午後の茶会と喉に詰まったマナー
「……ここ、本当に裏庭よね? 私、異世界の高級スパに迷い込んだんじゃないかしら」
目の前に広がるのは、半日で爆誕したとは思えないほど豪華絢爛な、例の猫ハウス。なんかまたアップデートされて、改造されている。大理石の床には魔法で適温に保たれた床暖房が仕込まれ、猫型の窓からは柔らかな午後の光が差し込んでいる。
今日はここで、初めての「公式ティータイム」が開催されていた。
給仕を務めるのは、屋敷きっての猫好きメイド。リネット。彼女は公爵家からの特命により、晴れて「猫ハウス専属メイド」の座を射止めたのだ。
いや、なにそれ……。
「さあ、ステラ様。本日のメイン、特製、永劫回遊の殉教魚風味のスコーンでございます」
いや、ただのカツオでしょ。匂いで分かるわよ。なに殉教魚って。口に入れるのも躊躇する名ね。
リネットがうっとりとした表情で銀のトレイを差し出す。その傍らには、学問の講義を放り出して「猫成分」を補給しに来た、カトリーナの姿もあった。
「ああ、なんて平和な光景……。兄様には内緒ですわよ? 私がここでステラの友人達と、仲良く過ごしているなんて知れたら、嫉妬で屋敷が爆発してしまいますもの」
カトリーナは、丸々と太ったモグを膝に乗せ、熟練の技でブラッシングを施している。
「ん〜♪……そこ、そこだにゃ〜……カトリーナさん、いい腕してるぅ〜!」
モグは完全に野生を失い、トロトロに溶けた、お餅のように喉を鳴らしていた。周囲にも、自動ブラッシングで満足できないギルメン達が集まっていた。
その様子を、ギルが柱の陰からじっと見つめている。
(……ギル、あんたもやってほしいなら素直に言えばいいのに。尻尾が期待でピクピク動いてるわよ)
そんな微笑ましい光景を余所に、私の目の前では「貴族猫のマナー論争」が勃発していた。
仲良く3匹、横一列でスフィンクス座り。くつろいでいた私の左右に、ララとプリシラが来た感じだ。
「いい、ステラ。王宮トップのファッションリーダー猫として、スコーンはこうして前足の先で小さく割って、少しずつ嗜むのが淑女の嗜みなのよ」
プリシラが優雅な手つき(足つき)で、お手本を見せてくれる。まさに社交界の華、その一挙手、一投足に無駄がない。真似しようとするが、これが意外と難しい。ミルフィーユを、フォークで優雅に食べろと言っているようなものだった。だが、それに異を唱えたのは、私の「一番のファン」を自称するララだった。
「いいえ、プリシラ様! ステラ様のような高貴な御方は、もっとダイナミックであるべきです! スコーンは鋭い『猫パンチ』で一撃で粉砕し、その破片をワイルドに召し上がるのが、最新の『聖獣マナー』ですわ!」
(……いや、どっちも食べにくいんだけど……)
「パンチなんて野蛮よ、ララ。ステラ、私の真似をして」
「いいえ、ステラ様! 拳(肉球)の重みを見せつけるのです!」
プリシラとララが、私の左右から「あーだこーだ」と口を出し、皿の端を引っ張り合い、スコーンが皿の上で右へ左へと動く。そのスコーンの動きで、私の中の野生の本能が目覚めそうになる。というか、私はお預けをくらった犬(猫ですが)のように、目の前を行き来するスコーンを我慢して目で追うしかなかった。
(……美味しそうだから、早く食べたいんだけど。マナーなんてどうでもいいから、早く食べさせて……)
その時だった。
「――おい、お前ら! 細けえことガタガタ抜かしてんじゃねえよ!」
地響きのような声と共に現れたのはドンだった。彼はトランプの練習を中断し、痺れを切らしたようにズカズカと歩み寄ってくると、皿の上のスコーンを無造作にひっつかんだ。
「ステラが腹減らしてんだろうが! ほら、食え!!」
「ふぐっ!?」
ドンは、私の口を前足で無理やりこじ開けると、特製スコーンを丸ごと一つきっちりと押し込んできた。
親切心の塊。だが、デカい。スコーンが、デカすぎる。
(……ごふっ、おふっ……! 詰ま、詰まった……! こ、呼吸が……!)
私の喉にスコーンがガッチリと停泊した。白目を剥き、前足をバタつかせる私を見て、平和だった茶会は一瞬で戦場へと化した。
「大変! ステラ様が! ステラ様が窒息をあそばせてます!!」
「ステラ! 死なないで! 今すぐ兄様を……いえ、お医者様を!!」
慌てふためくリネットとカトリーナ。
「水よ! 水を持ってきて!!」
カトリーナが叫ぶと同時に、リネットが近くにあった「猫用ミルクのピッチャー」を掴み、パニックのあまり私の顔面に至近距離からフルパワーでぶちまけた。
「ぶふぉっ!!(溺れる!! 死ぬ!!)」
顔面をミルクの激流が直撃し、私は鼻からミルクを噴き出しながら、その衝撃で喉のスコーンを強引に胃へと流し込んだ。
なんとか命拾いはしたものの、私の姿は見るも無惨なことになっていた。全身ミルクまみれ。せっかくの毛並みはベタベタの束になり、顔はふやけたスコーンのカスが付着している。
「……助かった……のかしら、これ」
私が力なく床に突っ伏すと、ドンが満足げに頷いた。
「ほら見ろ、食えたじゃねえか。遠慮すんな、まだおかわりはあるぞ」
「……もういいわよ! 二度とあんたからは食べ物を受け取らないわ!!」
「ステラ様! お怪我はございませんか! さあ、今すぐお風呂に入れて差し上げますわね!」
カトリーナとリネットに抱きかかえられ、私は再び「過剰ケア」の渦へと巻き込まれていく。
(……スローライフ。私の夢見た、穏やかで静かな引退生活……。どこへ行ったのかしら、本当に……)
背後では、プリシラとララが「やはり食べ方が悪かったのだわ」「パンチの角度が足りませんでした!」とまだ議論を続けている。
私はミルクの滴る顔で、豪華な猫ハウスの天井を見上げ、転生後、何度目か分からない深いため息を吐くのだった。この屋敷に「静寂」という言葉が戻ってくる日は、当分先になりそうだった。




