肉球社畜の改善提案
重厚な扉の向こう側。静寂に包まれた広間の中央で、白い虎と見紛うほどの巨体――王宮の主(猫)のアルテリスが私をじっと見下ろしていた。
私は本能的な恐怖を「営業スマイル(猫版)」で押し殺し、ゆっくりとその足元へ歩み寄る。
(……よし、まずは挨拶からね。「お悩み相談室」の始まりよ)
「……ど、どうも、アルテリス様。私はステラと申します」
私が恐る恐る声をかけると、アルテリスは意外なほど優しく、鈴の鳴るような声で応えた。
「あら、いらっしゃい。あなたがステラね? 国中あなたの話で持ちきりよ。……そんなに怯えなくて大丈夫。取って食べたりしないわ」
(……え、めちゃくちゃ聞き取りやすい。しかも、すごく理知的……!)
「アルテリスでいいわ。ねえ、せっかく来てくれたんだから、少しお話していかない?」
彼女が不思議そうに首を傾げ、私の挙動を観察し始めた。
「あなた、鼻も合わせず、尻尾も立てないのね。妙な猫ね」
「そういうの、やらないの。においフェチじゃないし、前世……いえ癖というか……なんというか」
「ンフフ♪ まるで猫じゃないみたいね。でも流石、聖獣だわ。ねえ、ステラ。あなたはとても、とても賢いと聞いているわ。だから……私の悩みを聞いて欲しいの。良いかしら?」
私は彼女の隣にちょこんと座った。巨体の隣に並ぶと、私はまるで雪山の麓にいる小石のようだ。
「ええ、それぐらいお安い御用よ。何でも話してみて」
「ありがとう。それでね……悩みっていうのは、人間たちのことなの」
アルテリスは、窓の外を悲しげに見つめながら、せきを切ったように語り始めた。その内容は、あまりに繊細で、そして「猫」という生き物の本質を突いた、切実な環境苦情だった。
「彼らは私のことを不機嫌そうだってヒソヒソ言うけれど、自分たちがどれだけ私の世界をめちゃくちゃにしているか、これっぽっちも気づいていないのよ。例えば、この『静かな環境』。私にとってはただの不気味な空白なの」
(……空白?)
「遠くの仲間の声が響くはずの低周波が、この厚い壁と魔法の結界で遮断されているわ。まるでおかしな機械に閉じ込められたみたいに、耳が詰まったような閉塞感がずっと消えないの。その折、彼らには聞こえない魔導具の『キーン』という人工的なノイズだけは、針のように私の脳を刺してくるのよ。イライラしない方が無理だと思わない?」
(……高周波ノイズ! 前世でも、オフィスの古い空調機の音が気になって仕事に集中できない同僚がいたわ……。あれの猫版ね)
アルテリスの訴えは止まらない。
「一番耐えられないのは、彼らが『清掃という名の破壊』を毎日繰り返すことよ。私にとって縄張りは、自分の歴史を刻む大事な掲示板。なのに、彼らは良かれと思って消毒と消臭を完璧にこなしていく。そのたびに、私のアイデンティティは消し去られてしまうの」
(……あ。毎日、知らない部屋に放り込まれてるような感覚なのね。それは、休まらないわね……)
「それに、あの見下ろされるストレス。私たちはプライドの高いハンターよ。自分より高い場所にいるのは、天敵か、格上の存在だけ。なのに人間たちは、いつだって頭の上から好奇の視線を投げてくる。……それからこの地面! 歪な柔らかさの床は、きつくてサイズが合わない靴を一生履かされている気分なのよ」
アルテリスは深く、重いため息をついた。
「フェリクスやアナスタシアは大好きよ。ただ、この場所が、私の感覚にちっともフィットしていないだけなの。……ステラ。あなたなら、この不自由さ、分かってくれるでしょう?」
(……分かるわ。分かりすぎて涙が出るわよ。それって、要するに『労働環境のミスマッチ』じゃない!)
