10話 鮮やかな夏
季節は夏に向かって進んでいく。
マリンブルーは忙しさを増し、臨時のバイトを入れたくらいだった。
そのきっかけのひとつとなったニーノだが、体調を崩したせいで暫くはマリンブルーの手伝いを出来ずにいた。
ニーノの手作り料理提供の休止をSNSに投稿すると、一時期はより酷い言葉が書き込まれていたようだが、それを静観していれば、残ったのは良いお客様達だった。
思い通りにならない体調に鬱々としていたニーノも、それを聞き何処かすっきりとした気分になっていた。
「そんで、体調はもういいのか」
木谷が冷たい麦茶を飲みながら、言った。
「お陰様で。来週にはマリンブルーの手伝いも出来そうなの」
「そうか」
もう殆ど家の修繕は終えていた。元々古民家だから、細かい手入れは続けるが、大掛かりな修理などは必要がない。色を塗り替えるのも、金具などを変えるのも、終わった。
理想の家となった。
庭の畑は盛りを迎え、そこここに艶々と光る実が生っていた。
収穫までは、あと少しだ。
ちらと木谷を見たニーノは、少しだけ落ち着かない気持ちになっていた。
元々は、娘の負担とならぬ為にこっそりと家を出て、釣りに興じていた木谷。ニーノがこの家の持ち主となり、最悪の出会いを経て、今ではこうして共に茶の時間を楽しむ仲となった。
畑の世話をし、家を訪れる時は食事を共にする。喧嘩もするが、殆ど他愛もない話をして過ごしている。
棚に飾られた亡き夫の遺影を見やる。
変わらぬ優しい微笑みに、僅かな罪悪感。
罪悪感というものを感じてしまう自分に対する羞恥心。
モヤモヤとした感情を払うように、冷たい麦茶を飲みこむと、変な所に入って激しくむせた。驚いた木谷が背を擦ってくれるのを意識しながら、それよりも自分の肺やら喉がどうにかなってしまうのではないかというような不安が膨れ上がるのに、内心苦笑する。
落ち着いてから、もう一度麦茶を飲んで、息を吐く。
「有難う……。私達の年になると、むせるのも命がけね」
「まぁな」
木谷は短くそう答え、庭の畑を見下ろした。その視線を追う振りをして、卓の上に飾った花瓶の向日葵を見つめる。
三本の向日葵。
目にも鮮やかな、その向日葵の意味を、ニーノは測りかねている。
「こういうの好きだろ。部屋にも合うし」
数日前、急にそう言って木谷が差し出してきたそれを、ニーノは受け取った。
受け取ってから、ハタと考えた。
まだ少し早い向日葵の花を。三本というその本数を。
意味を、意図を、考えて悩み、そんな自分に苦笑した。
──この年にもなって、何をしてるんだか。
そう考えてしまう程には、意識してしまっている自分にも気が付いていた。
──でも、木谷さんって……決して、好みの人ではないし。
自問自答を繰り返す。
自身の年齢を考える。
──それに、木谷さんが意味を理解して花をくれたとは……。
それが、可能性は十分にあった。
最悪な出会いをやり直し、友人として過ごす内、互いのことを色々と話し合った。それには、今は亡き、互いの伴侶の話も含まれていた。
勿論、赤裸々に全てを話した訳ではない。
ただ、どう出会ったか。どう過ごしたか。どう生きたか。何を嬉しいと思い、悲しいと思い、寂しいと思うのか。
様々な思い出と共に語った。
知り合いだが、昔からの付き合いという訳じゃない。
友人だが、まだ赤の他人にも近しい間柄。
そして、自分達の重ねてきた年。
そうしたものが、自然と口を軽くした。
楽しかった。
何処か、来るべき日の為に、誰かに話しておきたいという気持ちもあった。
──でも、例えば、これが恋だとして。
残された時間は少ない。
そして、恋だとして、どうすることも出来ないだろう。
でも──。
「次は、いつ来るの?」
ニーノは、木谷が帰り支度を始めた時、さりげない風を装って訊いた。
木谷はふと顔を上げ、ニーノの顔を見て、一瞬だけ瞳の奥に柔らかい光を灯らせた。
「そうだな……いつだろう。前に話した通り、野菜の収穫の時か」
それならば、数日は先だろう。
「そう」
思わず零れた声に寂しさが滲んだ気がして、ニーノは慌ててビニール袋を取り上げた。
「これ、マリンブルーのお客様から貰ったっていう野菜。私の所だけじゃ使い切れないから、よかったら持って行って頂戴」
ニーノが差し出したビニール袋を、木谷は受け取った。
指が触れる。互いの手は、年を重ねて皺が寄り、シミが浮き、とてもロマンティックな触れ合いにはならなかった。だが、僅かに熱が伝わった気がした。
「いつも、色々と助かってる。家にもまた何だか知らんが、美味そうな菓子があったから、ニーノさんさえ良ければ、明日届けに来てもいいか?」
木谷の声に、自然と笑顔が零れた。
「良いわよ。じゃあ、前に話したビーフシチューでも仕込もうかしら。お昼は此処で食べるでしょ?」
木谷は、コクリと頷いた。
「じゃあ、また明日」
「はい、また明日」
ニーノは、木谷を見送ると、弾む心に踊り出しそうになりながら、ビーフシチューの仕込みを始めた。
鮮やかな夏が、始まろうとしていた。
