して屋敷へ忍び込んだ。
応接室では、入り口近くにユリウスが緊張した面持ちで立っている。
向かい合うように、奥に父親のランゼル侯爵。それから、アデーレとエドガーもいた。
「見てるわよ」と知らせるため、ユリウスの強張った肩をぽんと叩く。
ユリウスははっとしたようにあたしの方を見て、少し口元を緩めた。
「何をへらへらしているんだ! ユリウス!」
それを見たランゼル侯爵が扉の外まで響くような声で怒鳴った。
あたしは壁際に寄り、肩をすくめた。
ランゼル侯爵は頭を押さえ、息子を見た。
「ここ数日、毎晩のように街へ出て、酒場の女のところへ通っているそうだな。昨夜など、女の部屋から朝になって出てきたと報告を受けているぞ!」
「父上、落ち着いてください」
弟のエドガーがなだめようとする。
ユリウスによく似た顔立ちだけれど、彼より体格がよく、顔色もいい。
「お前は黙っていろ!」
侯爵は机を叩いた。
「ユリウス! その酒場の女に本気なのか!」
ユリウスは一度、アデーレを見た。
アデーレは青ざめた顔で、両手を握りしめている。
その隣で、エドガーも心配そうに兄を見ていた。
――さあ。ここからよ。
「……はい」
ユリウスは答えた。
「本気ですよ。『酒場の女』なんて下品な呼び方はやめてください、父上。彼女の名前は”リア”といいます」
ユリウスは父親を見据えた。
「俺はリアを愛しています」
昨日まで棒読みだったのに、感情を込めて言うじゃない。
……ちょっと、どきっとしてしまったわ。
「馬鹿なことを!」
ランゼル侯爵はバン! と机をたたいた。
「馬鹿でも構いません。俺はもう、アデーレと結婚するつもりはありません」
「ユリウス様……?」
アデーレが震える声で名前を呼んだ。
ユリウスは彼女へ向き直る。
「アデーレ。君は昔から真面目すぎるんだ」
ほんの少しだけ、声が震えた。
「礼儀作法だの、侯爵家の妻としての務めだの、領地経営だの。そんな堅苦しい話ばかりで、君といると息が詰まる」
「兄上!」
エドガーが立ち上がった。
ユリウスはそちらを見なかった。
「俺はもっと自由に生きたい。リアといる方が楽しいんだ。だから――」
一度、息を吸う。
「アデーレ。君との婚約を破棄したい」
部屋が静まり返った。
あたしは壁際で、ユリウスを見つめた。
アデーレの瞳に涙が浮かんでいる。
エドガーは拳を握りしめていた。
「……本気で、仰っているのですか」
「ああ」
「私が、堅苦しいから?」
「そうだ」
「……そうですか」
アデーレは唇を噛んで、うつむいた。
ユリウスの指先が、わずかに震えた。
あたしは姿を消したまま壁際から離れると、そっとその手を取った。
彼は少し顔をこちらに向けると、息を吐いた。
「この――愚か者が!」
侯爵の怒声が響いた。
「お前の身体が弱いからと、どれだけ皆がお前を支えてきたと思っている! アデーレ嬢も、エドガーも! それを、よりにもよって酒場の女に入れあげて、婚約を破棄するだと!」
「その通りです」
「開き直るんじゃない!」
「父上!」
エドガーが割って入った。
「兄上は、まだ体調が――」
「庇うな、エドガー!」
侯爵は息子を怒鳴りつけると、再びユリウスを睨んだ。
「そんなにその女がいいのなら、好きにしろ!」
ユリウスは黙って父親を見る。
「ランゼル侯爵家の跡取りとしての責任も、アデーレ嬢との婚約も捨てるというのなら――お前など、この家の人間ではない!」
――ユリウスの望んだとおりの発言ね。
「出ていけ!」
侯爵が扉を指さした。
「父上!」
エドガーが声を上げる。
「お待ちください! 兄上を追い出すなんて――」
「エドガー様のおっしゃるとおりです!」
アデーレも顔を上げた。
「ユリウス様は、そんな――」
「いや、俺は出ていく」
ユリウスが静かに言った。
二人を見る。
さっきまでの軽薄そうな表情が、ほんの一瞬だけ消えた。
「俺が決めたことだから」
「兄上……」
「エドガー、アデーレ。今まで世話になったな」
アデーレの目から、ぽろりと涙が落ちた。
ユリウスはそれ以上何も言わず、二人に背を向けた。
そして、父親に向かって無言で一礼した。
ユリウスは部屋を出る。
あたしもその後を追った。
廊下を歩くユリウスの背中は、思っていたよりずっと真っ直ぐだった。
――計画は、成功。
婚約破棄は認められた。
家からも追い出された。
これで、エドガーが次の侯爵になるだろう。
アデーレだって、もうユリウスの妻になる必要はない。
全部、ユリウスが望んだとおり。
――けれど。
あたしはどうしてか、今までみたいに「大成功!」という気分にはなれなかった。
《契約》した望みは叶えたけれど。
これで終わりじゃ、ちょっと嫌だわ。