前世で、エアコンの温度設定が合わないだけで離職率が上がった部署を見てきた私だ。このままでは彼女のメンタルが完全に壊れてしまう。
私はすぐさま立ち上がり、部屋の隅に置かれていた書記用の黒インクと羊皮紙を引っ掴んだ。
「ステラ、一体何をしているの?」
「……プレゼンよ。ソリューション(解決策)を提案するの!」
私は夢中で絵を描き始めた。肉球と口を器用に使い、前世の「ポンチ絵(概念図)」の技術を駆使する。
換気の改善。
きっちりと閉められた窓を書いて【✕】印。外の風と音を取り込む開いた窓を描き【◯】印。
ノイズ源の排除。
不快な音を出す魔導具のスチームクロゼットみたいな見た目のを書いて【✕】印。
縄張りの尊重。
ピカピカに磨かれた部屋に【✕】印。適度に抜け毛や自分の匂いが残るコーナー、そして床には「土と枯れ葉」を描く。
視線の改善。
上からアルテリスを見下ろす人間と、怒ったアルテリスを描く。次に、膝をついて「目線を合わせる」人間を描き、アルテリスを笑顔にする。
我ながら、いえ、猫ながら、完璧な「環境改善提案書」ね。
これを見せれば、この猫バカ(失礼、猫愛に溢れた)王たちなら、必ず理解してくれる……はず。
「……できたわ! アルテリス、見てて!」
私はその羊皮紙を口に咥え、部屋の外で待つ三人の元へと駆け出した。
部屋の外に出ると、ちょうどレオヴィルも合流したところだった。
「おお、ステラ! 無事だったか!」
「ステラ、その紙キレは……?」
四人は、私の描いた「図解」を食い入るように見つめた。
一瞬の沈黙。……そして。
「……ああ! そうか、予たちはアルテリスを愛するあまり、彼女を『人間にとっての快適さ』に閉じ込めていたのか!」
フェリクス王が膝をつき、嗚咽を漏らした。うん、ちゃんと王らしく理解があって良かった。
「清潔すぎる床、閉ざされた窓……。アルテリス、済まなかった。君は寂しかったのだな、自分の匂いすら奪われて!」
「すぐに手配しましょう、あなた! 床の一部を腐葉土に、そして窓は常に魔力の風が通るように開放するのよ!」
フェリクス王とアナスタシア王妃に続き、レオヴィルもカトリーナも、私の意図を完璧に汲み取ってくれた。
「流石はステラだ。彼女の観察眼は、もはや神の領域にある……!」
────
数時間後。
王宮のアルテリスの部屋は、劇的な変貌を遂げた。
窓からは外の世界のざわめきと風が入り込み、床の半分にはアルテリスが好む柔らかな土と落ち葉が敷き詰められた。うるさい魔導具はすべて撤去され、代わりに旧式の人力装置が置かれた。魔石を水に入れて、部屋の温度を少しずつ調整するようだ。使用人達も、アルテリスに接する際、必ず腰を落として目線を合わせるようになった。
部屋に戻ると、アルテリスは目を細め、土の上で幸せそうに爪を研いでいた。
「……ああ、ステラ。信じられないわ。足の裏から、命の感覚が伝わってくる。耳の奥のノイズも消えた。……私、やっとここで『息ができる』気がするわ」
彼女は私を優しく鼻先で突き、感謝の意を示してくれた。
その直後、王と王妃が部屋に入ってくると、アルテリスは自ら歩み寄り、二人の足にその巨体をスリスリと擦り付けたのだ。
「おおお! アルテリスが、予に甘えてくれた!! 二日ぶり……いや、これほど情熱的なのは久し振りかもしれぬ!!」
フェリクス王の号泣が王宮中に響き渡る。
メンタルが参る苦しみは、前世の社畜時代に誰よりも知っている。だからこそ、彼女の救済は私自身の救済のようにも感じられた。
「ステラ、本当によくやったな」
「誇らしいですわ。さすが、わたくしのステラ!」
レオヴィルとカトリーナが、私をそっと、しかし力強く抱きしめてくれた。
感謝の言葉と、安堵の涙。
(……やれやれ。これでようやく、私の『有給休暇』が再開できるかしらね)
私は二人の腕の中で、満足げに喉を鳴らした。
救国……とまではいかないけれど、一つの大切な家族の絆を繋ぎ止めた。
私は白き巨体・アルテリスと視線を交わし、ウィンクを一つ。
王宮の中は、かつてないほど穏やかな静寂に包まれていた。




