31-1 突発! 引越し作業
「引越し、って……そんな、あまりにも急すぎです!」
「そっ、そうですよ! そもそも僕たち、今寮に住んでて——」
「やめな、二人とも。……多分、抗議しても何も変わらないと思うよ。気に食わないけど」
スティル、ヴァイスと二人続けて不満を呈する。それを止めたのはノワールだ。そんな彼も、不服そうな顔をしながら腕を組んでいる。初対面、それもカティアより歳上——恐らくだが——の相手に、遠慮もせず不遜な態度を取るほどだ。ノワール自身が最後に付け加えた言葉に強い説得力がある。
「あんたは賢い子やなぁ。その代わり、えろう生意気やわ……なぁ、ノワール?」
楸はくすりと笑った。なんだかノワールを怒らせたいように見えるが、十二歳のノワール相手にそんなことをするのは、少し大人気なく見える。ヴァイスはわずかにノワールの方に近寄って、眉を寄せながら楸の方をじっと見た。
「そないな目で見んといて、怖いわぁ〜。ウチが誰の後継いだと思うとるん? あんたらのせんせぇの後やで? 名前も何もかも知っとるよ。なぁ?」
彼女の言葉に、まぁそれはそうか、と思う。でもそれとこれとは別問題。そんな考えが頭をよぎろうとしたが、直後の楸が不可解な視線の動かし方をしたため、そちらに気を取られる。
楸が呼びかけた先はディアンだった。チラリと彼の方を見る。いつにも増して不機嫌そうな顔をしていた。それでも何も言わないまま、口をぎゅっと結んでいる。
「あんたは何も文句言わへんのやね」
「……ノワールと同意見だ。どうせ何言っても変わんねえ、だから文句も言わねえ」
ディアンがそっけなく答えた。どこか強い警戒心が見て取れる。言霊が纏う刺々しさが、普段のそれとは比べものにならなかった。
彼は基本機嫌の悪そうな顔をしているが、どこぞの冷血少年のように意味もなく人を、しかも初対面の相手を嫌ったりはしない。だからこそ、彼の楸に対する若干の刺々しい態度が珍しいと思った。
けれど今回ばかりは仕方ないのかもしれないと思い直す。なんせ勝手に居住地を変更されたのだ。ヴァイスだって、今の時点で楸に対する印象はあまり良くない。ディアンが寮にどれだけの愛着を持っているかは知らないが、彼だって自らの意思関係なく住居関連を見知らぬ者に好き勝手されるのは好まない、はず。
そんな風にヒヤヒヤとしながらも、ヴァイスは二人の視線のぶつかり合いを傍観するしかなかった。だが楸の方が先に興味を失ったようにディアンから目を逸らし、ヴァイスが危惧していたよりも穏便にそれは収まる。隣から「ふんっ」と鼻を鳴らした音が聞こえた。
「さよか。……ほな、中入ろか? ここやとご近所さん迷惑や。こん中でなら、ぎょーさん文句聞いたるよ」
そう言って、楸が家の扉を開ける。こちらの返事も待たずにそそくさと中に入ってしまうものだから、ヴァイスたちは彼女に従うしかなかった。
ヴァイスは物心ついた頃から、用意された自分の部屋という家しか知らない。だから、普通の一軒家というものがよく分からない。それでもこの家の内装は、陳腐な言葉で例えるならば「普通」な感じだった。
通されたのはダイニングルーム。生活感あふれつつも整頓された部屋に、不慣れからかわずかばかりの居心地の悪さを感じる。新たな住まいと言えども、やはり急すぎる出来事には順応できないわけで。まだ〝他人の家〟という感覚は拭えない。
「好きなとこ、座ってな。……ああそう、床がええならクッションも貸したる」
そう言った楸が真っ先にソファに座った。ヴァイスは最初、カウンターにくっつけられたダイニングテーブルの方にお邪魔しようと思ったが、そうなると背を向けた楸から話を聞く形になってしまう。
それはいけないだろう。繰り返すようだが、彼女はカティアが敬語を使うような相手。育ての親にも等しいカティアよりも立場が上の隊員なんて、ヴァイスからすれば〝すごく偉い人〟も同然だ。だから失礼な態度で話を聞くなんてもってのほか。
そしてヴァイスは、ソファと向かい合う形で床に座ることにした。ソファの目の前には長方形のローテーブルが置かれていたため、ちょうど良い距離感が保たれている。ヴァイスの選択を見た楸に渡されたクッションを下に敷けば、楸に言いつけられたミッションは無事完了。
他の三人もヴァイス同様床に座ることにしたようで、ローテーブルの幅みっちみちになりながら四人は横一列に座った。
「……なんかお説教されてるみたいだね」
「実際これからされるんじゃねーの……」
