猫たちの聖域
「……アハハ、アハハハ。もう、笑うしかないわね……」
翌朝。バルコニーに出た私は、自分の目が信じられず、力なく乾いた笑い声を漏らした。
集結した『モフり聖天教』の騎士団、そしてこれまた門の外に詰めかけた市民たち。彼らはいつものように私を拝んだ後、一斉に四つん這いになり、背中を丸め、深く呼吸を始めたのだ。
昨日、屋敷で私が(ヨガとして)始めた「猫のポーズ」が、侍女たちの口伝によって、一夜にして「聖獣様が伝授された究極の祈祷」として王都に広まったらしい。
(騎士も、商人も、おばあちゃんも、子供達も、みんなで朝から猫ポーズ……。ショックを受けるべきなのか、それとも、この光景を歴史の教科書に刻むべきなのか、もう私には判断できないわ……)
そんな人間界の狂乱を余所に、屋敷の裏庭では、より切実な「猫界」の会議が開かれていた。
「――おい、ステラ。最近、人間たちが君を拝むのに夢中で、俺たちのメシを出す時間が遅れている。これは死活問題だぞ」
ギルが鋭い爪を研ぎながら、ギルメン(ギルのメンバー)集会での議題を突きつけてきた。
「そうだ、ステラちゃん。拝んでる間、リネットさんも僕のパテを置いてくれないんだぁ」とモグが悲しそうに鳴く。
(……あ、これ、完全に私のせいだわ。ヨガなんて教えるんじゃなかった。いや、教えるつもりじゃなかった……もはや言い訳にしかならないほど、街はカオス状態)
ギルメンの猫たちが「人間を甘やかしすぎだ」「もっとクールに接して、メシを最優先させろ」と議論を白熱させる中、モグがふと、天才的な発言をした。
「でもさぁ、拝んでる時の人間って、トランス状態っていうの? 隙だらけでおやつをポロッと落としやすいよねぇ」
ララが飛び跳ねる。
「……それよっ! さすが聖獣様です。人々をヨガで無防備にさせ、供物を効率よく回収する計画を始められたのですね!」
ララが頬を染めて、軍事戦略のような解釈を披露する。
私は肩身の狭い思いをしながら猫集会を過ごし、「聖獣の権限(レオヴィルへの甘え)」をフル活用して、ギルたちの分のおやつを増量させる裏工作をギルメンに約束した。
後日、私はあえて門の外の市民たちの前で、ギルやモグとララ達多くのギルメンと仲睦まじく毛繕いをする姿を見せつけた。
すると、「聖獣様と仲の良い猫たちもまた、神聖な存在である」という認識が瞬く間に広がり、街中の猫たちが「福を呼ぶ神の使い」として、かつてないほど手厚く保護されるようになったという。
最高評議会の集会で、プリシラとドンから「おかげで、どこの猫が、どの家に行っても最高級のミルクが出てくる」と報告を受け、私は一応の解決(?)に胸を撫で下ろした。
だが、平穏は長くは続かない。
ついに教会が動き出したのだ。『聖獣の祝祭日制定会議』。
私がこの国の守護獣として正式にカレンダーに刻まれるための、退屈極まりない儀式と会議である。
「少し……大事な用がありますの……」
「ステラ……! 私も、カトリーナも、どうしても同行したかった……! だが、私は国境の魔獣防衛会議が重なるんだ。だが決して苦ではない。なぜならこれは、君が用意してくれた神の試練だからだ! 帰ったら、ご褒美に君を千回吸わせてくれ!!」
レオヴィルとカトリーナとの、今生の別れのような慟哭の儀を終え、私は馬車に乗った。
付き添いは、この国で唯一の良心であり、まともな判断力を持つセドリックだ。
これほどの安心感はない。馬車の中は、静かで、理知的で、大人の空気が流れている。
しかし、一歩外を見れば地獄だった。
沿道の至る所に設置された私の銅像に向かって、市民たちが必死に「猫のポーズ」を決めている。セドリックもそれを見て、静かに頭を抱えていた。
馬車が止まり、教会へ。
そして始まった、教会での会議。
きらびやかな法衣を纏ったお偉方たちが、「聖獣様の祝日は、春の暖かな日が良いか、それとも毛並みが最も輝く夏が良いか」と、一時間以上も不毛な議論を続けている。どうやら今後行われる大聖堂や王宮での会議への提出で必死らしい。
(……眠い。死ぬほど眠い。逃げ出したい。ルンバス2号に乗って、このまま地平線の彼方まで逃亡したい……)
私が意識を失いかけたその時。ステンドグラスの隙間から、銀色の影が滑り込んできた。ギルだ。
手慣れた動きで私の側まで誰にも気付かれずにきたギル。
ギルは私の耳元でボソリと囁いた。
「……貸しだぞ。ステラ」
ギルは私の聖獣用衣装と派手な首輪を素早く奪い取ると、私を物陰に押しやり、自らが厳かに儀式台の上に鎮座した。
私はその隙に匍匐前進で教会の厨房へ忍び込み、既にいたモグと一緒に「供え物の干し肉」などの豪華料理を盗み食いし、地下の礼拝堂で一眠りした。
数時間後、満足してギルの元へ戻ると、そこには意外な光景が広がっていた。
「……本日の聖獣様は、いつになく厳格で、一切の妥協を許さぬ神々しさを放っておられた……」
「あの鋭い眼光、我々の不徳をすべて見透かされているようだ……」
教会の重鎮たちが、冷めた目で一点を見つめる(ただ退屈していただけの)ギルの前に跪き、涙を流して感動していたのだ。
(……バレてない。一ミリもバレてないわ。ギルの『元からクールな性格』が、聖獣の威厳として最高評価を受けてる……!)
私はこっそりギルと入れ替わり、何食わぬ顔でセドリックの待つ馬車へと戻った。
帰りの馬車の中、私はセドリックの膝の上で、「今日の会議は実りがあったようですね」という彼の独り言を聞きながら、ギルに感謝した。
セドリック以外の人は、白い猫が銀色の猫にすり替わっても気づかないほど、モフモフの魔力に脳を焼かれているらしい。
もう、何があっても驚かない。私はそう心に誓い、理知的な深い眠りにつくのだった。




