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約束のレモンの木  作者: 夢野かなめ


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3/13

3話 失礼な釣り人

 ニーノには気になっていることがあった。


 それは、時折前の浜に釣りに来る同年代の男のことだった。


 時間もバラバラで、晴れていれば来るでもない。ニーノなりにあれこれ考えてみたが、規則性は判明しなかった。


 ならば話し掛けてみるのが一番、と思うものの、ニーノがその男に気が付く時は家事などで忙しくしている時で、それを片付けて外に出た時にはもう居ない。すぐにでも飛び出して行けばいいのかもしれないが、突然家を飛び出して話し掛けたら、何をそんなに必死なのだと警戒されるかもしれない。


 そう考えている内に、ある時家裏にある蔵の手入れを終え、ぐるりと家の横を通って浜に出た先で、すぐ目の前に件の男が釣竿を背に差し、立っていた。


 驚きに足を止めたニーノに、男も少しばかり驚いたようで、僅かに目を見開いた。


「あ、こんにちは。たまに此処の浜で釣りをしている方ですよね?」


 ニーノの問いに、男はきゅっと口を曲げた。


「アンタ、誰や」


 ぞんざいな言い方にムッとしたニーノは、それを取り繕うように笑みを浮かべ、僅かに胸を張って答えた。


「最近此処に引っ越してきた新野です」


 ニーノという名前は特別な新しい名前だ。煌めきを持った名前を教えるつもりはなかった。……響きは同じなのだが。


 しかし、男は名乗り返しもせず、ふんと鼻を鳴らしただけだった。


 思わず眉間に皺が寄るのを抑えつつ、ニーノは何とか名前を聞き出そうと言葉を続けようとしたが、それよりも先に男が口を開いた。


「この浜は、アンタのものじゃないよな?」


「……え?」


 聞き返すニーノに苛立ったように、男は鼻に皺を寄せる。


「だから、この浜はアンタの家の敷地かって聞いているんだ」


「違いますけど、それがなんですか? さっきからアンタ、アンタって、私には新野巻子という名前があるんです。それに、名乗り返しもせずに……そういえば挨拶も返されてない。全く失礼な人。此処まで喧嘩売っておいて、他人様の家の前でのらりくらり釣りをしようですって? 冗談じゃない」


 ひと息に捲し立てたニーノに、男は目をぱちくりとさせ、気まずそうに顔を歪めた。


木谷(きたに)だ」


「は?」


「だから、木谷勇造(ゆうぞう)。名前。この浜に来られなくなったら困る」


「なんで?」


 ニーノの問いに木谷は答えなかった。ふいと顔を背け、胸ポケットから取り出した煙草を吸い始める。その様子は、僅かに寂しさを滲ませているようにニーノには見えた。


 嗅ぎなれない煙草の臭いにニーノが顔を(しか)めていると、宙に漂う真っ白な煙を手で払った木谷は、おもむろに浜まで引き返して釣り道具を持ち上げ、咥え煙草のまま去っていった。


 呆然とその背を見つめていたニーノは、ふいに膨れ上がった怒りに、手にしていた軍手を地面に叩きつけた。


「そういうことがあったのよ。知ってる、そららちゃん?」


 窓辺に置いた卓につき、紅茶とそららの持ってきたクッキーを楽しんでいたニーノは、一部始終を語り終え、紅茶で喉を潤した。


 約束通り家に招いて〝お茶会〟を楽しんでから、その後も空来は時間を見つけてニーノの家を訪ねていた。市内の美味しいパティスリーのものだという焼き菓子や、地元で有名なお菓子なのだと言って手土産にと持ってくるお茶請けは、どれも美味しく、茶葉を用意するニーノも気合が入っていた。延子に頼んでネット通販もして貰ったくらいだ。


 カップを手にしたまま「うーん」と首を捻っていた空来は、ハッと目を見開いた。


「あぁ! 知ってます。見掛けただけですけど、たまに釣りしてる人がいるなぁって思ってました。この辺りって別に釣りの名所って訳でもないし、隠れスポットでもないから、不思議だったんですけど、釣り糸垂らしてるだけで満足って人も居るみたいですからねぇ」