隣同士になったディアンとヒソヒソ話を交わす。楸が「聞こえとるで」とでも言うような視線を向けてきたので、すぐさま姿勢を正した。口頭では何も言われないのが逆に怖い。
「ほんなら、まずスティルの文句に対する返事から……」
楸の裾からわずかに覗く指先がスティルを指し示した。
「ウチがこっち戻ってきたんは一昨日や。あんたらをこの家に連れてけ言われたんも一昨日。急なんはウチもおんなじや。っちゅうわけで、あんたが文句を向けるべきなんは、ウチやのうて命令した組織のお偉いはん方。以上」
特に早口でもなく、なんならゆったりとした話し方な上スティル宛の言葉だが、何故だか捲し立てられているかのような気分になる。四人の間には微妙な沈黙が漂う。ローテーブルを境として、違う空気が流れているようだった。
「ほんで次、ヴァイス。寮に住んでる言うとったけど……これもさっきと同じやね。上からの命令やから、抗議は諦めてな?」
二つ目にして雑になってきている気がした。節々に文句を言ってやりたい気持ちはあったが、楸から放たれる威圧感からそれも失せてしまう。むっと口を尖らせながらも、その返事をどうにか受け止める。
「さて……他に文句があれば言ってな。質問でもええよ」
落ち着いたのか、先ほどよりか声の圧が弱まっている。着いたばかりで矢継ぎ早に文句を垂れられたことであの圧を生んでいたのだとしたら、意外にも彼女は短気なのかもしれないと思う。それが分かったところで何かあるわけでもないし、なんなら質問はともかく文句を言いづらくなっただけだ。
何を言おうか、とそこまで良くはない頭を働かせて考える。だがそこで先行したのはノワールだった。
「一つ、今回の件について詳細を僕たちに話してくれるのか? 二つ、僕たちをこの家に移すと決めたのは具体的には誰なのか? ……僕が聞きたいのはこの二つだけかな」
彼は臆することなく質問を並べる。こういう、彼の物怖じしないところは正直に言ってすごいと思う。真似したいかどうかで聞かれたらノーではあるが。ノワールの性質は怖いもの知らずというより、興味がないからこその遠慮のなさのように見えるから。
楸もそのことに勘付いているのだろうか。敬語もなしの生意気な言葉にふぅ、と一つ息を吐く。緩やかに首を振ってから、ノワールに顔を向けた。
「いっぺんに答えたる。あんたらをここに引っ越させる理由、そしてそれを決めた人物……あとはそうやな、この家のこととかも含めて全部説明したる。……それがウチの責任や」
そう言ってわずかに下を向く。どこか悲しげに見えたのは、気のせいなのだろうか。
それから間も開けず、楸は今回のことについての説明を始めた。
まず、結界の消滅とそれに伴う異形の襲撃に備え、遠方で活動していた正隊員たちを組織の中枢となる場所——つまり施設に呼び戻したらしい。加えて、ヴァイスたちの世代が正隊員に昇格したことで新たな訓練生が補充されたため定員オーバーが発生し、入居者の調整をすることになった。複数放たれた白羽の矢が、NoDiWSにも立てられたというわけだ。
「何それ、田舎の口減し? まだ成人に届かないどころか、年齢二桁に達したばかりの子どもを追い出すとか、頭イカれてるんじゃない?」
引っ越しの理由聞き、説明が始まった時は大人しくしていたノワールが唐突に口を挟む。でも彼の文句はもっともだと思う。既に労働に勤しむ身であるとは言え、本来ならば庇護下にいるような年齢だ。ノワールとディアンでさえまだ十二歳。ヴァイス、スティルに至ってはノワールの言った通りまだ二桁に到達したばかりの十歳だ。定員の関係とは言え否応なしに居住地を移されるのは、いささか理不尽である。
「あんたの理屈で言うたら、ウチらのトップはイカれてるってことになってまうなぁ」
その言葉に、ノワールだけでなくNoDiWS四人全員が反応した。空気が張り詰めるのを感じる。
異形殲滅特別組織の主な活動内容は、知っての通り異形に関連することがほとんどだ。異形の調査、討伐などなど。富裕層なんかからは、遠出の際の護衛などという依頼をされることもあるらしいが、それも結局は異形に帰結する。なんせこの異界には、どの地域も例外なく異形という脅威に晒される可能性があるのだから。
ということは置いておいて、とにかく組織の活動は基本的に組織の人員のみで完結している。常に人手不足なのは戦闘員だけであって、人員や任務の管理などは人手が間に合っているのだ。結局組織の歯車となっているのは、組織の亜人として造られた人工亜人や、わざわざ組織に就職した他種族だけ。
