モフり聖天教の夜明けと着せ替え人形
「……嘘でしょ。夢よね? 悪夢の続きよね?」
翌朝。昨日の王宮での「国王肉球マニア事件」がトラウマとなり、私は日の出よりも早く目が覚めてしまった。
窓の外はまだ薄暗く、冷ややかな空気が漂っている。気分転換にバルコニーへ出て、深呼吸でもしようと思ったのだが……。
視界に入ってきたのは、およそ公爵邸の庭には似つかわしくない「狂気」の光景だった。
そこには、レオヴィルの部下であるはずの屈強な騎士たちが、十数名ほど集結していた。彼らが掲げている立派な旗には、堂々とこう記されている。
『モフり聖天教』
(……何? 聖天教って何!? 誰が教祖なのよ!)
「……おい、聞いたか? 昨日、閣下が連れて行かれた聖獣様の一鳴きで、三年来の不眠症だった副団長が爆睡したらしいぞ」
「俺なんて、聖獣様がバルコニーから見下ろしてくださっただけで、剣のキレが三倍になった。もはや魔法剣士の域だ」
騎士たちが真剣な面持ちで、自分たちの「救済体験」を語り合っている。
その時、一人の騎士がバルコニーに立つ私に気づいた。
「……あ! お出ましだ! 聖獣様がお姿を現されたぞ!!」
その声を合図に、銀の鎧を纏った男たちが一斉に、ガシャン!! と音を立ててその場に跪いた。
「「「聖獣様に、栄光あれぇぇぇ!!!」」」
早朝の静寂を切り裂く、野太い咆哮。
(もうやめて! 怖い! 怖い怖い怖い怖い!! 私はただ、静かに日向ぼっこして余生を過ごしたいだけなのよ! 信心深すぎるでしょ、この国の騎士団!!)
私は尻尾を膨らませ、脱兎のごとく部屋の中へと逃げ戻った。
スローライフへの道は、どうやら「神」として崇められるという、最悪の方向に逸れてしまったらしい。
朝食の高級パテも味がしないほど困惑していた私だが、休む暇など与えてもらえなかった。
「ステラ、準備はよろしいかしら? 今日のメインイベントを始めますわよ!」
カトリーナが、背後に十数人の侍女を引き連れて部屋に乱入してきた。侍女たちの手には、色とりどりの、けれど明らかに「猫サイズ」の布地が山のように抱えられている。
(……え、何? その不穏なキラキラした服の山は)
「あなたの社交界デビューが決まった以上、私のセンスを疑われるような格好をさせるわけにはいきませんわ。さあ、特注の『猫用ミニドレス』の試着会ですわよ!」
カトリーナの宣言と共に、怒涛の試着地獄が幕を開けた。
「これは夜会用、金糸をふんだんに使った重厚なデザインですわ。……次はこれ、ピクニック用の軽やかなシフォン素材。あら、こっちのフリル山盛りの睡眠用パジャマも捨てがたいわね!」
(……睡眠用にフリルはいらないわよ! 寝返り打てないじゃない!)
侍女たちに囲まれ、「失礼いたします、ステラ様」と、前足を通され、後ろのリボンを締められ、頭に小さなティアラを乗せられる。
鏡に映る私は、もはや猫というよりは、成金趣味の動くぬいぐるみだ。
一時間、二時間……。
「次はこれよ!」「いえ、やはりあちらのレースの方が!」
カトリーナのファッションチェックは止まらない。元社畜の私でも、この「立ち仕事(試着)」には限界があった。
(……もう、ダメ。足が棒……じゃなくて、肉球が限界だわ……)
フラフラになった私は、最後に着せられた「特に意味のないフリフリのケープ」を纏ったまま、一番近くにあった「カトリーナの膝の上」に力なく倒れ込んだ。
「……えっ!? あ、あら、ステラ? 急にどうしたの……?」
カトリーナが驚いて声を上げる。
私は彼女の膝に顔を埋め、深いため息をついた。
豪華なドレスも、聖獣としての崇拝も、今の私には重すぎる。ただ、この少し意地っ張りな令嬢の、ほんのり温かい体温だけが、今の私には唯一の「処方箋」だった。
「……ま、全く、甘えん坊さんなんだから。仕方ありませんわね、今日はこれくらいにしておいてあげますわ」
カトリーナの顔が、リンゴのように真っ赤に染まっていくのが分かった。
彼女は照れ隠しにツンとした声を出しながらも、その手はとても優しく、私の背中をトントンと一定のリズムで叩いてくれる。
(……はぁ。やっと静かになった)
騎士団の宗教勧誘からも、カトリーナの着せ替え攻撃からも解放され、私は令嬢の膝という最高の安らぎの場所で、ようやく深い眠りにつくことができた。
……明日の朝、またバルコニーの下で「聖獣様万歳!」と叫ばれるまでは。




