30 小休止
退院後の生活は忙しなかった。寮自体は魔法で修復が完了していたものの、先日の襲撃により人手がわずかに減った。そのわずかな人数の差でさえ、常に人手不足な我らが異形殲滅特別組織には痛手となる。その上、結界の消滅とそれに伴う形の侵入という事態によって、寮や研究所近辺の警護にまで人手を割くことになってしまった。そのためNoDiWS一向は、捌き切れるかどうかも危うい任務の山を片付けるため、他の戦闘員と共に激務をこなす日々を続けた。
「疲れたぁ〜〜!」
働ける戦闘員が総出で任務を捌いていたためか、ようやく激務の日々も少しだが落ち着きを見せる。久々に夕食の時間を多く摂ることができたため、今日はNoDiWS四人で揃ってテラスに来ていた。食事の乗ったトレーをテーブルに置いて、真っ先に椅子に座ったヴァイスはドンっと音がするほど勢いよく背もたれに身を預ける。
左隣に座ったノワールが、すぐに「大丈夫?」と声をかけてきた。「無理〜」と腑抜けた声で返せば、聞いてきたくせにノワールは「あはは」と笑うだけだった。ヴァイスは小突いてやろうかと思ったが、そんな元気もなく、彼の真似をするみたくジト目で睨むだけだった。
「でも、流石に疲れましたね」
スティルがヴァイスの席の真ん前に座りながら、あまり覇気のない声でそう言った。思い切り肯定を示すため、何度も力強く頷く。
「人手不足とは言え、相変わらずブラックすぎだぜ、この組織」
空いた残りの席、つまりスティルの右隣でノワールの真正面に座ったディアンが、呆れたように愚痴をこぼす。それにも力強く頷いた。
「まぁ、明日明後日は任務ないから」
そんなノワールの言葉に空気が変わる。ヴァイスたちはその「任務ない」という言葉の咀嚼に時間をかけるように、三人ともが押し黙った。
そう、明日からの二日間だけ、ヴァイスたちは任務を免除されている。もちろん正式にだし、加えて任務を管理している事務員からのお達しだ。誰にも憚られることのない、素晴らしき休息日。と、言いたいところだが。
「——呼び出し受けてますからね、私達……」
思い出したかのようなスティルの言葉に、再び空気が重くなるのを感じる。その現実からは目を逸らしたい、そんな気分だった。
二日間任務を免除された際、ほとんど代わりのように集合の命を受けた。普段なら大して気にも留めない呼び出しだが、今回ばかりはヴァイスでさえもが警戒していた。なんせ二日間の任務の免除だ。
しつこいようだが、現状において二日の空きはかなり大きな意味を持つ。通達を見た時のノワールなんかは、分かりやすく嫌そうな顔をしながら「碌な用事じゃないでしょ」と言っていたし、スティルも「何かやらかしましたっけ……」と不安げにしていた。そしてヴァイスは「仕事してちゃダメ?」と言い、その瞬間引くほどの握力でスティルに腕を掴まれたのも記憶に新しい。
唯一、ディアンだけが珍しく何も言ってはいなかったけど。ただいつも通り機嫌の悪そうな顔をしていたから、不満が口に出る前に頭の中で爆発したのかも知れないと、ディアンを除いた三人でヒソヒソ話をした。
「ま、悪い話じゃねえことを祈るしかねーだろ」
回想を強制終了させるようにディアンが言う。今現在の空気に浮いてしまうほど、彼の声は軽かった。違和感。似合う表現方法といったらこれしかないだろう。今回の呼び出しにディアンが無関心すぎて、逆に「こいつ何か知ってるのか?」と勘繰ってしまうほどだ。どうせ聞いてみても、その時はいつもの調子で「さーな」なんて、舞い散る花びらみたいにかわされるのだろうけど。
翌日、いつもより亜人の気配が少ない寮の空室に、ヴァイスたち四人は集まっていた。いつもなら多少の雑談があるのに、今日は誰一人として言葉を発しない。そもそも、個々の出す雰囲気によって作られた空気が、発言しようとする気力を削いでくる。多分、ヴァイスだけの話でもないのだろう。