ならトップ——上層部らは何者なのか? 答えは「ヘルシュタイン家とノインテッター家の亜人」だ。研究職に就いているグレース・ヘルシュタインと、ノインテッター家の二人を除いた両家全ての亜人が、組織の上に立っている。まぁ、人工亜人に対する諸々の決定権を握っているのは生みの親であるグレースたち研究者らなのだから、実質的なトップと言うより、多忙なグレースたちに代わって組織をまとめているだけなのだが。この辺は授業やグレース本人からの話で聞かされたことなので、本当のことだろう。
さて、前述したように組織の上層部は基本表立っては動かない。前提が大事だったとは言え、寮の入居者管理なんてそれこそ我らが歯車の役目だろう。楸の言う通り、この件に上層部が深く関わっているなら、一体どんな思惑があるというのだろうか。
「……どんな理由であれ、上層部の方々が決めたことなら、確かに私たちに拒否権はありませんね」
スティルが静かにそう言った。会話のためというより、自分に言い聞かせて納得するためのような雰囲気だった。楸は考えの読めない笑みを浮かべる。
「ようやく理解したようで何より。……ほな、あとはこの家の説明やな」
ヴァイスたち四人が場に残すさまざまな感情など気にしにもしていないように、楸は話を進めた。説明されたのに疑問が増幅してしまったが、今は気を取り直すしかない。ヴァイスは再び聞く体制をとった。
元々この一軒家は楸の持ち家だったが、遠征をきっかけに家の管理をカティアに任せていたようだ。一昨日、帰還と共にある命を下されて、再度この家を楸が管理することになったとのこと。
「その命令って、なんですか?」
ヴァイスは楸をなるべく刺激しないよう、愛嬌を含ませた声で質問した。それに楸がくすりと笑って、でも何を考えているかはやっぱり分からなくて軽く萎縮する。少しノワールに似ていると思った。他人から見たノワールは、こんな感じなのだろうか。そりゃ怖いわ、と失礼ながら感じた。
「——あんたらの子守りや」
子守り、子守り……。ヴァイスは首を縦に緩く振りながら、頭の中で繰り返す。三度目あたりでようやく感情が追いついた。
「こ、こもっ……なんっ……」
語尾まで出ない役立たずの口をはくはくと動かす。楸はずぅっとニコニコしている。
「管理云々のくだりでまさか、とは思ったけど……本当にそうだったとはね」
吐き捨てるようにそう言ったのはノワールだ。横柄な態度で腕を組む。十二歳とは思えない貫禄だ。
「ほんまに賢いんやね。嫌やわぁ、ウチの苦手なタイプ」
「気が合うね、僕もだ」
不躾に返したノワールを小突く。「いてっ」だなんて呑気に言った。彼にはこう、教育の余地があるかもしれない。
やはり癪に障ったのだろう。楸の綺麗な眉間に皺が寄った。無理もない。自分が彼女の立場だったら手が出そうになっていたところだ。表情の変化だけで済ませた楸は、短気ではあれど我慢強いのかもしれなかった。
「……話にも出とったように、あんたらはまだまだちいちゃい子供や。なんなら、ウチからしたらよちよち歩きの赤ん坊も同然や」
話を続ける彼女の声色が若干刺々しいのは気のせいではないだろう。
「この家にちょうど空き部屋が四つあるってとこに目つけられて、引き取れ言われたんがウチに下された命令や」
中々腑に落ちない部分もありはするが、それを楸に追及したところで意味はないだろう。彼女も動かされた側。「目つけられた」という言い方からも、別に彼女が望んだわけではないことは明らかだ。この人も相応に大変らしい。
「以上や。ウチが知ってることは全部話したよ。ほな解散。……あ、そうそう。空いてる部屋は好きに使ってええし家賃も免除したるけど、光熱費と水道代はお駄賃から引かせてもらうからな」
よろしゅうな、と付け加えられる。まぁ当然のことだろう。そもそも寮住みの時だって一応減額はされていたが、光熱費等は給料天引きだった。家賃免除なだけありがたいし、なんなら神様に見える。うん、そう考えると引っ越しも悪くない。いつの世も、単純思考というのは精神安定のコツだ。
「あの……」
ようやく解放されたことに喜びを覚えながら伸びをしていたヴァイス。他の面々も一息ついている中で、スティルが気まずそうに挙手をしていた。彼の目線の先にいた楸が「なんや?」と問いかける。
「家具、が……寮に置かれたまま、なのですが……」
「「……」」




