公爵夫人の帰還と禁断の刻印
「……にゃ!? な、なにごと!?」
早朝の静寂を切り裂く、騒がしい馬車の音とセドリックやリネット達、メイドの狼狽した声。
私はいつものように最高級シルクのクッションで爆睡していたが、階下から伝わってくる尋常ならざる「魔力気圧の低さ」に跳び起きた。
(……またレオヴィルたちが変な魔道具でも起動させたの? それとも、あの猫バカ王が思いつきな国策相談で電撃訪問してきたとか?)
私は欠伸を噛み殺しながら、様子を探るべく一階のホールへと、タッタッと向かった。
吹き抜けの階段、ポールの隙間に顔を入れ、下を覗き込むと、そこには公爵邸の全使用人が整列し、この国屈指の常識人、セドリックが、かつてないほど困惑した顔で深々と頭を下げていた。
「アランダ様……ご、ご連絡を頂ければ、王都の門までお迎えの御用意を整えましたものを……」
そこにいたのは、艶やかな銀髪を夜会巻きにし、凛とした美しさを湛えた貴婦人――レオヴィルとカトリーナの母親?(肖像画記憶引用)アランダ公爵夫人だった。
「いいのよ、セドリック。予定より早く政務が片付いたから、子供たちの顔が見たくなって飛ばしてきたの。……あら、レオ、カトリーナ。おはよう」
「は、母上……! お戻りになる際は連絡をと、あれほど……!」
「お、お帰りなさいませ、お母様……」
あの暴走兄妹が、まるで借りてきた猫(私以上に)のように縮こまり、小刻みに震えている。アランダは二人に歩み寄ると、有無を言わさぬ力強さで二人を睨みつけ、一喝入れる。
かと思いきや、溢れんばかりに同時に二人を抱きしめた。
「は、母上……」
「く、苦しいですわ……」
いつもの私のように白目を剥いて悶絶するレオヴィルとカトリーナ。
「ああ、なんて可愛いの! レオ、少し痩せたんじゃない? ちゃんと食べているの? カトリーナ、あなたの社交界での活躍は辺境まで届いているわよ。わたくしの自慢の子供たち! あー!! 会いたかったわーー!!!!」
アランダは二人を「いい子ね、いい子ね」と、まるで幼子をあやすように溺愛してみせた。だが、その瞳の奥には、辺境領を卓越した政治手腕で統治する夫を影で支える「鉄の女」の鋭さが同居しているのが、社畜経験上、分かった。
やがてアランダは、瞬時にキリッと表情を切り替えると、レオヴィルを鋭く射抜くように見つめた。
「さて、レオ。わたくしがなぜ予定を早めて帰ってきたか、分かるわね?」
「……い、いえ、まったく……」
「あなたの噂、辺境まで届いているわよ。なんでも、新しく迎えた『聖獣ステラ』という猫を溺愛しすぎて、縁談をすべて蹴り飛ばし、騎士団長の公務まで『猫が寂しがるから』と早退しているとか。高潔な騎士団は今や、貴方が提案した猫耳兜を被り、毎朝その聖獣を拝んでから、出勤するそうね。さっきも、猫にうつつを抜かす民達と共に見かけたわ。陛下達は、また猫愛に溺れているのかしら?」
(……レオヴィル、本当に早退なんてしてたの!? フェリクス王の内情を知ってから、考えるだけ無駄と思っていたけれど、普通に考えたらおかしいわよね。前世なら即クビよ!)
「レオ。あなたがその子を大切にするのは構わないわ。けれど、行き過ぎた愛情は毒よ。まさか……」
アランダが、ふと不穏な推測を口にした。
「もしかして、その聖獣ステラという猫は……呪いか何かで姿を変えられていて、あなたが『真実の愛』を捧げることで、天使の姿に戻るのを待っているのではなくて?」
(……ん? なんか、話がおかしくない? 想像力が飛躍しすぎでしょ。私はただの猫。中身は天使とは真逆の社畜よ!)
「そ、そのような他意は……ないですよ、母上。私はただ、ステラそのものを愛して……」などと弁明しているが、アランダの表情を見るに、疑念は深まっているばかりに見える。
そんなやり取りを、私は柱の陰からこっそりと伺っていた。
だが、その時。私はアランダの細い指先に光る、一つの指輪に目を奪われた。
(……あれ? あのロゴ……どこかで見たことがあるわね)
それは、いつかの「猫耳パーティー」と「パジャマパーティー」で出会ったアナスタシア――猫用品最大手『ニャンダルフ・マジカル・ケア』の令嬢――が、カトリーナに愚痴混じりに話していた内容と重なった。
アナスタシアの家、つまり父親のレオナルドは、ライバル会社『アイリス・オーニャン』と激しいシェア争いを繰り広げている。けれど、レオナルドの漏らした愚痴を聞いたらしいアナスタシアはこうも言っていた。
王都から遠い地方では、最近、急成長する会社がシェアを伸ばしているのだとか。噂では、ドッグフードは『ドッグ・マン!』という愛称で呼ばれている、犬用品メーカーらしいと……。
アランダの指輪に刻まれていたのは、まさにその『ドッグ・マン!』の会社ロゴ。
咆哮する屈強な狼のようなシルエットだった。
……私は当然確信した。
アランダは猫派じゃない。……ガチガチの犬派だと!
この猫バカ王が支配し、猫こそが至高とされる王都において、辺境から帰還した公爵夫人は、敵(犬)のロゴを身に着ける猛者だったのだ。
アランダがレオヴィルの猫溺愛を嗜める本当の理由は、教育のためではない。
私のスーパー猫聴覚(ウルルの足音すら探知)は逃さなかった。
「猫ばかりがもてはやされる今の王都の流行……わたくしには、少し理解しがたいわ」
アランダが冷ややかに小声でリネットに呟く。
その瞬間、私の肉球に冷たいものが走った。
もし彼女が本気で「犬派の逆襲」を始めるとしたら、この公爵邸は、いや、この王都はどうなってしまうのか。
アランダは私の隠れている柱の方へ、ゆっくりと視線を向けた。
その瞳は、獲物を狙う猟犬のように鋭く、そして慈悲がないように思えた……。
(……ま、マズいわ。この家で、私の最大の「天敵」が現れてしまったかもしれない……!)
私はアランダの指輪のロゴを凝視しながら、これから始まるであろう「猫vs犬」の戦争の予感に、かつてないほど激しく喉を鳴らす(威嚇)のだった。




