8話 話し相手
「で、またそのお袋の味っちゅうのは、やるつもりなのか」
後日、ニーノの家を訪れた木谷が、外した扉に色を塗りながら言った。
木谷の助力もあり、家の修繕は着々と進んでいた。パステルカラーを基調に塗り進めた調度品に、木谷は最初顔を顰めたが、それでも黙々と作業を進めていた。
「そうなの。SNSってやつで、少し話題になったらしくてね。マリンブルーの予約が増えたみたいなの。いつも同じメニューって訳にはいかないし、アレルギーがあるお客様もいるみたいだから。最近の子は大変よね。私達の時は、こんなにあれも駄目、これも駄目ってなかったでしょ? 食べるのにも苦労した時期もあったし」
「あぁ……そこら辺の草を食べたりしてな」
生まれ育った土地は違くとも、同じ時代を生きてきた者として共通の価値観を、二人は有していた。
「あぁ、ほらあの時の」と言えば詳しく話すまでもなく伝わるということが、貴重なことなのだということを、ニーノは知った。
勿論、異なる価値観に触れるのも楽しい。だが、何処か共通する想いを分かち合いたいと思うのも、人間なのだ。
ニーノは持っていたペンを置き、茶を淹れる為に立ち上がった。
「日本茶でいい?」
「ああ」
木谷とは、最初の出会いが最悪だったからか、同年代の友という関係性からか、全く気を遣わない状況になってた。
家を訪ねてくるのも、まちまちで、挨拶もなしに浜で釣りをしていることもある。
それでも、ニーノは気にしなかった。
一度、ニーノがスーパーマーケットへ買い物に出ている間に家を訪ねてきたこともあるが、木谷自身が後日「そういえば」と話題にしなければ全く知らない所だった。
冷静に考えれば奇妙な関係だが、この島で始めた〝ニーノ〟の生活として、これでいいのだという気持ちもあった。
「そういえば、帰りにあそこのお菓子持って行って頂戴ね」
ニーノは窓際の卓に茶を運んでから、部屋の隅に置いた紙袋を指差した。
それは、女学校時代の友人から届いた上等なお菓子と果物をいくつか分けたものだった。
随分と大きな箱で届いたそれは、単身で島へと越したニーノへのご機嫌伺いでもあった。
有難く幾つか食し、食べきれなさそうな分は松島や空来、木谷へとお裾分けをする。見返りを求めている訳ではないが、そうすると何かの機会に思わぬ物が届いたりして、これもまた人との繋がりの有難い部分なのだと感じていた。
「ああ。すみれも喜ぶ」
木谷が卓に着き、茶を啜った。
何度も顔を合わせる内、ニーノには少しずつ木谷のことが理解できるようになってきていた。
口も、ぱっと見の態度も悪いが、決して悪い人間ではないということ。娘と、早くに亡くした妻のことを深く愛しているということ。関わる人々に彼なりの愛情を持っているということ。日曜大工が本当に得意だということ。釣りは好きだが上手くはないこと。畑いじりをする時、時折切なそうな顔をすること。
だからといって、全てを好意的に捉えるつもりはないが、それで十分だった。
ちょっとした休憩に一緒に茶を飲んでいても、全く会話をしない時もある。
何処か、それが心地よくも感じていた。
海を眺めながら、ニーノは木谷の娘であるすみれが挨拶にとやって来た日を思い返していた。
きっちりと手入れのされた服で、菓子折りを持って訪れたすみれは、一見朗らかそうだったが、ふとした瞬間の所作が少しばかり神経質に映った。
中学生の時に母親を亡くし、それ以降きっちりと学業と家事を分担して行ってきたというから、その影響も大きいのだろう。
二人の子供を育て上げ、今は看護師の仕事をしているようだった。
「うちの父が、ご迷惑をお掛けしたようで申し訳ございません」
そう頭を下げるすみれに、ニーノは何処か背筋が伸びるような気持ちを抱いた。最悪の出会いの話でもしてやろうか、と考えていたが、とてもそんな雰囲気ではないことを察して、ニーノは終始笑みを浮かべてすみれの話を聞いていた。
色々話すうち、多少の衝突や行き違いはあるものの、基本的には良好な関係を築けているのだと判り、安心する。