 そう言ってから、空来はクッキーに噛り付き、難しい顔をした。


「確か、店長が昔何かを手伝って貰ったって言ってましたよ。……同じ人物なのか判りませんけど。ちょっと訊いてみますね」


 空来は、器用にスマートフォンを操作し始めた。


「まぁ、感じは悪かったけど、悪い人って風でもなかったからいいんだけど……」


 ニーノは、木谷の去り際の様子を脳裏に浮かべながら言った。


 無駄に年を重ねた訳じゃない。悪い人物かどうかくらいは、相手の顔を見れば何となく判るものではある。


 だが、今にして思えば、感じの悪い相手に喧嘩腰で挑んで、暴力で返されなかったのは、幸いだったかもしれない。


 これだからお母さんは、と眉を(ひそ)める延子の顔が脳裏に浮かんだ。


「あ、店長から返事来ましたよ。『木谷さんだろ』って。じゃあ、やっぱり悪い人ではなさそうですね。感じは悪くとも」


 ニーノはクッキーを味わってから、ふと窓の外に目を向けた。


 いつもひっそりと釣り糸を垂らすあの細い後ろ姿は、何処か寂しげに見えたのは確かだ。その瞳は、何を見つめているのだろう。


 そう考えた所で「そんなこと知るか!」という思いが沸き起こる。


 そもそもどんな事情を抱えていたって、最悪の出会いであったことには変わりない。松島の言う通り、何か他人に手を差し伸べるだけの気概があるのだとしても、ニーノの前ではただの失礼な男だった。


 新天地での新たな出会いに、何処か夢見がちになっていたようだ。


 何処の地でも、嫌な人間とは居るものだ。


「なんか、うちの店のパーゴラ作るのを手伝ってくれたみたいですよ。ということは十年くらい前にはもう此処で釣りしてたんですね」


「パーゴラ?」


「あの、入り口前にある白いやつです」


「あぁ、日除け」


 確かに、松島の店の前には随分と年季の入った日除け──パーゴラがある。年季は入っているが、丁寧に手入れされているのが判った。海辺の家だというのに、傷みが少ないのだ。


「店長って、此処で店開くって決めてから、全部自分で店造りするんだって張り切ってたみたいなんですけど、いざやってみると難しいこともあったみたいで。そりゃそうですよね。趣味で日曜大工してたって訳でもないし、勿論そういう学校に通ってた訳でも、そういう仕事してた訳でもなかったんですもん。当時住んでたそこのお隣さんとか、色々助けて貰ったみたいですよ。沼川さんとかにも」


 ニーノは耳の痛くなる思いでそれを聞いていたが、ちらと時計を見た空来に気が付き席を立った。


「もう時間だね」


「そうですね。今日もご馳走様でした」


 空来は簡単に自分の食器を寄せると、小さく頭を下げた。最初のお茶会の際に、食器を片付けようとした空来に「いいから」とニーノが止めて以来、空来はそうして片付けの意思だけは見せるようになった。


 その様子がどうにもいじらしく、ニーノは空来のことがどんどん好きになっていた。


「そういえば、お茶もいいけど、今度はバイト終わりに晩ご飯でも食べに来たら? 勿論、そららちゃんの時間があればだけど」


 そう言うと、空来はパッと顔を輝かせた。


「いいんですか⁉ 実は、今度早朝に予約が入ってて店に泊まらないといけないんですけど、晩御飯どうしようかと悩んでたんです」


 そこまで言った空来は、「ん?」と頭を捻って、ニーノを見つめた。


「というか、むしろニーノさんがうちの店来ませんか? タコスパーティしたいなーと思ってたんですけど、店長と二人だけじゃ寂しいし」


「タコス……。そういえば、食べたことないかも。……ううん、一回はあったかもしれないけど」


「じゃあ、タコスパーティしましょう!」


 空来が嬉しそうに言うのに、ニーノは釣られて笑った。


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