騎士の宿命と迫りくる鋼の愛
「……いいか、ステラ。私は行かなければならない。これは、この国の、いや、私の魂の存亡に関わる重大な任務なのだ……!」
出発の朝。玄関ホールで、騎士団の正装に身を包んだレオヴィルが、私の両前足を握りしめて今にも泣き出しそうな顔をしていた。
(……ハンカチ探しでしょ? 陛下がピクニックで落とした、王妃様手編みのハンカチ。騎士団長をそんなことに使う陛下も陛下だけど、それを『魂の存亡』とか言っちゃうあなたもあなたよ)
「私の命、私の光……。万が一、私がこの任務で散るようなことがあっても、君のことはカトリーナやセドリックが……ぐふっ」
あまりに話が長いので、私は彼の鼻面に肉球を押し当てて黙らせた。
「にゃーん(いいから、さっさと行ってきなさいな)」
やれやれと見送る私。泊まりがけの任務。つまり、明後日の朝か夜。明後日の朝まで「全力吸引(猫吸い)」がない。
私は内心でガッツポーズを決め、レオヴィルが馬車に揺られて遠ざかるのを見届けた。
静かだ。
屋敷が、驚くほど静かである。
レオヴィルの「ステラー!」「私の天使ー!」という絶叫が響かないだけで、空気の透明度まで上がった気がする。
(ふふん。これぞ理想のスローライフ。誰にも邪魔されず、午後の日差しと一体化してやるわ)
だが、その平和は一時間ももたなかった。
「……ポッポー」
窓際に、魔法の紋章が刻まれた伝書鳩が舞い降りた。足についていたのは、レオヴィルからの手紙だ。
『今、君の毛並みの柔らかさを思い出して、馬車の中で咽び泣いている。君は寂しさで震えていないだろうか?』
(……五分で終わる仕事に集中しなさいよ)
さらに一時間後。
『陛下がハンカチを落としたと思われるエリアに到着した。だが君の温もりが恋しくて、捜索に身が入らない。夕食のパテの温度は38度にするようシェフに命じてある。……愛している』
(知るか!)
その後も、一時間ごとに「君の鳴き声を録音してこなかった私を斬ってくれ」「空に浮かぶ雲が君のしっぽに見える」など、迷惑メール顔負けのメッセージが届き続ける。
ついに耐えかねた私は、リネットに頼んで返信用の魔法紙を用意させ、自ら前足でインクをつけ、大きな「×」印と「仕事しろ!」という意味を込めた肉球スタンプを押して送り返した。
数十分後、鳩が過呼吸気味な羽ばたきで戻ってきた。
『返事が来た!! ステラから返事が来たぞ!! この喜びの空気を君と分かち合たい。だから、現場の声を送るよ。セドリック、これを見ろ、この力強い肉球の弾圧! ステラは私を励ましてくれているんだ! 私はやるぞ、陛下のハンカチをこの手で掴み取ってみせる!! ありがとう。ステラ』
(……だめだ、この人。また白目が出るわ……)
翌朝。
レオヴィルの帰還は明日の予定。
今朝は「吸い」による酸欠の心配もなく、私は優雅に目覚め、伸びをした。
(ああ、平和。……ん?)
その時、廊下から聞き覚えのある、けれど妙に規則正しい足音が聞こえてきた。
カシャン、カシャン、という金属音のようなものが混じっている。
(レオヴィル? 今日は泊まりのはず……。予定より早すぎるわ。……まさか、不眠不休でハンカチを探して、直行で帰ってきたの?)
私はやれやれと溜息をつき、出迎えるために扉の前へ座った。
バタン! と扉が開く。
そこには、見慣れたレオヴィルの姿があった。
だが、何かがおかしい。
瞳に生気がなく、関節の動きがどこかぎこちない。ロボットのようなカクカクとした動きで、彼は私に近づいてきた。
「……寂しさで……キミの……瞳が……曇るのは……耐えられない……」
(えっ、声もなんかノイズ混じり!? レオヴィル、ハンカチ探しで呪いでも受けたの!?)
困惑する私の前で、その「レオヴィル」は胸のボタンを押した。すると、高音質な彼の録音音声が流れ始めた。
『愛しているよ、私の天使、ステラ。今日のパテは最高級の鴨にさせたんだ。さあ、私だと思って存分に甘えておくれ』
(……魔導ゴーレム!? 特注で自分そっくりの身代わり人形を作ったわけ!? きもい! きもすぎるわよ!!)
偽レオヴィルは、「ハグ、モード、起動」と呟きながら、体温魔法でぬくぬくと温かくなった腕を伸ばしてきた。
「ヤメテ! 邪魔! 物理的に場所取る!」
私は全力で猫パンチを繰り出すが、偽レオヴィルは「……照れているんだね……。なんて、愛らしいんだ……」と、録音された感涙ボイスを流しながら、執拗に追いかけてくる。
逃げても逃げても、ゴーレムは一定の速度で「ステラ、ステラ」と連呼しながら迫ってくる。逃走劇は階段まで及んだ。
「キミを……ハナサナイ……」
偽レオヴィルが私を捕まえようと大きく踏み出した瞬間。
「あっ」
階段の段差を見事に踏み外した。
ガシャーーーーン!! ゴロゴロ、ドカッ!!
階段の下で、偽レオヴィルはバラバラになっていた。
外れた頭部から、「愛し……愛して……愛して……パテ、38度……」という壊れたレコードのような音声が虚しく響き、やがてぷつりと静かになった。
「…………(無)」
私は階段の上から、残骸となった飼い主(の身代わり)を冷ややかな目で見下ろした。
そこへ、リネットがやってきた。
「あら、レオヴィル様のゴーレムが死んでいる? ステラ様、まさか……レオヴィル様への愛が深すぎて、偽物に嫉妬したのですか?」
(違う。不法投棄よ、リネット。不法投棄! ……リネット、燃えないゴミに出しておいてね……)
私は空腹を満たすべくキッチンへと向かうのだった。




