猫神家から犬神家への転落
「……マズいわ。このままじゃ、猫ハウスにいるギル達が危ない!」
私は一階の喧騒を避け、屋敷反対にある、使用人用の細い螺旋階段を駆け下りた。一刻も早くギルたちに、辺境から「真の天敵(公爵夫人)」が帰還したことを知らせなければならない。
だがしかし、裏庭へ続く勝手口を開けた瞬間、私の足は凍りついた。
そこには、漆黒の長毛を風に揺らす、巨大な獣が鎮座していた。
猫ハウスの入り口を塞ぐように座り込むその姿は、犬というよりは、まさに「狼」。
あるいは地獄の門番。
アルテリス並みにデカい……。
振り返る、デカい犬。
その首元で鈍く光る銀のプレートには、猛々しい文字で『ガルム』と刻まれていた。
(……名前からして、つ、強そうじゃない。しかもデカい! 私が百匹くらい合体しないと勝てないわ!)
私が本能的な恐怖で「フーッ!!」と背中の毛を逆立て、体が勝手に捩れるような威嚇ポーズをとった、その時。
黒い巨獣がゆっくりと視線を下ろし、私の瞳をじっと見つめてくる。
今度こそ、牛に食べられるヒヨコのように、ペロッとおやつにされるかもしれない。
「――はじめまして、君がステラだね!やっと会えたね。僕はガルム。アランダ様、つまりレオヴィル坊ちゃんとカトリーナ御嬢様の母君のペットだよ。よろしくね!」
「…………えっ?」
響いてきたのは、見かけの凶悪さに反した、驚くほど爽やかで温厚な声だった。あまりの拍子抜けに、私の緊張の糸がプツリと切れ、私はそのまま石像のように横にコテリと倒れ込んだ。
「大丈夫!? 驚かせてしまったかな? ごめんよ、僕、身体が大きくて威圧感があるってよく言われるんだ。でも争い事が苦手だから」
ガルムは心配そうに鼻を近づけてくる。聞けば、彼は辺境で公爵夫妻と共に過ごしつつ、風の噂で聞こえてくる「王都の聖獣ステラ伝説」の逸話を聞いて、密かに大ファンになっていたのだという。
王都の人々の心を掴み、猫愛で支配する女王だとか、なんとか。
(……ファン? 私の? この地獄の門番みたいなワンコが?)
状況を把握しようとする私だったが、周囲はそれどころではなかった。
猫ハウスの物陰からは、ドン、ララ、プリシラたちと、その他大勢のギルメン達が顔を出し、悲痛な叫びを上げている。モグは相変わらずおやつ機械に頭を突っ込んでいた。
「ステラ様、食べられてしまうわ!」
「逃げなさい、ステラ!」
「今すぐ逃げろ、俺様が時間を稼ぐ!」
ララ、プリシラ、ドンが心配の声をあげている。
「待って、みんな! 誤解よ、この子、いえ、ガルムは、実はすごく……」
私が説明しようとしたその瞬間。
「ステラーーー!! 逃げろぉぉぉ!!」
背後からギルが、弾丸のような速度で私に突進アタックを仕掛けてきた。私を危険から遠ざけるための、彼なりの献身。だが、その衝撃は凄まじかった。
私はゴミのように吹っ飛ばされ、庭の隅に置かれていた柔らかい泥の入った植木鉢に、頭から垂直に突き刺さった。
「うぎゃぁぁぁぁ!!!!」
足だけが天を向き、V字の形でプルプルと震える姿に成り果ててしまった……。犬神……いえ猫神?
お、落ち着くのよ、私。こんなもの簡単に……。
ぬ、抜けない!?
「ステラ様! 大丈夫ですわ! 今お助けします!」
「待ってなさい、ステラ!」
ララとプリシラが血相を変えて駆け寄ってくる足音!
二人(二匹)は私の尻尾と後ろ足の毛を全力で咥えて引き抜こうとしてきた。
「あっ、待って!! い、痛い!! 痛い痛い痛い痛い! 抜ける! 命じゃなくて毛が抜けるーー!! あっ!」
ベリッ!!
「にゃああああああああ!!!!」
バタバタと足を暴れさせ、泥の中からスポーン! と、恐らく毛と共に引き抜かれた私。
ドサッと地面に落ち、視界が。
視界に霞んで見えるギルやドンは、ガルムに果敢な攻撃を仕掛けていたが、当のガルムは「わあ、猫たちが遊んでくれてる! 王都の猫は元気だね♪」と、あくびをしながら不思議そうに眺めているだけだった。
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その後、なんとか誤解を解き、泥を拭い、猫と犬の間の「円満」が成立した。
しかし私は自分の足元を見て愕然とした。
ふわふわな、もはや見慣れた毛玉。しかし……。当然、自然に抜ける量を凌駕していた。
「……これ、私の毛よね……。ごっそりいってるじゃない!!」
猫(女性)にとって毛(髪の毛)は命なのに!!
ララとプリシラの救助(物理)によって、私の、猫としてのアイデンティティでもある。そしてなにより、チャームポイントであるふわふわの毛の一部が無残にむしり取られていた。私は半泣きで、むしられた場所を労りながら屋敷へと戻った。
みんなの賑やかな話が、今はむしられた毛の事で頭に入って来なかった。
だが、本当の地獄はここからだった。
屋敷に戻った私を待ち受けていたのは、アランダ夫人による徹底的な「犬派文化」による侵略だった。
まず、中庭から聞こえてくる激しい工事の音。
「あら、職人さん。その縁側は不要よ。ステラが日向ぼっこ? 結構だけど、それよりも大切なのは『全力疾走』よ。ここをすべて潰してドッグランを造設しなさい」
(……私の光合成の聖域が!!)
職人たち(一部モフり聖天教)は、猫派のレオヴィルの指示と、犬派のアランダ夫人の命令の間で板挟みになり、死んだような目でスコップを動かしている。結局、夫人の権力には逆らえず、私の愛した縁側が次々と撤去されていく。
さらに、屋敷中の「香り」が変わっていた。
私が愛用していた、特製香水の「パパイヤ香水」が、アランダ夫人の「高潔な野性味溢れるウッディ・ドッグコロン」とかいうものによって上書きされていっていたのだ。
鼻のいい猫にとって、この香りは刺激が強すぎる。
「ハ、ハックシュン!!」前足で鼻を擦る「……もう、なんなのよこれ! 香害よ、完全な香害!!」
私は社畜時代の「オフィス環境改善」の経験を活かし、咄嗟に近くにあったハンカチを前足で顔に巻き、即席のマスクを装着した。
そして急いでウルルの待つベッドへ避難し、嵐が過ぎるのを待とうとした。
そんな私だったが……。
廊下からは、さらに不穏な会話が聞こえてきた。
「アランダ様……レオヴィル様が導入された『猫耳兜』の件ですが、騎士団からは好評でして……」
「お黙り、セドリック。すべて『犬耳兜』に変更なさい。犬耳の方が、騎士らしく素敵なはずよ」
「……で、では、その中間をとって、何も付けていない、元のデザインで調整いたしましょうか?」
(……セドリック、あんたも苦労してるわね。そのデザイン、この異常な国では、絶対に一波乱起きるわよ!)
猫派王国が、辺境から来た犬派のアランダ夫人の力によって、じわじわと、かつ確実に侵食されていく。
私はマスク姿のまま、自分のむしられた毛とウルルを大事に抱きしめ、「私の安住の地はどこへ行ったの……」と、天井を見上げて、爆睡するのだった。