四人の子供が塊になっていると言うのに、この部屋はいつまで経っても静かだった。
ガチャッ。そんな静寂を打ち砕くように部屋の扉が開く。入ってきたのはカティアと、それから一人の女性だった。この辺ではあまり見ない格好をしている。確か「着物」というやつだ。知ってはいるし、実物を見たこともあるけれど、普段着にしている人を見るのは初めてだ。
ヴァイスは物珍しさから、目立った模様もない暗い色の着物を見に纏った女性をついつい見つめてしまう。ずっと目を閉じてニコニコとしていたのに、ヴァイスの不躾な視線に気付いたらしい。女性はヴァイスの方へと顔を向ける。淡い紫色の髪がふわりと揺れて、反射的にどこか適当な場所へ視線を移した。くす、という小さな笑みが聞こえてきて、ほんの少しだけ気まずくなる。
「あら、待たせたかしら? わざわざ任務を免除してまで呼び出したのに、ごめんなさいね」
カティアが焦ったようにそう言うので、首を振って「いえ」と答える。正直あまり良い予感はしないので帰らせてください、とは言えなかった。
「! え? あぁ、はい。分かりました」
雰囲気に、着物の女性がカティアに耳打ちした。上品に口元を裾で覆っている。そんな仕草よりも、カティアが敬語を使う相手なんだということの方が気になった。
「今日明日のことについては、彼女——楸さんが話してくださるわ。みんな、ちゃんと聞くのよ?」
四人で揃って「はい」と返事をする。ヴァイスはその裏で「楸」という着物の女性の名前を、頭の中で繰り返しつぶやいた。
「みんなええ子やなぁ。これなら用事も早く済みそうやわぁ」
聞こえた声に驚いた。間延びした口調に独特の訛り。ヴァイスは彼女の声に聞き覚えがある。あの日、カティアと共に青鈴の病室にいた女性の声そのままだった。
「いちお自己紹介もさせてもらいます。ウチ、楸言うねん。これまで遠くにおったんやけど、色々あってこっちに戻ってきましてん。これからよろしゅうな」
大方理解はできるが、聞き慣れない訛りのせいでところどころで思考が鈍る。えーと、と自力で標準語への変換をしながら、ぺこりと会釈した。
「色んなとこに住んどったさかい、けったいな風に訛ってしもうてな……? 聞きにくかったらかんにんな」
「けったい……」
流石に単語を丸ごと変化させられると参った。初めて聞いた言葉を復唱してしまう。すると、ヴァイスの右隣にいたスティルが「おかしな、という意味です」とこっそり教えてくれた。本当によくものを知っていて、すごいと素直に感心する。
「ほんで、今のあんたらにはそこまで関係あらへんことかもしれんけど、ウチ、青鈴の後引き継いで先生になったさかい、そこもよろしゅう」
楸の言葉にヴァイスたちはざわついた。けど、とヴァイスは冷静になろうとする。確かに、青鈴という空いた穴は埋めなければならない。彼女がその穴埋めをすることが既に決定したことなら、そこに横槍を入れたってどうにもならない。
「思たよりお利口はんやな、助かるわぁ。ほな自己紹介も終わったし、早いとこ本題に入ろか」
どうやら紹介は前座だったらしい。まぁそれなら二日も取られるわけないので、それについては元々気が付いてはいたが。本題、一体全体どんな内容なのか。ヴァイスの鼓動が早まっていく。
そんなヴァイスの心情など露知らず、楸は口元の笑みを深めて、すぅっと薄く瞼を開いた。対面してから初めて見た楸の瞳は、煤けたような小豆色をしていた。
「——ええとこ連れて行ったる」
公共のバスを使って向かったのは、寮から少し離れたところの住宅街。こんなところに何の用事だ、と思いつつ、バス停からまた少し歩いていく。案内をしていた楸が、ある一軒家の前で立ち止まった。
「あんたらの引越し先や」
「……はっ……?!」
思いがけぬ言葉に、そんな声しか出なかった。ノワールもスティルも、ディアンも、同じように困惑の声をあげている。
そんな四人の驚愕なんか知りません、とでも言うみたく、楸はニコニコ笑っていた。




