聖なる肉球の秘密
「……ん、んぅ……。なんだか、足の裏が……熱い?」
心地よい午睡の最中、私は微かな違和感で目を覚ました。
いつもなら、レオヴィルの柔らかな指が私の頭を撫でているはずなのに、今日の感覚はもっと……こう、「物々しい」
おそるおそる目を開けると、そこには絶望的な光景が広がっていた。
「……おお、見ろ。この完璧な三つの膨らみ、そしてその中心にある母球の曲線。これこそが、古代エルフの碑文に記されていた『万物の理を示す三角形』ではないか?」
「いや、私にはこのシワが、失われた古代魔法『エーテル・メテオ』の魔法陣の一部に見えるぞ……」
(……ちょっと待って。誰、この人たち!?)
私の視界に入ってきたのは、レオヴィルではなく、煤けたローブを纏い、片目に巨大な虫眼鏡(魔力増幅レンズ)を装着した王宮魔導士団の人たちだった。
彼らは私の前足を交互に持ち上げ、ライトを当てたり、奇妙な計測器で肉球の厚みを測ったりしている。
「ステラ、おはよう。起こしてしまったかな」
私の傍らには、いつも通り(しかし今日は一段と真剣な顔をした)レオヴィルが控えていた。
「驚かないでくれ。前回の『肉球打鍵器』による君の予言があまりに崇高だったため、魔導士団の間で新しい学説が浮上したんだ。――『ステラ・キャットの肉球の紋様には、世界の真理そのものが刻まれている』という説がね」
(…………はっ!?)
私はあまりの衝撃に、声も出ずに口をパクパクさせた。
ただの肉球よ! ぷにぷにの、猫なら誰でも持っている、歩く時のクッションとおしゃれポイントを兼ね備えた、ただの肉体組織よ!
「(……変態が増えた! レオヴィル達だけでもお腹いっぱいなのに、今度は国家予算で動くインテリ変態の集団!? やめてよ、足の裏がくすぐったいわ!!)」
私は反射的に足を引っ込めようとしたが、魔導士の一人が「ああ! 聖獣様が動かれた! 紋様が……紋様が躍動している! これは『マナの流動』を示しているに違いない!」と狂喜乱舞して、さらにレンズを近づけてくる。
「素晴らしい……。この左前足の微かな凹凸は、北方の星図と一致するのではないか?」
「いや、右後ろ足のこのピンクの斑点は、不老不死の霊薬のレシピを暗号化したものかもしれんぞ!」
(ただの模様よ! 生まれつきなの! 霊薬なんて隠してないし、北方の星図なんて、なにそれ! 興味ないわよ!)
カトリーナも興奮した様子で部屋に入ってきた。
「皆様! ステラの肉球の拓を、国中の教会に配布する準備はできていますわ! これを拝めば病が治り、神の加護が受けられると噂になっていますの!」
(……勝手に宗教活動を作らないで! 私の知らないところで私の足跡が商業利用されてるじゃないの!)
鑑定は数時間に及んだ。
魔導士たちは、古代の魔導書を山積みにして、「肉球の溝」の一本一本を歴史的発見であるかのように議論し、スケッチし、ときには「ああ……なんて柔らかいんだ……これが神々与えし聖なる弾力か……」と、学術的なフリをしながら確信犯的に触りまくっている。
(……くっ、くすぐったい! 笑いをこらえるのが限界よ! 誰か、この偏屈な老人たちを連れ出して!)
私はついに限界を迎え、全力の「シャー!!」を繰り出しながら、魔導士の一人の鼻頭を肉球でペチリと叩いた。
「おおお! 聖なる一撃をいただいた!! これで私の魔力回路が活性化された気がする!!」
(……ダメだわ、こいつら。何をしてもポジティブに変換されちゃう!)
────
結局、日が暮れるまで続けられた「肉球鑑定」だったが、最終的な結論は拍子抜けするものだった。
「……レオヴィル卿。大変申し上げにくいのですが……」
魔導士団が、膨大なレポートを抱えながら、苦渋の決断を下したように言った。
「詳細な検分、古代文献との照合、そして魔力共鳴試験を繰り返しましたが……。ステラ様の肉球から発見されたのは、『極上の柔らかさ』と『猫特有の芳しき匂い』……そして、微かな『おやつ(干し肉)のカス』のみでございました」
広間に沈黙が流れる。
「真理は……刻まれていなかったのか?」
レオヴィルが、信じられないという顔で問い返す。
「はい。ですがこれは、現段階の学術的に申し上げればのこと。現状これは単なる『最高に質が良い肉球』でございます。魔法的な意味は……今のところ、一切見つかりませんでした」
(……当たり前でしょ! 期待しすぎなのよ、最初から!)
魔導士たちは肩を落とし、「いや、しかしあの弾力は魔法的だ……」「あの匂いは精神を安定させる……」と未練がましく呟きながら、屋敷を去っていった。
レオヴィルとカトリーナは、少しだけ残念そうに私を見つめた。
「そうか……。真理が刻まれていなかったのは意外だが……。まあ、いい。ステラの肉球が、ただ柔らかくて愛らしい。それだけで十分、私にとっては世界の真理と同じ価値がある」
「ええ、兄様。紋様なんて関係ありませんわ。わたくし、ステラの肉球が、世界で一番好きな肉球ですもの!」
二人はそう言って、再び私を抱き上げ、交互に私の肉球を自分の頬に押し当て始めた。
(……結局、いつもの『猫吸い』に戻るだけじゃない。あの騒ぎは何だったのよ。私の三度寝曜日返して)
私は、ようやく静かになった部屋で、自分の足をペロペロと毛繕いしながら、深く、深い溜息をついた。
世界の真理なんて、どこにもない。
あるのは、今日も明日も、この暑苦しい兄妹に愛され(振り回され)続けるという、逃れられない日常だけ。
私は、窓から見える月を見上げながら、「明日こそは、誰にも足の裏を見せない場所で昼寝をしてやる」と、起きたら忘れる誓いを、固く心にまた誓うのだった。