「私も、ここで独り住まいですから、木谷さんに色々と手伝って頂けるのは、正直な所有難いんです。それにほら、話し相手にもなって貰えるから」
そうニーノが言うと、すみれは驚いたような顔をした。
「父が、話し相手ですか……?」
隣に座る父の顔をちらりと見て、不思議そうにする。僅かに眉を寄せ、「喋りますか?」と付け加えるのに、木谷は口を曲げた。
「えぇと……そうぺらぺらと話す訳じゃないけど、色々と。──ねえ?」
木谷に矛先を向けると、答える代わりに茶の器を傾けた。
確かに、娘の前では父の顔を意識してしまうのかもしれない、と考えたニーノは話を変え、ニーノ自身のことや、家の修繕した箇所の話をしたのだった。
「すみれさんは、お元気?」
ニーノが訊くと、木谷は暫く考えるようにしてから「まぁ、変わらず」とだけ答えた。そうしてから、床の上の扉を指差した。
「ノブだがな、近いうちに届くから、そしたら付け替える」
「あら、もう届くの」
随分と古く、ガタのきていたドアノブを、家の雰囲気に合わせて変えることにしたのだが、木谷のタブレット端末の画面を二人で眺めてああだこうだと苦労しながら決めたドアノブが、何処か遠い土地からこの島に送られてくるのだと思うと不思議な気分になってくる。
画面を触っただけで欲しいものが手に入る。便利な世の中になったものだ。
「お茶、ご馳走さん。これは暫く触らないように。また明日来る。……雨が降らなかったら」
そう言って、木谷は家に帰って行った。
ゆっくりと休憩を挟みつつ歩いて二時間。よくもまぁそんなに歩けるものだと感心しながら、ニーノは木谷を見送った。
折悪く、暫く雨の日が続き、折角届いたであろうドアノブを見ることもないまま数日が過ぎた。
扉自体は物置の扉だから問題ないが、床に置いてあるのが少し邪魔だった。
そうする内、ニーノは再びマリンブルーで〝お袋の味〟を披露することとなった。
今度は、小さな子供を連れた親子連れだった。お袋の味に郷愁を覚えるということはないが、ニーノの料理に喜び、レシピまで訊ねてきたほどだった。
手ごたえを感じながら親子を見送ったニーノは、上機嫌の空来の様子に首を傾げた。
「何かいいことでもあったの?」
ふふ、と笑った空来は、スマートフォンを掲げて見せた。
「見て下さい! うちのアカウントに載せたニーノさんのご飯の写真、めちゃくちゃイイネされてるんです!」
「いいね?」
空来はよくSNSの話をするが、ニーノは説明を受けてもいまいちピンとこないままでいた。嬉しそうにしているから、いいことではあるのだろう。
「美味しそう、とか、食べに行きたいとか色々コメントもあるんですよ」
ニコニコと笑いながらスマートフォンを見ていた空来は、ふと手を止めてそれをポケットに仕舞った。
「よく判らないけど、空来ちゃんが嬉しそうなら、私も嬉しいわ」
ニーノが言うと、空来もふふと笑う。
「はぁ、今日も良く働いた。お子さん可愛かったですよねぇ。──店長、今日の晩御飯はなんですか!」
「焼き飯」
「えー! また⁉」
「文句言うな。残った食材全部使えるから便利だろ、焼き飯」
「まぁ、そうですけどぉ。カレーとか、スープとか他にもあるじゃないですか」
「煮込み料理は時間掛かるだろ」
松島と空来のやり取りを聞きながら、ニーノは次の献立を考え始めていた。食材が残るのは、ニーノの献立の為に、元々マリンブルーで提供していたメニューでは使わない食材を買うからだ。
どうせなら、食材のことも考えたい。
──まぁ、次がいつかは判らないけど。
「ニーノさん、再来週の予約もお願い出来ますか」
まるでニーノの心を読んだように、松島が言った。
「あら、勿論。要望はあるかしら?」
「今回は魚料理が良いって。他県から来られるみたいなんで、魚自体は俺が市場で買ってきますよ。どうせなら、此処で獲れた魚食べて欲しいし。ニーノさんの献立に合わせて選んできます」
「魚……魚ね。来週までに決めておけばいいかしら」
「そうですね。次もよろしくお願いします」
そう話し合う二人の姿を、今度は空来が見つめ、何処か考え込んでいるのに、この時のニーノは気が付かなかった。