その年の夏は、今までの人生で一番と言っていい程に忙しかった。
子供を育てていた時の夏休みよりも、ずっとだ。
マリンブルーでの手伝いや、空来や松島とのバーベキュー。大掛かりな八十三歳の誕生日会。木谷とは釣りをしてみたりした。
夏が鮮やかな季節というだけではない。起きた全てのことが、ニーノの目には酷く鮮やかに映った。
「どうです? めちゃくちゃ素敵じゃないですか?」
空来が壁に掛けたボードを示しながら言った。
予約も落ち着き始め、久し振りの何もない日に、片付けなどの為マリンブルーに集まっていた。
空来の示したボードには、マリンブルーで撮った写真が貼られていた。SUPをしている姿や、食事をしている姿。店の前で撮ったものなど、様々だ。
その幾つもに、ニーノの笑顔も写っている。
「あら、素敵。最近は本当に便利ねぇ。写真を撮りたいと思ったらすぐに撮れるし、印刷も出来るんだから。それに、やっぱり空来ちゃんは、こういうの上手ねぇ」
感心して言ったニーノに、空来は僅かに胸を張った。
「おー、良いんじゃねぇの」
店のキッチンから出て来た松島が、ボードを見回して言った。
手にしていたタオルをテーブルの上に置き、ニーノを見やって真剣な顔をする。
「ニーノさん、本当、この夏は助かりました。いや、夏だけじゃない。ニーノさん効果で去年よりもずっとお客様も増えたし、そのお陰でバイトも増やせたし……本当、ニーノさんのお陰です」
そう言って、深々と頭を下げる。
「特別ボーナス貰わないとですね!」
空来が笑顔で自分とニーノを指差してから、両手を松島に向けて差し出し言った。
松島は、ふっと笑い「まぁ、それは楽しみにしてろ」と言って、冷凍庫を開けた。
「とりあえず、今日はこれだ」
そう言って、そこそこの大きさの箱を取り出すと、得意げに卓に置いた。
箱の中身を見て、ニーノと空来は声を上げた。
「アイスケーキじゃないですか!」
「これ、アイスなの? まぁ凄い」
カラフルに飾られたケーキは、確かによく見ればアイスクリームだった。
「本格的な夏は終わったと言っても、まだ暑いし。なんかカワイイ感じだろ、このケーキ」
松島はケーキを切り分けるのを空来に任せ、皿に乗ったアイスケーキを見つめてふと首を傾げた。
「あれ、これってスポンジねぇの」
「ないですよ。アイスケーキですもん」
空来が不思議そうに唇を尖らせる。
まじまじとアイスケーキを見つめてた松島は、更に不思議そうに訊いた。
「……ケーキ部分は?」
「形?」
その答えに、松島は驚いたように目を剥いた。
「え、マジ……? それじゃこれケーキ型のアイスってこと? ケーキの形にする意味ある?」
空来が松島の頭をグーで叩いた。
「もー、本当店長ってロマンなし男! 文句あるならアタシとニーノさんで全部食べちゃいますから」
「いや、俺が買ってきたアイスケーキだろ! 俺も食う!」
やいやいと言い合う二人の様子を眺めながら、ニーノはアイスケーキを頬張った。何処か、童心に帰った心地がする。
「アイス、溶けちゃうわよ」
そう言うと、二人は渋々といった風に大人しく席に着いた。
アイスケーキを食べ進めていた空来は、ふと手を止めボードを振り返った。
「秋も色々写真増やせるといいなぁ。畑の植え付けも楽しみです」
夏野菜は幾つかを残して収穫を終え、今は土作りの最中だ。もう少し涼しくなったら、秋植えの野菜を植え付ける予定だ。
夏に収穫を手伝った空来は、植え付けにも興味を持ったようだった。木谷も含め三人で行うことになっている。
「調べてみると、夏に向いてるもの、冬に向いてるもの色々あって面白いわよねぇ。秋は収穫だけなのかと思ってたわ。あとね、今樹木類にも興味あるの」
「じゅもくるい?」
首を傾げる空来に、ニーノはふと外に目を向け、微笑んだ。
「この辺りって、温暖な気候のせいかレモンを育てている人が多いでしょ。私も育ててみたくてね。樹って、少しずつ大きくなっていくから……そうやって、私もこの島で年を重ねていけたらな、って思って。なんていうのかしら……私の家の……シンボルツリ―みたいな感じかしら」
「わっ、良いですね!」
空来はスマートフォンを操作すると、僅かに難しい顔をした。
「……レモンの植え付けは三月から四月……なんですね。じゃあ来年の春のお楽しみかぁ。ん~、待ち遠しい!」
「あら、そうだったの。春……春ねぇ。野菜も色々挑戦したいのよね。来年の畑も忙しくなりそう」
まだしっかりとレモンについて調べていなかったニーノは、空来が次々に調べ上げる栽培方法を聞きながら、頭の片隅でこの先の自分のことを考えていた。
レモンの実を安定して収穫出来るようになるまでには、数年かかる。
すぐに詳細を調べなかったのは、それも理由にあった。
植えたとして、収穫は出来ないかもしれない。
しかし、嬉しそうに調べながら「植え付け会しましょうよ」と言う空来を見ていると、そうした悩みがどうでもいいような気がしてきていた。
先のことは判らない。
誰にだって。




